40年前のこの日、北京でちょっとした出来事があった。中国皇帝のような毛沢東主席を田中角栄首相が待たしたのである。天下の毛沢東を待たすなど、現代中国の宮廷ともいうべき中南海ではふつうありえないこと。

 

1972(昭和47)年925日、田中首相は北京へ向かった。大平正芳外相、二階堂進官房長官らが同行した。そして29日、田中首相と周恩来首相が共同声明に調印し、日中は国交を回復した。

 

のちに二階堂さんがこのときのことを「正論」(平成4年10月号)に寄せた。原稿を読んで、ほう、こんなことがあったのかと思った。あれから40年という節目を迎えた日に、あらためてこの秘話を紹介したい。

 

二階堂さんによれば、北京滞在3日目の夕食中に、「毛沢東主席が会いたいといっているから、すぐ仕度をしてほしい」と連絡あったという。呼ばれたのは、田中、大平、二階堂の3氏だけ。なぜか、それぞれ別の車に乗せられて中南海の門をくぐった。

 

だだっぴろい中南海のなかをしばらく走って、古い木造の建物の前で車は停まった。その建物は毛沢東主席のオフィスだったが、二階堂さんはこう書いている。

 

<毛さんは玄関のところに立ってわれわれを待っていた。みんながそこで「やあやあ」と挨拶をして握手したが、田中さんは開口一番、「ちょっとトイレを貸して下さい」といって、なかに案内してもらった。田中さんが出てくるまで、毛さんも待っていた>

 

あいさつもそこそこに、大国の最高実力者をその場に待たせてトイレへ駆け込むというのは、かなりの度胸がいる。角さん、中南海へむかう車中で我慢に我慢をかさねていたのだろう。

 

これはどうみても小ではなくて、大にちがいない。すっきりした気分でトイレから出てきた田中首相の爽快感が、手に取るようにわかる。

 

〔フォトタイム〕

 

JR目白駅その4

左側の大通りをまっすぐ行けば、目白御殿といわれた田中角栄旧宅があります。