はがき1枚ぐらい10分もあれば書けるのだが、ずるずると日時を伸ばしてしまうことが多い。
山本夏彦さんの教訓は、じつに応用範囲が広い。ロンドン五輪の内村航平選手のあん馬の採点において異変が生じた。こういうときにも、ぴったりの格言だと思った。
実際、体操の日本男子チームが銀メダルに輝いたのは、日本側が素早く審判団に「この採点はおかしい」とアピールした結果であった。
今夕の朝日新聞によれば、<国際体操連盟(FIG)の規定で、得点が出た直後に書面で申し出れば、正式な形で「照会」できる。ただし、これには300米㌦が必要。やみくもに照会をうけないためにFIGがきめたルール>とか。
日本チームは300㌦を惜しまずに、素早く照会を求めたのだ。これは賢明であった。
イギリスは、体操男子で100年以上もメダルを獲得していない。したがって銀メダルが、途端に銅メダルになって、場内はブーイングが沸き起こった。
イギリス国民の気持ちになれば、このブーイングは致し方ない。
もし、ぐずぐずして国際体操連盟への抗議が遅れたら、どうなったか。あと味の悪さは何倍にもなっていたはず。
何日かあとになってから、ひっくり返るよりも、あの場で決着したのは、大正解であった。
どういう手順で照会したのか。
推察するに、英文で素早く採点の疑問点をしたためたのだろう。いずれにしろ国際体操連盟に対してルールにしたがって内村選手の「下り技」に関する採点の異議を上申した日本男子コーチらの機敏な措置を称えたい。
〔フォトタイム〕
高田馬場駅周辺その2
大きな壁画がありました。
コメント
コメント一覧 (24)
餅つき君なら、絶対無理ですね、300ドルは無駄使いとうか、ひと晩を賭けて考えてしまうなあ、
小生でも無理です。抗議されるほうが慣れてしまい、抗議すら分からなくなっております。
実は女房が元AI(artificial intelligence)学者です。専門は、自然言語の生成と認識アルゴリズムの研究です。むろんあいつが今でも忙しくていざを遊べない。しかし昨夜偶然小生の隣で ≪続く≫ mochizuki何とかを見たら、 こう言った「mochizukiさん」は人間ではなく、カノジョの研究室の同僚の試験アカウントです。
説明はかなりむずいですが、簡単に言うと、「mochizukiさん」は、自然言語(いざでは無論日本語ですけれど、米こくでは、mochizukiも有名なバーチャルロボットです)の生成マシンです。所謂コメント生成マシンです。
日本の皆さんが親しみを持つしわちゃんというか、ターミネーターというやつです。ただ、餅つき君は、それほど害はないので、ご心配なさらず、あいつを人間と思わないで遊べばよい。
> 今夕の朝日新聞によれば、<国際体操連盟(FIG)の規定で、得点が出た直後に書面で申し出れば、正式な形で「照会」できる。ただし、これには300米㌦が必要。やみくもに照会をうけないためにFIGがきめたルール>とか。
> 日本チームは300㌦を惜しまずに、素早く照会を求めたのだ。これは賢明であった。
> イギリスは、体操男子で100年以上もメダルを獲得していない。したがって銀メダルが、途端に銅メダルになって、場内はブーイングが沸き起こった。
> イギリス国民の気持ちになれば、このブーイングは致し方ない。
> もし、ぐずぐずして国際体操連盟への抗議が遅れたら、どうなったか。あと味の悪さは何倍にもなっていたはず。
>何日かあとになってから、ひっくり返るよりも、あの場で決着したのは、大正解であった。<
あの~ぅ、『照会(問い合わせて確かめる事様)』・『抗議(自身や第三者の権利に対して作為もしくは不作為による侵害をなす者、あるいは義務を怠るとされる者に対して異議を申し立てる事様)』・『物言い(異議を口に出す事様)』は、其々異なる概念を認識・表現する用語であり、国際競技に於いては勝たなければならないなどと云う『けち;吝嗇』な価値観に基づいて混同すると誤解・曲解が生じ、愛国心を刺激して国民を一体化させ相手国に敵対する因縁になるでしょうね、きっと…。
尚、法に則った『物言い・抗議』や合法な自救行為としての『物言い・抗議』または不法な自救行為としての『物言い・抗議』の具体的な境界を一般論で述べることは難しく、多くの場合は事例毎の判例を参考にするしかなく、適切な範囲での『物言い・抗議』は当然の権利や義務と見做されるが、限度を超えると脅迫・強要・業務妨害といった不法行為と見做されるでしょうね、たぶん…。
≪続く≫
ちなみに、暴走が止まらないというソフトウェアの一番酷いバグです。
恐ろしいですね。
2012/08/01 07:03の続き
例えば、2012年7月30日のロンドン五輪体操男子団体総合決勝での鞍馬競技に於いて、日本選手の内村航平さんが倒立姿勢の均衡を崩しながら終えた最後の降り技を、審判団は『終末技』として認めなかったのに対して、日本選手の現場指導者である森泉貴博さんらが審判員席に向かい『物言い』をつけ採点基準との『照会』を要求したから、国際体操連盟(FIG)の技術委員らが高速度撮影の映像で確認した果報とし、審判団が原審判の採点を取り消して再審判の採点を採用したに過ぎないでしょうね、たぶん…。
体操競技に限らず柔道でもサッカーでも、審判員と雖も人間から誤審を犯す概念性があることを理解した上で、『物言い・抗議・照会』は因果の道理に沿い所定の規則に従って適切に手続きと処置を行い、審判員の権限に依る最終判定を容認するのが、選手・現場指導者・審判員・観客など運動競技関係者に対して普遍的に要求される健全な精神でしょうね、きっと…。
因みに、野球の場合は、公認野球規則9・02(a)に「ストライクかボールか、あるいはアウトかセーフかといった審判の裁定そのものに異議を唱えることはできない」と云う規定があり、また、公認野球規則9・02(b)に「審判の規則適用に疑義がある場合、監督は正しい裁定への訂正を求めることができる」と云う規定があるので、現場指導者や選手が『物言い』と『照会』の要求や『抗議』を行うことは許されず、是の規則に違反すると警告の後に退場処分が下されるが、然し、高校野球特別規則には「審判委員に対して規則適用上の疑義を申し出る場合は、主将や伝令または当該選手に限る」と規定されているから、監督が審判に対して直接『物言い』と『照会』の要求や『抗議』をすることは認められないようですね、きっと…。
尚、職業野球では、規則上明確に禁止されている事実関係に関する判定に対して『物言い』をつけ『照会』を要求することが黙認されており、要求を受けて審判団が協議をした結果、判定が覆ることも稀にはあるが、5分間以上に亘って『物言い』と『照会』の要求や『抗議』を続けたり、その際に審判員に対して暴言を吐いたり暴行を加えたりした場合は、遅延行為として退場処分になるようです、たぶん…。
まあ、いいか、東大病院でも治せない、社会報償赤字の原因なんで、おいらが無力だな、
納得できぬなあ、何とか対策を思い出せないかしら、
民主主義のルール範囲内では、無理だね¥
>「倒立は両肘が伸びていること」と規則を改めて倒立の定義が明確になる。<
あの~ぅ、手で立つ『倒立』は体操競技の中でも基本中の基本のようですが、『倒立』とは、「①逆立つこと。②足を上にして立つこと。逆立ち』と云う概念を認識・表現する用語であり、腕の形状は直接的には関係ないでしょう、たぶん…。
因みに、 足で立っている時でも、膝を曲げた状態や、股を開いた状態または、腰を前に曲げた状態や、後ろに反った状態でいると無駄な筋肉を使い、 疲れてきますが、それと同じ事が、手で立つ『倒立』でも云える筈で、つま先を伸ばし、膝を真っ直ぐににして、お尻の筋肉を締め、腰を真っ直ぐにしてお腹も出さず、肩も真っ直ぐにして、頭も出ていおらず、腕をのばし真っ直ぐな姿勢と、床をつかむ様にして手を付ついて指と手の平で微調整をする『倒立』が出来れば、無駄な力を使わないので、簡単に静止する事が出来ると思います、たぶん…。
然し、其の姿勢が、難度が高い『倒立』とは限らないでしょうね、たぶん…。
米アホさんも、もっちさんも、今回は大層苦しい米のようですね。
昨年の世界選手件で内村選手の床運動はG難度の「後方かかえ込み2回宙返り3回ひねり」だったのですが、E難度の「同2回ひねり」と見られてその時点で2位になりましたが、日本側の指摘で修正され、金メダルを手にした。
審判も見落とす事があるので、おかしいと思ったらすぐ抗議するべきですね。
今回も抗議の結果ビデオで確認して、抗議の正しさが確認出来たので、イギリスに気がねする必要はないと思います。
> 何とも後味の悪い結果でしたね。<
2012年7月30日のロンドン五輪体操男子団体総合決勝で、日本の内村航平さんが演技した鞍馬の得点が修正されたことについて、どうして“後味が悪い”のですか? みなとの石松さんは、 “不健全な精神”の持ち主で何か後ろ暗いことがあるのでしょうね、きっと…。
国際体操連盟(FIG)の規則に従った手続き経て、当初の誤審が修正された出来事は、優勝劣敗の原理に沿った体系を以って競技が管理運営され且つ選手の演技が公正に評価されたと云う、因縁と果報の道理が正当に遵守された事実が、現場・現物・現実に即応して証明されて“後味が良い果報”と知覚・認識するのが“健全な精神”の持ち主と見做すべきでしょうね、きっと…。
尚、国際体操連盟(FIG)の事務局長のAndre Gueisbuhlerさんは、記者団に対して「人間だから誰でもミスを犯すこともある。ジャッジミスはサッカーなど他のどの競技でもあること。誰もがジャッジミスを受け入れなければならない」と指摘した上で「現行のシステムがアスリートを守ってくれたことはうれしく思う。公正な判断だったと言える」と説明し、順位が入れ替わったことについては、「もちろん、ウクライナと英国選手が残念な思いをしたことは心苦しく感じる。ただ、日本は演技に相応しいメダルを手にした」と述べ、また、結果的にメダルを逃したウクライナの現場指導者は「不幸にも何らかの主観的な考えに邪魔されてしまった。選手たちはメダルに値していた」と不満を漏らしたが、一方、3位となった英国の現場指導者は「銀の方がもちろんよかったが、銅を手に入れることはできた」と納得した様子で話したそうですね、たしか…。
http://jp.reuters.com/article/mostViewedNews/idJPTYE86U01L20120731
因みに、これ等の見解の差異は、“優勝劣敗の原理と国際体操連盟(FIG)の規則についての理解・納得の程度”や“愛国心の偏狭性”と“国際的な友好心の寛容性”などの要素を含む“精神の健全性”に由来するのでしょうね、たぶん…。
≪続く≫
2012/08/01 20:35の続き
> 米アホさんも、もっちさんも、今回は大層苦しい米のようですね。<
その見解は、“不健全な精神”の持ち主と思しきみなとの石松さんの偏見・悪見・邪見にすぎないでしょうね、きっと…。
近代オリンピックの提唱者で、後に『近代オリンピックの父』と呼ばれるピエール・ド・クーベルタン男爵の「オリンピックで重要なことは、勝つことではなく参加することである」と云う謳い文句に基づく“精神の健全性”の要素は、“功績をあげたいと云う愛国心と得心”と“国際的に寛容な友好心と得心”および“競技規則を遵守する信義と得心”ならびに“優勝劣敗の原理に遵守する競争心と得心”などでしょうね、きっと…。
> 山本夏彦さんの教訓は、じつに応用範囲が広い。ロンドン五輪の内村航平選手のあん馬の採点において異変が生じた。こういうときにも、ぴったりの格言だと思った。
> 実際、体操の日本男子チームが銀メダルに輝いたのは、日本側が素早く審判団に「この採点はおかしい」とアピールした結果であった。<
あの~ぅ、体操の日本男子選手団が銀メダルに輝いた因縁と果報の道理を現場・現物・現実に即応して具に案ずれば、実際に日本の各選手が銀メダルに相応しい演技を為したこと及び、日本側が素早く審判団の採点に対して“物言い”をつけて“照会”を要求したこと並びに、“物言い”に対する“照会”・“再審査”が敏速の処置できるように、審判団に拠る審査採点の管理運営体系が整備されていたと云うのが、尤度が高い事実であり且つ正確度の高い情報でしょうから、先ず、“物言い”に対しする“照会”・“再審査”が現場・現物・現実に即応して敏速の処置できるような管理運営体系を整備した国際体操連盟(FIG)の功績を讃え、次に、所定の規則に従って素早く“物言い”をつけて“照会”を要求した日本の現場指導員たちの行動を称えるべきでしょうね、きっと…。
尚、国際競技に於いては勝たなければならないなどと云う価値観で愛国心を刺激し、国民を一体化させ相手国への生理的な敵対心を扇情して興味本位の享楽的・快楽的な人気を高めると云う『けち;吝嗇』の根性に基づいた、いわゆる“正論”を離れれば、時宜を得た適宜な“物言い・抗議”は、例え規則を逸脱しても判定結果が覆らなくても、現場・現物・現実に即応して“物言い・照会・抗議”を素早く行い敏速な処置は実施できるように管理運営体系を改善するために必要でしょうね、やぱり…。
故に、国際競技に限らず、あらゆる日常業務に係わる物事に対する『物言い・照会・抗議』は、法規則の正義と秩序の健全な実相を基調とする合理的な真理・真実を追究するための行為と、所定の法規則に従った合法的で正当な自救行為および、所定の法規則から逸脱し且つ不合理で不法・不当な自救行為とに識別し、業務に係わる技術・体系・工程・製品の品質と等級の向上を継続的に図る方便・文化とし、先人の努力を継承して将来に繋ぐのが現代人の役割でしょうね、たぶん…。
≪続く≫
2012/08/02 10:12の続き
尚、「オリンピックで重要なことは、勝つことではなく参加することである」と云う謳い文句は、実はピエール・ド・クーベルタン男爵の創作ではなく、1908年の4月27日から同年10月31日までに亘りイギリスのロンドンで行われた第4回夏季オリンピック競技大会に於いて、世界に君臨していたイギリスと急速に国力を伸ばしていたアメリカの選手団がお互いを敵視し、険悪な関係になった状況を危惧し、アメリカ選手団に随行していたペンシルベニア大司教のエチュルバート・タルボット(Ethelbert Talbot)さんが、日曜日に礼拝のためにセントポール大寺院に集まった選手を前に述べた、「オリンピックにおいて重要なのは勝利することよりむしろ参加したことであろう」と云う趣旨の説教に由来しているらしいですね、たぶん…。
因みに、「オリンピックの理想は人間を作ること、つまり参加までの過程が大事であり、オリンピックに参加することは人と付き合うこと、すなわち世界平和の意味を含んでいる」と考えていたピエール・ド・クーベルタン男爵は、ペンシルベニア大司教のエチュルバート・タルボット(Ethelbert Talbot)さんに依る前記の説教に感動し、イギリス政府主催の晩餐会に於いて、その言葉を引用して「人生にとって大切なことは成功することではなく努力すること」と云う趣旨の演説を行い、以後、オリンピックの理想を表現する名句として知られるようになったそうですね、たぶん…。
≪続く≫
2012/08/02 12:44の続き
そもそも、フランスのパリで貴族の家系の三男として1863年1月1日に生まれたピエール・ド・クーベルタン男爵は、1870年~1971に起きた普仏戦争の敗戦を引きずり沈滞した雰囲気が世間に蔓延した情状のフランスで青春時代当を過ごし、一般的には貴族の子息の多くが士官学校に学び、ゆくゆくは軍人か官僚または政治家になることを期待されていた道に満足できずに、次第に教育学に興味を示すようになり、事態を打開するには教育を改革するしかないと考えるに至ったそうですね、たぶん…。
実は熱心な愛国主義者で大のイギリス嫌いだったと思しきピエール・ド・クーベルタン男爵は、見聞を広げて平和主義の国際人に変貌し、先ずは寄宿制で中世以来の古い伝統を有する主として中・上流の子弟のための私立中等学校を視察するために渡英し、楽しみを求めたり勝敗を競ったりする目的で行われる身体運動に、イギリスの学生たちが積極的に且つ紳士的に取り組む姿を見て感銘を受け、たちまちイギリス贔屓になってしまい、そして、「服従を旨として知識を詰め込むことに偏っていたフランスの教育では、このような青少年は育たない。即刻、楽しみを求めたり勝敗を競ったりする目的で行われる身体運動を取り入れた教育改革を推進する必要がある」と確信したそうですね、たぶん…。
その後もピエール・ド・クーベルタン男爵は、精力的に各国へ足を伸ばし、見聞と人脈を広げていったが、とりわけ、欧州ほど階級や伝統・慣習に縛られていないアメリカでの体験は刺激的だ、アメリカ社会は、古代ギリシャの都市国家の自由さに似ていると感じたようですね、たぶん…。
結局、ピエール・ド・クーベルタン男爵は、当初は『自国の教育改革』のために、楽しみを求めたり勝敗を競ったりする目的で行われる身体運動を取り入れる必要性を感じていたが、次第に『国際的競技会』の構想を膨らませていき、世界各地を視察して、歴史書の『オリュンピアの祭典』の記述に感銘を受け、且つ、海外からの選手の招聘、交流試合などに携わることで、楽しみを求めたり勝敗を競ったりする目的で行われる身体運動が果たし得るもう一つの役割として『国際交流』と『諸法と正義と秩序の健全な実相を基調とする国際の平和』を見出したのではないでしょうか、たぶん…。
≪続く≫
2012/08/02 13:34の続き
故に、楽しみを求めたり勝敗を競ったりする目的で行われる身体運動が果たし得る役割として『自国の教育改革』および『国際交流』と『諸法と正義と秩序の健全な実相を基調とする国際の平和』を見据えたと思しきフランスのピエール・ド・クーベルタン男爵は、1892年にパリのソルボンヌ講堂で、フランス、アメリカ、イギリス、ギリシャ、ロシア、ベルギー、イタリア、スペイン、ハンガリー、ドイツ、ボヘミア、オランダ、オーストリアの13ヶ国を集めた国際会議を催して『近代オリンピック』を提唱し、『ルネッサンス・オリンピック』と名づけた演説の中で、『古代オリンピック』の概念を蘇生させて各国から選手が集まる運動競技の祭典を行い、世界平和を実現しようと訴えたから、後に『近代オリンピックの父』と呼ばれているようですね、たぶん…。
また、ピエール・ド・クーベルタン男爵が提唱した『近代オリンピック』の賛同者たちに依って1894年に『国際オリンピック委員会(仏: CIO、英: IOC)』が設立され、ピエール・ド・クーベルタン男爵が訴えた思想に共鳴したアメリカ、イギリス、オーストラリア、オーストリア、ギリシャ、スイス、スウェーデン、デンマーク、ドイツ、ハンガリー、フランス、ブルガリア、チリなどの国々が、1896年4月6日から4月15日までに亘り、ギリシャのアテネで開催された第1回夏季オリンピック競技大会に参加したようですね、たぶん…。
一方、日本に於いては、1860年12月9日=万延元年10月28日に摂津国御影村(現・兵庫県神戸市東灘区御影町)に生まれて、明治から昭和にかけて、楽しみを求めたり勝敗を競ったりする目的で行われる身体運動の道を開き、『柔道の父』とも『日本の体育の父』とも呼ばれ、1938年=昭和13年5月4日に没した、柔術家→講道館柔道の租=柔道家であり教育者でもある嘉納治五郎さんが、駐日フランス大使を通してピエール・ド・クーベルタン男爵より要請されて1909年=明治42年に『国際オリンピック委員会(仏: CIO、英: IOC)』の委員に就任し、また、1911年=明治44年に嘉納治五郎さんが創設した『大日本体育協会』が、現代に於ける『日本オリンピック委員会(JOC)』の始まりのようですね、たぶん…。
≪続く≫
2012/08/02 18:06の続き
嘉納治五郎さんは、明治政府に招聘された父に付いて1873年=明治6年に上京し、東京にて書道・英語などを学び1874年=明治7年に育英義塾に入塾した後、官立東京開成学校(後の東京大学)に進学し1877年=明治10年に東京大学に入学したが、然し、育英義塾・開成学校時代から自身の虚弱な体質から強力の者に負けていたことを悔しく思い、非力な者でも強力なものに勝てると云う柔術を学びたいと考えていたが、親の反対により許されなかったそうですね、たぶん…。
尤も、当時は柔術が殆ど省みられない文明開化の時代で、師匠を探すのに苦労し、柳生心眼流の大島一学さんに一時期学んだ後、天神真楊流柔術の福田八之助さんの門下として念願の柔術入門を果たした時期に、「先生(福田)から投げられた際に、『これはどうやって投げるのですか』と聞いたところ、先生は『数さえこなせば解るようになる』と答えられた」と云う、窮理の人である嘉納治五郎さんらしい逸話がありますね、たしか…。
また、第18代アメリカ合衆国大統領(在任期間1869年~1877年)で、琉球問題解決のため日中間の調停に尽力したと思しきユリシーズ・シンプソングラントさんが1879年=明治12年、7月3日に来日して、同年9月3日に離日するまでの2ヶ月間に亘り国賓として在日した際に、渋沢栄一さんの飛鳥山別荘に於いて12年7月3日頃にユリシーズ・シンプソングラントさんの前で嘉納治五郎さんが柔術を演武したそうですね、たぶん…。
嘉納治五郎さんは、1879年=明治12年8月に福田八之助さんが52歳で死んだ後は天神真楊流の家元である磯正智さんに学び、1881年=明治14年に東京大学文学部哲学政治学理財学科卒業し、磯正智さんの死後、起倒流の飯久保恒年に学ぶようになり、柔術二流派の技術を取捨選択し、崩しの理論などを確立して独自の『柔道』を創作して、22歳の1882年=明治15年に、下谷北稲荷町16(現・台東区東上野5丁目)にある永昌寺の12畳の居間と7畳の書院を道場とし囲碁・将棋から段位制を取り入れた『柔道』の講道館を設立したようですね、たしか…。、
≪続く≫
2012/08/03 04:47の続き
嘉納治五郎さんは、1883年(明治16年)10月に起倒流皆伝となり、柔術のみならず剣術や棒術、薙刀術などの他の古武道についても自らの柔道と同じように理論化することを企図し香取神道流(玉井済道、飯篠長盛、椎名市蔵、玉井滲道)や鹿島新当流の師範を招いて講道館の有段者を対象に『古武道研究会』を開き、剣術や棒術を学ばせ、また、弟子の望月稔さんや村重有利さん、杉野嘉男さんなどを大東流合気柔術(後に合気道を開く)の植芝盛平さんや神道夢想流杖術の清水隆次さん、香取神道流の椎名市蔵さんなどの下に入門させたそうですね、たしか…。
尚、嘉納治五郎さんは、1881年=明治14年に東京大学文学部哲学政治学理財学科卒業し、1882年=明治15年1月から学習院の教頭を務め、さらに、1893年=明治16年9月20日から1901年1920年=大正9年1月16日までの間に通産22年程度に亘り、東京高等師範学校(東京教育大学を経た現在の筑波大学)の校長と東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)の校長を務めたほか、旧制第五高等中学校(現・熊本大学)の校長などを務め、さらには、嘉納治五郎さん自身が『柔道』の精神として唱えた『精力善用・自他共栄』を校是とした旧制灘中学校(現・灘中学校・高等学校)の設立にも関わるなど教育者としても尽力し、文部省参事官、普通学務局長、宮内省御用掛なども兼務したようですね、たぶん…。
因みに、東京高等師範学校の校長のとして直接担当した『修身=倫理』の授業の講話に於いて、嘉納治五郎さんは、毎回「人間たる者、『なあにの精神(なあにくそ、これぐらいのことでへこたれてたまるか)』を以って事に臨むことが一番大事である」と云う極まり文句を強調したそうですが、駐日フランス大使ジェラールさんを通じてからピエール・ド・クーベルタン男爵の唱えるオリンピックの理念を聞き、楽しみを求めたり勝敗を競ったりする目的で行われる身体運動を取り入れて『教育改革』・『国際交流』・『諸法と正義と秩序の健全な実相を基調とする国際の平和』の実現と云う理念に共通性を観想したから1909年=明治42年に『国際オリンピック委員会(仏: CIO、英: IOC)』の委員への就任を受諾したのでしょうね、たぶん…。
≪続く≫
2012/08/03 11:29の続き
嘉納治五郎さんは、1909年=明治42年に『国際オリンピック委員会(仏: CIO、英: IOC)』の委員に就任してから『オリンピック運動組織;Olympic Movement(楽しみを求めたり勝敗を競ったりする目的で行われる身体運動を通じて、友情、連帯、正々堂々・公明正大な態度や行動を為す精神を培い相互に理解し合うことにより世界の人々が手をつなぎ、世界平和を目指す運動にたずさわる人々の一団)』に積極的に関与して『スウェーデン・オリンピック委員会(SOK)』の求めに応じ、1912年の第5回のストックホルムオリンピック競技大会に日本選手を参加させる準備をし、選手を派遣するための組織として、大日本体育協会(現在の日本体育協会)を創設して選手の予選会を実施し、短距離走の三島弥彦さんとマラソンの金栗四三さんの2名を、日本代表選手に選んだが、然し、東京高等師範学校の生徒であった金栗四三さんには、ストックホルムまで渡航する経済的な余裕がなかったので、嘉納治五郎さんは、東京高等師範学校で金栗四三さんの後援会を結成し、募金を呼びかけて資金を工面したので日本初の代表選手が1912年の第5回のストックホルムオリンピック競技大会に参加できたようですね、たぶん…。
因みに、『国際オリンピック委員会(仏: CIO、英: IOC)』と『国際競技連盟 (IF)』および『国内オリンピック委員会 (NOC)』が、『オリンピック運動組織;Olympic Movement』の三大構成要素であり、嘉納治五郎さんは、『国際オリンピック委員会(仏: CIO、英: IOC)』の委員就任以降に於いて、殆どすべての『国際オリンピック委員会(仏: CIO、英: IOC)』の会議やオリンピック競技大会に出席しており、オリンピック競技大会の終了後には、各国の『国際オリンピック委員会(仏: CIO、英: IOC)』の委員を訪問し、その国の体育や楽しみを求めたり勝敗を競ったりする目的で行われる身体運動の事情を見聞するとともに、柔道を紹介するなど、親交を深めたようですね、たぶん…。
≪続く≫
2012/08/03 20:59の続き
嘉納治五郎さんは、大日本体育協会を通じて日本選手を参加させることに奔走するとともに、1940年=昭和15年に開催予定の、第12回夏季オリンピック競技大会と第5回冬季オリンピック競技大会を日本に招致することに成功し、1936年=昭和11年の『国際オリンピック委員会(仏: CIO、英: IOC)』に於いて第12回夏季オリンピック競技大会は東京市で、第5回冬季オリンピック競技大会は札幌市で開催することが決定されて以降には準備が進められていたが、、嘉納治五郎さんは1938年=昭和13年5月4日に78歳で死亡しましたよね、たしか…。
然し、『日中戦争(1937年=昭和12年7月の盧溝橋事件を切っ掛けにして起こった大日本帝国と中華民国との間の戦争)』の最中という戦時体制下にあり、陸軍を中心に物資調達面の障害になることを懸念されて開催反対が叫ばれたことや『日中戦争』の交戦国である中華民国の選手団の出場問題などを巡り国外からも開催反対の意見が出たことを背景に日本政府が1938年=昭和13年7月に開催権を返上しましたよね、たしか…。
尤も、『国際オリンピック委員会(仏: CIO、英: IOC)』は、第12回夏季オリンピック競技大会の代替地として、招致合戦で東京の次点であったフィンランドのヘルシンキを決定し、また、第5回冬季オリンピック競技大会の代替地として、スイスのサンモリッツとドイツのガルミッシュ・パルテンキルヒェンを指名したが、何れも『第二次世界大戦(1939年=昭和14年のドイツのポーランド侵入によって始まり、イギリス・フランスの対独戦争、独ソ戦争、太平洋戦争と拡大した1945年=昭和20年8月の大日本帝国の降伏により終止した、日本・ドイツ・イタリアなどの枢軸国とアメリカ・イギリス・フランス・中華民国・ソ連などの連合国との間で行われた世界的規模の戦争)』の勃発により中止されましたよね、たしか…。
故に、フランスのピエール・ド・クーベルタン男爵が、1892年に国際会議を催して『近代オリンピック』を提唱したとき、『ルネッサンス・オリンピック』と名づけた演説の中で主張した、『古代オリンピック』の概念を蘇生させるという理念は実現できませんでしたよね、たぶん…。
≪続く≫
2012/08/03 22:31の続き
因みに、夏季オリンピック競技大会では開催されなかった大会にも第1回からの回次の通し番号をつけて公式に記録されるが、一方、冬季オリンピック競技大会では開催されなかった大会には第1回からの回次の通し番号はつけないので公式的にも“幻のオリンピック競技大会”となり、第5回冬季オリンピック競技大会は第二次世界大戦の終結後の1948年=昭和23年にスイスのサンモリッツで開催されましたよね、たしか…。
尚、『日中戦争』と『第二次世界大戦』の影響で中止された1940年=昭和15年の第12回夏季オリンピック競技大会の開催予定地であった東京市/東京都では、24年後の1964年=昭和39年に第18回夏季オリンピック競技大会の開催が実現し、また、『日中戦争』と『第二次世界大戦』の影響で“幻の(第5回)冬季オリンピック競技大会” の開催予定地であった札幌市では、32年後の1972年=昭和39年に第10回冬季オリンピック競技大会の開催が実現し実現しましたよね、たしか…。
然し、『自国の教育改革』および『友好的な国際交流』と『諸法と正義と秩序の健全な実相を基調とする国際の平和』の実現を見据え、いかなる差別をも伴うことなく、友情、連帯、正々堂々・公明正大な態度や行動を為す精神を以って相互に理解しあうオリンピック精神に基づいて行なわれる、楽しみを求めたり勝敗を競ったりする目的で行われる身体運動を通して青少年を教育することにより、平和でよりよい世界をつくることに貢献することを目的とする『オリンピック運動組織;Olympic Movement』に拠る『近代代オリンピック』の中に、楽しみを求めたり勝敗を競ったりする目的で行われる身体運動競技の大会の期間中は、移動の期間を含めて祭典のために休戦すると云う趣旨の『古代オリンピック』の概念を蘇生させるという基本的な理念を具現するには多大な苦難・困難を伴うでしょうね、やっぱり…。
≪続く≫
2012/08/04 01:05の続き
尤も、楽しみを求めたり勝敗を競ったりする目的で行われる身体運動・体育と教育や文化とを一体にした努力のうちに見出される悦びに由る肉体と意志と知性の資質を高揚させ、均衡のとれた全人の中に是等を結合させることを目ざす人生哲学のよい手本となる教育的価値、普遍的・基本的・倫理的な諸原則の尊重などを基にした生き方の創造するために、世界中でより多くの人々が、『自力本願・自行化他・精力善用・自他共栄』に由り、諸法の正義と秩序の健全な実相を基調とする安全な渡世と世間の平和を希求し、『なぁにの精神(人間たる者は、なぁに苦素、此れぐらいの事でへこたれて堪るかと云う根性を以って事に臨み、反省をして後悔はしないことが一番大事であるとする共同体などを特徴づける意識形態)』を以って、異体同心でお互いに相手の力を利用するために心身を鍛練し、その力を最も有効に使用する道を体得することに由り、無理・斑・無駄の極少化に向けて継続的に努力すれば、オリンピック憲章の根本原則に掲げられている理念と目的を実現・達成することも不可能では無いでしょうね、たぶん…。
http://www.joc.or.jp/olympism/charter/konpon_gensoku.html
結局、自然法の優勝劣敗の原理に沿い、武士道・騎士道や武術・格闘術・柔術・柔道などを起源とし、『オリンピック運動組織;Olympic Movement』に基づいて行われるべき“スポーツ:sports=楽しみを求めたり勝敗を競ったりする目的で行われる身体運動の総称”の本質は、『色心不二(有形の物質・肉体と無形の精神の関係は、不二成るが故に而して二と為って表われ、亦、二成るが故に不二と為って現れると云う概念)』の『悦楽(眼・耳・鼻・舌・身・意の六根を通じて心の底から痺れるような満足を意識して喜び楽しむ気持ちの事様)』を得ることでしょうね、きっと…。
≪続く≫
2012/08/06 17:42の続き
故に、オリンピック競技大会は、近代オリンピックの父であるピエール・ド・クーベルタン(Pierre de Frédy, baron de Coubertin)男爵に由って提唱された『オリンピックの理想;Olympism(対象を優秀な選手のみに限定せず、誰にでも当てはまる広義に世界の発展、国際理解、平和に共存することであり、社会や倫理教育の場に於けるスポーツ:sports=楽しみを求めたり勝敗を競ったりする目的で行われる身体運動の総称”の役割を強調した普遍的な社会哲学)』や、嘉納治五郎さんが提唱した『精力善用・自他共栄・なぁにの精神』などに由よる柔道の理念にひめられた平和的な人生哲学および、仏法の“自力本願・自行化他”などの説教を『愛楽(あいらく/あいぎょう;愛好する事様や、愛情と好意を持つ事様および、覚悟を得た先人の教えを願い求める事様)』して、諸法の正義と秩序の健全な実相を基調とする安全な渡世と世間の平和を希求し、世界中の人々が異体同心の協力をして、相互に相手の力を利用するために心身を鍛練し、正々堂々・公明正大の精神に従って是等の力を総て最も有効に使用する道を体得することに由り、無理・斑・無駄の極少化した世界平和に向けた“身体運動の躍動感;the movement of sports”を青少年に対する教育に貢献する『悦楽』を得るための方便でしょうね、たぶん
尚、“戦争対平和の試合”に於いては、平和が勝利するのは人類の歴史が証明する事実であると見做すことができるが、然し、平和側が『正々堂々とした試合態度』を以って無理・斑・無駄の極少化した世界平和に向けた“身体運動の躍動感;the movement of sports”について青少年に対する教育・啓蒙・宣伝に、『オリンピック運動組織;Olympic Movement』を通じて貢献する『悦楽』を得るには、単なる生理的な『快楽(眼・耳・鼻・舌・身の五根を主体とする官能的な欲望の満足によって起こる感情に因り快く楽しい事様)』や『享楽(思いのままに快楽を味わう事様)』および偏狭な愛国心などは弊履を棄てるが如しに捨て去る必要があるでしょうね、たぶん…。