塩野七生(しおの・ななみ)さんが20年以上も前に新潮社から出した著書に『マキアヴェッリ語録』がある。マキアヴェッリという名前が、急に懐かしくなって、「マキアヴェッリ先生、ほんとに久しぶりです」といった感じで、本棚の隅っこにあったこの本を手にした。

 

マキアヴェッリのことばなら、どれでもいいとばかり、ページをひらいたら66頁。以下、つぎの一節をとりあげたのも、偶然という次第。

 

<君主にとって、術策など弄せず公明正大に生きることがどれほど賞讃に値するかは、だれにもがわかっていることである>

 

<しかし、われわれの経験は、信義を守ることなど気にしなかった君主のほうが、偉大な事業を為しとげていることを教えてくれる>

 

<それどころか、人々の頭脳をあやつることを熟知していた君主のほうが、人間を信じた君主よりも、結果から見れば越えた事業を成功させている>

 

これは、マキアヴェッリの代表作『君主論』のなかにあることばだという。学生のとき、一応、『君主論』は読んだつもりだが、こういう一節があったのは、もうすっかり忘れていた。

 

<この理由を探るには、まず次のことを頭に入れておく必要があるだろう。

すなわち、成功を収めるには二つの方法があるということだ。第一の方法は法律であり、第二の方法は力である>

 

マキアヴェッリによれば、第一の方法は人間のものであり、第二の方法は野獣のものである。

 

成功を収めるには、手段を選ばず。野獣の力が必要という権謀術数の世界がマキュアベリズム。こういう生々しい処世術が、世の喝采をあびるはずもない。しかし、現実社会は、マキアヴェッリのいうとおりでもある。

 

(しばらくコメントを休みます)

 

〔フォトタイム〕

 

上野駅構内その1

上野駅の構内は、たしか以前紹介したことがありました。昨年12月、近くに用があったとき、構内に立ち寄って撮ってきました。