米アップルのiPad(アイパッド)が、28日、日本でも発売される。iPadとはインターネットやメール、映画や音楽、電子書籍などが楽しめる多機能携帯端末。ひょっとしたら、人類のライフスタイルを変えてしまうかもしれない、ともいわれるツール。
文明のあたらしいツールが出現したとき、かならず2つの見方があらわれる。それを是とするもの、否とするもの。
「ニューズウイーク日本版」6月2日号に、<iPadであなたはもっと馬鹿になる>という記事があった。
記事の執筆者は、同誌でテクノロジー分野を担当するダニエル・ライオンズ記者。内容自体、これまで散々いわれてきたことの繰り返しで、新鮮味はまったくないのだが、なぜか妙に身につまされるのだ。
<かつてコンピューターは、時間を節約するためのツールとされていた。しかし現実は正反対のようだ。インターネットのせいで、わたしたちは何もしないまま時間を浪費している>
<わたしたちの周囲にはかつてないほどの情報があふれ、そこから逃れることはできない。デスクの上にも、ポケットのなかにも、カフェのテーブルにもコンピューターがあるいま、情報はまるで空気に乗ってわたしたちの周りを漂っているかのようだ>
<なのに、自分がどんどん馬鹿になっている気がしてならない。平均していれば、われわれは上の世代より無知なのではないか>
<アップルストアに並ぶ長蛇の列や、歩きながら携帯電話をのぞきこむ人々。人類はゾンビになってしまった>
ゾンビとは、死体のままよみがえった人間のこと。コンピューターに振り回される人類への痛烈は批判である。
さはさりながら、iPadには、大いに関心がある。よしんば、馬鹿になっても、悔いはなし。人間、好奇心がなくなったら、おしまいだ。
〔フォトタイム〕
西武池袋線江古田駅北口その4
駅舎の上から北口を撮りました。
コメント
コメント一覧 (26)
今の若い人と違ってゲーム世代ではないので、コンピュータゲームには興味はないし、クリエーターのプライドとして人の作ったソフトで遊ばれるのは面白くないのです。
歩きながら携帯の画面を見ることはしません。第一に危険ですし、歩いている他の人に迷惑になります。混雑する電車の中で携帯を広げられると迷惑です。
歳を取ると眼が退化します。私も職業病なのか中心性網膜炎で10年前から右眼が見えなくなりました。そんなこんなで、プロの目から見て「おやめになれば」と申し上げたい。
「広告メディアと心理学の融合 ― 広告におけるメディアの役割と消費者の心理 ― 」
なんて、どうでもいいような演題だったんですが、その中の説明に、「6」という数字をひとつの境にした世代の感覚が違うというもので、パソコンなし世代・パソコン世代・ケイタイ世代・パソコンとケイタイすべてOK!世代 になっているとか。
私の説明では、不十分なので、
「 ネオ・デジタルネイティブの誕生―日本独自の進化を遂げるネット世代 (単行本)
橋元 良明 (著), 電通総研 奥 律哉 (著), 電通総研 長尾 嘉英 (著), 電通総研 庄野 徹 (著) 」
を、良かったら読んでみてください。
私は彼らから、直に説明を聞いたので、買う予定はありません。
自分が出来なくて、怠け者になるから人も、みんな怠け者になると考えてほしくないだけです。
彼らのように優秀な人たちにも、勘違いして記憶していると思われることや、おかしな思い込みがあることを感じました。
それは誰しもあることなので・・・
だから、「社会は、面白い。」と思っています。
どんどん馬鹿になっていくから、自分の得意とすることを発揮して、ダメな部分は、別の、それを得意とする人に支えてもらう。
みんなで助け合えば、大きなパワーが生まれますが、ダメな部分を責め合えば、元々持っているパワーも無くなってしまいます。
一概には、言えないことですが・・
その人の、今が、とっても素敵だとお互いが認め合いましょう。
.:♪*:.:♪*:・'(*⌒―⌒*))).:♪*:・
余計なことを書きましたが、言いたいことは、同じなんですね。
きっと。
ですね。農業一つとっても油とか機械が要る様になったのが
人間社会の文明化って奴ですからね(^◇^;)
ある種の苛立ちと言いましょうか、上から目線の様な
ものを感じます(^_^メ)
自動車事故が多いからって我々は馬車や人力車の時代に
戻る訳には行かないのです。結局は道具を使う人間の
問題であるのが人類の文明って奴だと思いますがね
┐(´д`)┌ ヤレヤレ
だからと言って温故知新を否定する気はさらさら有りませんし
寧ろ、温故知新と言うのは何時の時代にも存在しますし
未来にも存在する考えでしょう'`,、( ´∀`) '`,、
所詮、ダニエル・ライオンズの言い分はピラミッドに
書かれているもの凄く古い落書き「今の若い奴は・・・・・・」
と同じ意味でしか有りません┐(´д`)┌ ヤレヤレ
自分はパソコンがPC9801といわれていた時代から使っていましたが、当時は「パソコンなどワープロの代わり」とか「パソコンネットをやると馬鹿になる」とかいわれていた記憶があります。
かくいう自分も、イベントまではiPadは「電子書籍」と思い込んでいました。正直、パソコンが使えないおじさんと数年度同じ扱いを受けるのではとヒヤヒヤしています。
電子書籍というよりは、ゲームプレーヤーとか超薄型のネットビューアと思った方が良さそうな印象です。
若い人たちはおもちゃ感覚の目的で使うことになるみたいな印象です。
あとサイズはイメージより気持ち小さめです。
ちょっと重いかな?という感じもあるのですがなれれば大丈夫なぐらいの重さだと思います。
自分は落ち着いてきてから買う予定です。行列が苦手なので。。
>所詮、ダニエル・ライオンズの言い分はピラミッドに
>書かれているもの凄く古い落書き「今の若い奴は・・・・・・」
>と同じ意味でしか有りません┐(´д`)┌ ヤレヤレ
いつの時代も「今の若い奴は・・・・・・」なんですよね。
自分たちを基準にして見て、自分たちが普通に出来ることが出来ることが出来ないと、こう言う。
自分たちより素晴らしい部分は、理解しようともしないから認められない。
ダメなのは、自分たちであり、何よりも、自分自身であるのに・・・
でも、現在の人は、そのことを理解し始めたのでしょうね。
写真をネット注文して驚きました。すごく速く、そしてお安いのです。
L判プリント1枚11円、180枚注文しても1980円でした。
写真店では、1枚37円ですし、持参するにはガソリン代もかかります。
情報があふれかえっている中で、自分にとって「必要なもの」を取捨選択
できる「デジタルリテラシー」を身につけることが大切です。
<わたしたちの周囲にはかつてないほどの情報があふれ、そこから逃れることはできない。デスクの上にも、ポケットのなかにも、カフェのテーブルにもコンピューターがあるいま、情報はまるで空気に乗ってわたしたちの周りを漂っているかのようだ>
>いつの時代も「今の若い奴は・・・・・・」なんですよね。
>自分たちを基準にして見て、自分たちが普通に出来ることが出来ることが出来ないと、こう言う。
>自分たちより素晴らしい部分は、理解しようともしないから認められない。
全く以てその通り!!だとabusanは思います(^^;ゞポリポリ
恐らく大島さんのエントリーも、そう言う意味も有るのでしょう。
新しい機器だからと言って受け入れられるとは限りませんのに
イザ流行るとなるとこう言ってケチを付けたくなる人って
居るのですな。特にマスコミの周辺に┐(´д`)┌ ヤレヤレ
別の言い方をすれば、ジャーナリストが現代の現象に対する
好奇心を失ったらお終いだと言う事を大島さんのエントリーは
示唆していると言えますな(^o^)
高飛車に偉そうに構えて何がジャーナリストだ!と。
個人が外で使う情報機器としては
十分な機能を一台で全て賄える
思考の道具には不十分ですね
情報を引き出す機能は十分ですが、情報を送る事を考えると
不十分ですね
正直、老眼世代はあの画面では辛いです
私はipodtouchユーザーです。ゲームはしませんが便利です。
一番頻繁に使うのは「家計簿」ソフトです。レジを待っている間に必要な項目は打ち込めてしまうのだから、本体を忘れない限り確実に記録できます。
次に内蔵の「カレンダー」これはグーグルカレンダーと同期し、妻のアカウントと相互に閲覧権限を与えれば、家や子供の予定などもいつでも知ることができます。
「産経電子新聞」のアプリも入れていますが、これはさすがにipodtouchの画面ではつらいです。読みやすいサイズに拡大すると、スクロールしないと記事が読めなくなりますので。ipadであればこの不満は解消出来そうですね。
それから電子図書=紙媒体のものを単に電子化しただけなら、メリットは「紙に埋もれずに済む」しかありません。ただ、本は前から後ろに読むもので、せいぜい脚注で簡単な解説を見ることしか出来ないでしょう?小さな文字の本は、虫眼鏡が無いと見えにくいでしょう?いくら紙は眼に優しいとはいえ、老眼が進めば相当しんどくなると思います。
しかし、電子図書の場合、工夫次第ですが、ハイパーリンクによってその次のわからないものをすぐに調べられる、はたまた見にくい小さな字や写真を拡大できる。こういうことは「電子媒体であるからこそできるメリット」ではないでしょうか。
特にマニュアルや辞書といったものの場合、こういう工夫次第で使いやすさが全く異なることでしょう。
実際、大辞林というアプリは、ハイパーリンクによって、他の類義語や関連語にすぐに飛ぶことが出来ますので、知識欲を相当程度満たすことが出来るすばらしい辞書に仕上がっています。
新しいものに対する想像力・発想力を失い、先入観のみで否定してしまえば、使いこなせなくなるのは当たり前でしょう。
もっとも自分が使いこなせないものに興味がわかないのも道理だと思いますし、うちの親に無理矢理使わせようとも思いません。
ちなみに、混雑する電車の中で携帯を広げられるのが迷惑なのは一般的には「通話」であって、メールを打っている、あるいはインターネットを眺めている、そういう人に不快感を持たれる方はきわめて少数ではないかと思います。新聞・雑誌に比べれば専有面積などたいしたことはありませんので。
電子物は好きですけどアナログな書籍が一番と思うので当分は買わない。
電車内で読むにはいいのかも知れませんが、そうなるとカラーでない方が良いのでは。
新聞とネット版、書籍と電子ブックは共存でしょうね。
対比で言えばテレビとラジオとも言えます。
聞くところによると今のところ日本向けのものにはiBOOKs(ブックリーダーは入っていないとか。
それから暴力的/性的表現に対する基準が相当厳しいらしいので既存の漫画やゴシップ紙レベルだと掲載できないものが多いとか。
どちらかというとグラフィカルな分野の方が得意そうなのに残念です。
現行ではPDFリーダー兼ブラウザにしかならないのかも・・
歩きながらの大声はエチケット違反です。
そうです、いいたいことは同じです。
<結局は、道具を使う人間の問題>に同感です。
わたしも落ち着いてから、様子をみて考えてみようと思っています。操作がもっとかんたんになるのを願って、です。
おっしゃるように、どれだけデジタルリテラシーを身につけられるかが、これからの生き方を左右しそうです。
やはり、多様な機能は魅力ですね。
活字ジャーナリズムに生きてきましたので、そうおっしゃっていただけるとうれしいです。活字は、永遠に存在すると思っています。
まだまだ不備な点が多いと思います。どんどん進化していくのでしょうが。
>なのに、自分がどんどん馬鹿になっている気がしてならない。平均していれば、われわれは上の世代より無知なのではないか
たぶん「無知」というよりは「経験」が非常に少なくなったということかと。
私自身を見てみると、知識自体は真偽のほどはともかくも非常に増えています。ネットからの情報が無ければ全く無知状態だったと思います。
が、行動は?読書や音楽鑑賞と言う行動はほとんどなくなり、観劇(千~2千円程度素人劇団ばかりでしたがw)も無くなったのは、、歳のせいとw。外出は子供がいるので財布に負担がかからない程度にはするようになりましたが。でも「正しい行動」を取る機会が少なくなった気もします。
「あたまでっかち」
「かっこ満点中身零点」
「口先」
は子供のころに忌非されていたことです。
歳を経るにつけ、というか、棺桶を意識するようになってから、貧乏でも地位が無くとも、ごく平凡でも、子供に恥ずかしくない生き方をしてくようにしよう、少なくとも人間的には自分で恥ずかしくない人間になろうと。
「苦労は買ってでもしろ」
「ひとにやさしく自分に厳しく」
とか難しいですけどね
だらだらと失礼しました。
そうですか、やっぱり読書量が減りましたか。わたしもそうで、これは困った現象と思っていても、だんだん減るばかりです。