40年前の昭和451970)年331日、赤軍派による日航機「よど号」乗っ取り事件が起きた。羽田発福岡行きの「よど号」に乗り合わせた乗客のなかに、聖路加国際病院の日野原重明理事長(98)がいた(当時、日野原さんは同病院の内科医長だった)。

 

けさの産経新聞に当時を振り返った日野原さんの一文が掲載されている(寄稿の要旨)。機内の様子を伝える貴重な証言であり、その一部を抜粋してみたい。

 

<ハイジャック3日目に機内放送があり、山村新治郎代議士が乗客の身代わりになって赤軍とともに北朝鮮へ出発することが伝えられた。乗客のひとりがハイジャックとはどういう意味かと質問したが、田宮(高麿)代表も答えられなかったので、わたしがマイクをもらって、「ハイジャックする人が説明できないのはおかしい」といったところ、一同は大笑いして、座が急に明るくなった>

 

<生きるも死ぬも皆が同じ運命にあるという意識から生じたストックホルム症候群という敵味方の一体感に一同が酔ったといえるかもしれない>

 

<赤軍一同が革命歌「インターナショナル」を歌うと、乗客のひとりが別れの歌「北帰行」を高らかに吟じ、学生時代に左翼運動に参加したと思われる乗客たちが手拍子をとって一緒に歌ったりもした>

 

「よど号」の乗客たちは、ハイジャックから4日目のあさに解放されたが、日野原さんは、「金浦空港(韓国)の土を踏んだときの靴底の感覚をわたしはいまでも忘れることができない」と述べている。

 

誘拐事件などでもみられるストックホルム症候群は、経験したことはなくとも、その心理状況は容易に理解できる。極限状態においては、加害者と被害者の感情が微妙に交わることもあり、それがときには部外者から誤解の目でみられることもある。

 

渦中の心理状況は、そう単純ではないのだ。

 

現在、北朝鮮に残る赤軍メンバーはすでに60代。北朝鮮での40年間の生活は、なんだったのだろう。

 

〔フォトタイム〕

 

カルティエ南青山店その2

地下鉄の表参道駅のすぐちかくです。