NHKアーカイブスの、そのまた録画で、永平寺で修行する雲水たちを追ったドキュメンタリーをみた。2度目にもかかわらず、新鮮で感動的だった。真面目な若者たちの、一途な姿というのは、じつに清々しい。
200人を超える永平寺の雲水のなかに、坐禅や読経をほとんどおこなわない者がいる。せっかく大本山に居ながら、禅宗の基本中の基本であるはずの坐禅もしない修行僧というのは、どういう存在なのか。
永平寺では、台所を大庫院(だいくいん)というが、ここで働く雲水は9人。かれらは、深夜2時半には200人を超える永平寺で修行する僧の食事の用意にとりかかる。
家庭で料理などつくったこともない若者たちが、先輩に教わりながら、毎日、夜明け前から料理づくりに専念するのだ。かれらの感想を聞いてみよう。
「かなり、たいへんです。料理に追われて休む暇もない状態です」
「やはり人間ですので、ときにはゆっくり寝たいな、と思います」
「慣れてきますと、面白いというのは変ですけれど、料理をつくるのは、毎日毎日、味がちがってくるので、そういうところに面白さがあります」
9人の料理番雲水を率いるのが、「典座(てんぞ)」といわれるベテラン僧。道元は、厨房を指揮する典座を禅寺のなかで最も重い役割と考えた。道元によれば、典座は悟りを求める深い心がなければつとまらないという。
中村勘太郎が道元を演じた映画「禅 ZEN」に、留学先の宋で道元が年老いた典座と出会う重要な場面がある。「食事づくりなど、だれにでもできる仕事ではないか」という道元を、典座は「あなたは修行のなんたるかを知らない」と笑い飛ばした。
坐禅や読経が修行だと思っていた道元は、このひとことに衝撃をうけ、これを契機に食事づくりを重要視していった。
あすからはじまる3月は、異動の季節。不本意な職場にまわされる場合もあろう。しかし、そこでくさるよりは、いま自分のいるところが最も重い役割と考えたほうがよい。懸命に努力し、仕事の喜びややりがいを早く会得したほうが、人生も充実してくる。
(しばらくコメントを休みます)
〔フォトタイム〕
歌舞伎座その7
建築家の隈研吾さんが設計を担当する、5代目のあたらしい歌舞伎座は、平成25(2013)年春に完成の予定です。
コメント
コメント一覧 (7)
家庭で料理などつくったこともない若者たちが、・・・
学校給食では、日に1食しか提供しないが、200食ぐらいは、3~4人で行う所が多いらしい。
料理に関心のある人たちが、自分から進んでその職を選んだから出来ることなのかもしれない。
料理を作ったことのない人が、料理をすることは・・・
野菜の洗い方ひとつでも、大変なことだと思う。
ジャガイモの皮むきを機械で行うか皮引きを使うかでも換わってくる。
私の職場では、約80食を2人で行なっている。
児童数が急に10人以上少なくなった時から、手作り料理を多く取り入れるようにした。
児童数が多かった時より、休憩時間が少なくなった。
空いた時間には、調理室内の窓拭き・壁拭きなど午後だけでは出来ない掃除をしていたが、そのようなゆとりもなくなった。
この忙しさは、手作り料理が増えただけではないと想うが、何がどう違うのか分からない。
ただ、始めて行なうことは、辛いことも多いだろうけれど、楽しいことも多いだろうと想う。
座禅よりも辛く、さらに、学ぶことは多いと想う。
みんなが力を合わせなければ、全員の食事にならない。
全員の食事を作るだけのことだけど・・・
たった、それだけのことだけど・・・
生きることが、一番の修行ですね。 (*^_^*)
大島氏が雑誌正論編集長を務めておられた頃、総理経験者である故橋本龍太郎氏のインタビュー記事を雑誌正論で読んだことがあります。印象に残っているのは実父、橋本龍伍氏のエピソードです。足が不自由であったので国立の高等学校に入学できなかった。龍伍氏は文部省に直談判し、以後受験資格が見直されたという話です。
道元が留学先の宋で老典座と出会ったエピソードも、とても印象深いものですね。
こういう話題が尽きないのも産経新聞や雑誌正論の魅力の一つです。
4年前、どちらかと言えば、不本意な職場にやってきた私。
私にしか出来ないこと・その職場を離れる時には、誰にも喜んでいただこうと頑張ってきたが、現在「懲戒免職」か「退職」を選ぶように言われた。
私は自分から辞める気はないし、「懲戒免職」になるような悪いことはしていないつもりだから、「在職の存続」をお願いしている。
自分自身が、正しいと思ったことを最後まで貫くことも大切なことだと思う。
だけど、そのために、他の人を悪者にすることもあってはならないと思う。
だって、他の人たちも、自分の正しいと思っていることを貫いているのだから・・・
仕事のやりがいなんて、いくらでも見つかる。
自分が自分の殻を壊せないのを、人のせいにしているに過ぎない。
私は、そう思う。
私の人生は、いつもバラ色だと思う。
それは、私がバラ色だと思えるから・・・
ところで、実際のバラの花の色は、何種類あるのだろう?
中学時代の友人が、ある男性から、歳の数だけの真っ赤なバラの花をプレゼントしていただいたという。
ずっと、うらやましいと思っていたが、今の私は、年齢の3分の1でも、いただいたら困って、職場などへ持って行く。
自分だけが見ても、うれしくない。
みんなで見るからうれしい。心から美しいと思えると思う。
<自分自身が正しいと思ったことを最後まで貫くのも大切だけれど、そのために他の人を悪者にすることがあってはならない>というのは、そのとおりですね。
五台山、行ってみたいですね。
ご愛読に感謝します。橋本龍太郎さんのお話、わたしも感動しました。