和歌山毒物カレー事件は、結局、林真須美被告(47)の動機が解明されないまま、地裁、高裁、最高裁ともに死刑判決であった。「動機がわからないのに、極刑はおかしい」と被告側ではみているようだが、いちばん納得できないのは、被害者側であろう。
なぜ、殺されたのか。殺される理由が、どこにあったのか。これは天災ではないのだ、といった無念の気持ちが、遺族にはあると思う。
「動機なき殺人」というが、心神喪失など、ごく少ない例外をのぞけば、それはないと思う。果たして、動機なくして、殺意が生じるであろうか。
動機というのは、バカにされたとか、借金が返せなくなったとか、殴られたといった、わかりやすいものばかりではない。
ときには、思いがけないことも、殺意の動機になる。深刻な鬱積したものがあったときは、ほんのささいなことが引き金になる。太陽が、かっと照りつけたとか、犬に吠えられたといったことでも。
だれでも、日常的に感じることがあると思うが、自分のやった行動が自分でわからないときがある。たとえば、ある行動を起こしたのはいいが、自分はなんのためにここに来たのか、わからなくなる。それに類したことは、めずらしいことではない。
本人も忘れたことを第三者が推察するのは、不可能である。
いずれにしても、選択肢は、4つのうちのひとつということになる。
1、被告は、動機を隠している。
2、被告は、動機を失念した。
3、被告は、心身喪失であった。
4、被告は、なにもしていない。
一審、二審、最終審とも、結果として動機解明にこだわらなかった。言い換えれば、状況証拠にそうさせるだけの説得力があったということだ。
被告の次女は、事件当日の犯行推定時刻に母親と一緒にいたという。ただし、これでアリバイ成立ということには、ならない。周知のように裁判官は肉親の証言を採らない。
林被告のふてぶてしい姿に嫌悪感をいだいた人はすくなくないと思う。反省するどころか、真犯人は、べつにいると主張しているのだ。案外、これは自分の潔白を信じている子どもたちへの精一杯の愛情なのかもしれない。遺族には、耐えられない推測ではあろうが。
〔フォトタイム〕
渋谷駅のオブジェその3
忠犬ハチ公の近くでは、裸の子どもたちが飛び跳ねていました。
コメント
コメント一覧 (6)
本日のサピオ誌新聞広告にその件が出ていましたね。記事そのものは、まだ読んでいませんが。
浅野氏の発言は、「騒音おばさん」といわれる女性のトラブルについて一方的に面白おかしく取り上げているというものでした。
ネットの中では、かの女性が一方的に悪いのではなく、「宗教がらみのトラブルからおかしくなった。ある意味被害者。」と言われています。
カルデロン一家についても共同通信・毎日新聞・TBSの左巻き世論誘導、特にTV朝日・古館発言が批判されています。親兄弟7人以上が不法入国・不法滞在を隠蔽していた件で。私の家内も「見損なった。」と感想を述べていました。ちなみに、彼女の支持政党は「頑固に平和」です。
この事件、本人は冤罪を主張していますね。マスコミは本当に扇情的で無かったか?どうなのでしょうね?マスコミを信用しない中高年が激増している気がします。もちろん私を含めて。
そう云う理由からの犯行であったとしたら、被害者は特定の人物である必要もなく、偶々運悪く致死量のカレーを食べた「社会を構成する」隣人やコミュニティーの人間の死亡によって、加害者の目的は達成されたことになるのではないでしょうか。
メディア自体が、いまやニュースの対象になっています。世間のきびしい目にさらされています。「サピオ」の新聞広告をみて、ぜひ、購入しようと思っています。
<「社会や世間への復讐」的心情が動機>というのは、怖いですね。これはもう、無差別テロです。
>parkmount さん
><「社会や世間への復讐」的心情が動機>というのは、怖いですね。これはもう、無差別テロです。
毒カレー事件の実体は「無差別テロ」ではなかったでしょうか。
その日、現場に居合わせた人々にとって、この犯行はまさに無差別テロであったと思います。