話題になったものは、なんでも関心をもつ性分なので、米アカデミー賞・外国語映画賞を受賞した映画「おくりびと」(滝田洋二郎監督)も、ぜひとも、みたいと思っている。
本木雅弘演じる主人公は、納棺師。その役目は、<亡くなった人の体を清め、化粧をし、旅立ちの衣裳を着せて棺に納める>ことだという(朝日新聞24日付夕刊)。
朝日の記事では、新米納棺師になった元刑事の女性(37歳)が紹介されていた。葬儀会社に勤めて8か月になるという女性は、「最初の3か月ぐらいはよく泣いていました」が、「(映画の)主人公と同じように半年やってみて、やっと続けていけるかもしれないと思い始めた。『おくりびと』は、なくてはならない仕事です」と語っていた。
おそらく、さまざまな場面をみてきたにちがいない。
映画「おくりびと」の原作は、青木新門著『納棺夫日記』(文春文庫)。まだ読んでいないが、けさの産経新聞に、「ゆうゆうLife」編集部の佐藤好美記者が、<枯れ木が倒れるような死>と題したコラムのなかで、この本の一部にふれていた。
<青木さんが納棺の仕事を始めた昭和40年代初期は、自宅で亡くなる人が半数以上。「枯れ枝のような死体によく出会った」>
<ところが、病院死が大半になり、「点滴の針跡が痛々しい黒ずんだ両腕のぶよぶよ死体」が増えた>
<「生木を裂いたような不自然なイメージがつきまとう。晩秋に枯葉が散るような、そんな感じを与えないのである」と記している>
このおくりびとの感想に、考えさせられた。だれしも、できれば、晩秋に枯葉が散るように逝きたいと思っている。
ただ、身内の心情も理解しなければならない。一日でも長く、延命を願う気持ちもまたわかる。
佐藤記者によれば、病人が口から食べられなくなると、点滴だけでなく、<今や、技術はさらに進み、胃や腸に直接、管を通して栄養を入れる>のが、当たり前なのだという。これは、医療現場の判断。ある程度の年齢になれば、そこまでして生きても、という気にもなるのだが……。
〔フォトタイム〕
港区立イタリア公園その5
並んでいる円柱は、トスカーナふうだそうです。
コメント
コメント一覧 (8)
>ある程度の年齢になれば、そこまでして生きても、という気にもなるのだが……。
お義母さんのように、穏やかに終末を迎えたい人は多いと思います。
私も今朝の産経新聞の記事を読みました。
死ぬ時は、枯れ枝のように死にたい、と思います。
私の父は癌で死んだのですが、入院前に、自分で治療の方針を書いて、自宅に残していました。
「延命措置はするな」「寿命が縮まっても良いから痛み止めを打て」という事でしたが、そのようにしました。
子供に自分の意思表示をしておく事が大事だと思います。
人それぞれの死生観がありますから、家族で確認した方が良いですよね。
おっしゃるとおりですね。「寿命が縮まっても良いから痛み止めを打て」というお父さんの方針に、同感の人は多いと思います。
そうですね。それぞれに死生観があり、看取る側にもそれぞれに考え方があります。きちんと確認しておくべきですね。
多くの日本人には、散骨への抵抗感があるように思えます。