日馬富士(はるまふじ)とは、意表をつく、しこ名である。「日」という字が「はる」とも読めるとは、知らなかった。歌舞伎であれ、落語であれ、改名や襲名によって、器(うつわ)が大きくなるのは、よく知られたこと。横綱を目指して、日馬富士の一層の活躍を期待したい。
安馬(あま)も、わるくはなかったと思う。最初、「あんま」と読むのかと思ったが、一度、覚えたら、忘れられない名前だ。意外に、といっては申し訳ないが、とにかく、軽量級にしては、抜群に強いので、だんだんと安馬という、しこ名に馴染んでいった。
師匠の伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)が、まだ安治川親方と名乗っていた頃に、入門したので、安治川の「安」と、出身のモンゴルの草原を疾走する「馬」を組み合わせて、「安馬」としたようだ。名前というのは、本人の努力によって、いくらでも大きくできるものなのだ。
いま24歳の新大関は、2001年の初場所が初土俵。当時は、身長180㌢、体重86㌔で、あだ名は「かまきり」だった。相撲の世界では、体重86㌔というのは、軽いほうだが、それでも、15歳で来日した白鵬少年のときの体重よりは、重い。
入門時の白鵬少年は65㌔しかなく、当初は、引き取り手がなかった。当時の宮城野親方、現在の熊ケ谷親方(元幕内竹葉山)に見いだされなかったら、今日の横綱白鵬はいなかったかもしれない。
現在、白鵬の体重は154㌔、ご承知のような、堂々たる体躯であるが、日馬富士は、いまだに129キロ。なかなか体重がふえない。体質なのだろうが、白鵬のように、チャンコをたくさんたべることができなかったのだ。
軽量というハンデを猛稽古でおぎなってきた日馬富士、重量級の力士を正攻法で攻めまくる姿に、ファンはしびれる。それに白鵬同様、真面目で温和な性格であるのもよい。
〔フォトタイム〕
竹芝桟橋その4
竹芝ふ頭は、昭和9(1934)年、日の出ふ頭、芝浦ふ頭についで、3番目に完成しました。
コメント
コメント一覧 (13)
軽量力士といえば、北の富士が好きでした。日馬富士もまだまだ若いですから、横綱になることは可能だと思います。重すぎてケガばかりしている役力士も多いですから将来が楽しみです。
日本人の若手力士たちも、がんばって昇進してほしいものです。
120キロ代の小兵力士、「北の富士」や「初代若乃花」のような、技が光る横綱になって欲しいと思います。性格も素直そうなので伸びるでしょう。
お気持ち、良く解かります。何か晴れ晴れとした「若武者」感覚ですよ。
小さき者が大きくなるとき、穏やかながらも引きを知らない「力」が漲る。
この感覚ですネ~。
≪白鵬同様、真面目で温和な性格であるのもよい。≫
そして土俵上では溢れる闘志。
何故か「荒ぶる魂」では西洋感覚。「秘めた力の神憑り」。これも違うか。
なんとも言いようのない好い感覚ですネ。
≪フォトするタイム≫
冬の晴れ間の竹芝ふ頭は、外海に出る旅の最後の泊まり場。
ここで一服煙草に火を点ける。紫煙は勢い良く塵散りに消える。
天気は穏やかだけど小波はざわつき、風が頬を冷たく切って去る。
東京湾を出てゆく船尾を追って、遠くの雲間を見上げると、抱えているコンピュータの厄介な問題にも何か新しい局面がありそうな期待が蘇える。
それは新聞記者も同じこと。帰って仕事に打ち込もう。
何故か、戻る足取りにも力が入る。
牛若丸が大男の弁慶に挑む、そういう気分にさせてくれる新大関です。
新大関を日本人と思っていた人は、少なくないでしょう。日本人以上の気概で、白鵬とともに、相撲を盛り立ててほしいと願っています。
竹芝桟橋の雰囲気を伝えていただき、ありがとうございました。また、立ち寄ってみたいところです。
日本人の横綱が引退してから、もう何年になるのか。千代の富士や、貴若兄弟などが活躍していた頃が、なつかしいですね。
相撲界は、日本語だけですので、上達が早いのでしょう。白鵬は、「日本語は、むつかしくない」といってました。
ものすごく絵がお上手です。
大関昇進の特集で、ご自身の描いた絵を何枚か拝見しましたが見事でした。
とても繊細で、緻密な絵を描かれます。
日本人力士に横綱がいない事は寂しい限りですが、
低迷する角界を横綱・白鵬とともに、牽引していって頂きたいです。
そういえば中国人の相撲取りはまだいない様ですが
中国人は尻を出すのを嫌がる民族なんでしょうか。
それとも格闘技はあまり向かないのでしょうか。
一つ日中友好という事で
我こそはと考える中国人に出て来てもらいたいものです。
しこ名は、蒋介関や毛沢東関なんかはどうなんでしょうか。
あるいは関羽関とか万里関なんかはどうでしょうか。
日中友好という事で、一尻脱いで欲しいものです。
お邪魔致しました。
ひとかどの関取は、やはり文人としての才能もあるようです。
オリンピックの結果でもあきらかなように、中国の男性は、ネットを間にしたスポーツは強いですが、直接接触するスポーツは、あまり強くないようです。なにか、そこに民族性があるのか。いずれ、じっくり研究して書いてみたいと思っています。