ポピュリズムとは、大衆迎合主義。主に政界用語として、よく使われる。民主政治の根幹は選挙であり、選挙があるかぎり大衆への迎合が消えることはあるまい。政治の場合、問題となっているのは、その度合いであろう。

 

その点、司法とポピュリズムの関係は、政界ほどには目立たない。それだけに韓国大統領の発言には、意表をつかれた。

 

韓国の有力紙、中央日報日本語版(9月27日)によれば、李明博(イ・ミョンバク)大統領は、26日、韓国司法60周年記念式典の祝辞で、「司法のポピュリズムは、警戒しなければならない」としたうえで、「国民の信頼は、人気と世論ではなく、正義と良心の声から生まれる」という認識を示したという。

 

大統領がこういったのは、韓国の司法界に、ポピュリズムがはびこっている、ということでもある。具体的に、どういう状況にあるかわからないが、裁判などで、法治ではなく、人間関係による、いわゆる人治がみられるのか。あるいは、裁判などに対するメディアの強い影響力への牽制球なのか。

 

いずれにしても姑息な司法のポピュリズムは、言語道断だが、さて、日本は、どうなのだろう。司法のポピュリズムなんて、お隣さんのこと。わが国は、ぜんぜん、問題ありません、ということであれば、よいのだが。

 

司法のポピュリズムをもうひとつ、べつの観点からもみてみたい。それは、法は、完全無欠ではない、ということだ。法もまた、生きもの。時代とともに、変わりゆくこともある。したがって、司法のポピュリズムを全面的に否定してはいけない。法曹人は、大衆の気持ちをまったく無視することはできないと思う。

 

10月1日は、法の日。ちょうどいい機会だから、司法のポピュリズムを表と裏から考えてみたら、いかがであろう。

 

〔フォトタイム〕

 

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