35年前のきょう、日中の国交が正常化しました。田中角栄首相と周恩来首相が、日中共同声明に署名し、握手した日ですね。9月26日夜に放映されたNHK「その時、歴史が動いた」300回記念の、「日中国交正常化35周年」をご覧になった方は多いと思います。

 

あの番組で印象に残っているのは、病に倒れた後の田中さんが、当時の江沢民総書記の招きで北京を訪れる映像でした。出発から江総書記との会見まで、すでに生気をうしなった田中さんですが、これほどまでに克明に世間に姿をさらしたのは、おそらくはじめてではないでしょうか。田中家の承諾をえたうえでの放映にちがいない、と思いました。時、あたかも福田康夫首相の誕生というとき、なにか因縁めいたものを感じました。

 

中国では、古来より井戸を掘った人を大切にしてきたといわれています。田中さんは、日中正常化という井戸を掘った人。たしかに、中国共産党政権の田中さんに対する礼遇ぶりは、たいへんなものでした。礼遇と冷遇、おなじ発音ですが、このちがいの差は、体験してみるまでもなく、とてつもなく大きいものです。だれだって、いつまでも礼遇されたいですよね。中国の場合、肩書きがはずれても、その待遇があまり変わらない人がいます。とにかく、死ぬまで、徹底的に尽くすのです。

 

なぜ、そうするか。かつて中国共産党の党官僚だった人が、著書で理由を明かしていました。その本によりますと、すでに引退した外国人の元首脳で、これはと思う人を礼遇するのは、その国の現役の首脳への、「中国を大切にすれば、あなたも引退したあと、このように歓待されますよ」というメッセージなのだそうです。ほんとか、どうか、確証はありませんけれど、かつて党の中堅幹部だった人の説明なので、つくり話とも思えず、なるほど、と感心したものです。田中元首相を歓待した江総書記の意図は、どうだったのでしょう。NHKのあの場面の放映をみながら、これもまたなにかのメッセージなのかな、という気もしたのですが、それは考えすぎかもしれませんね。

 

<きょう・あす・あさっての見頃の草花>

 

9月29日、ジュウガツザクラ開花(小山田緑地)。

10月1日、キンモクセイ香る(猿江・雑司が谷)、アベリア開花(宇喜田)。

 

〔フォトタイム〕

 

増上寺その6

安国殿の裏手には、赤い毛糸の帽子をかぶった可愛い地蔵尊が、たくさん並んでいます。前に風車(かざぐるま)があって、勢いよく回っていました。