きのう、上野の東京都美術館でひらかれている、「トプカプ宮殿の至宝展」をみてきた。トルコのイスタンブールにあるトプカプ宮殿は、栄華を誇ったオスマン帝国のスルタンの居城。400年近く世界に君臨した大帝国だけに、展示された財宝のきらびやかさは、天下一品だった。スルタンについても、はじめて知ることが多かった。王様はたいへんだなあ、といたく同情する面もあったので、パンフレットの記述を拝借しながらお伝えしたい。

 

オスマン帝国の君主は、オスマン家の代々の男系が継ぐのが、原則であった。しかし、兄弟のうち、だれが継ぐかは決まっていなかった。そのため父王が死ぬと、兄弟の間ですさまじい後継争いが生じた。皇位継承の争いに勝ち残った者は玉座につくと、残りの兄弟を処刑した。そのためオスマン帝国には、君主がただひとりいるだけで、王族というものが存在しなかった。こういう残酷というか、荒っぽい相続システムで、10代までのスルタンが誕生した。サバイバルの勝者だけあって、ほとんどが有能な君主で、オスマン帝国を繁栄に導いたのであった。

 

ハーレムをつくったのも、王族がいないことが関係していたにちがいない。君主しかいないということは、後継の不安がつねにつきまとう。たくさんの女性をかこっていたのも、そのためで、ハーレムで女性とたわむれるのは、スルタンにとっては、遊びではなく、公務のようなものであった。実際、17世紀にはいると、ハーレムがあるにもかかわらず、男の子が少なくなって、兄弟殺しという野蛮な行為も廃された。

 

今回の展覧会では、スルタンがつくった工芸品が出品されている。歴代のスルタンは、失脚したときにそなえて、なにか手仕事を身につけていた。豪勢な生活をしていても、案外、失業したときの夢にさいなまれていたのかもしれない。スルタンは、はたで思うほどの恵まれたポストではなかったようだ。

 

<きょう・あす・あさっての見頃の草花>

 

8月29日、大安。

8月30日、ヒョウタン大きくなる(百花園)。

8月31日、ススキの根元にナンバンギセル(小山田緑地・桜ヶ丘)。

 

〔フォトタイム〕

 

ゆりかもめ汐留駅周辺その2

昔、ゆりかもめ汐留駅周辺は、国鉄の貨物駅(汐留駅)でした。