ソニー・コンピュータエンタテイメント(SCE)会長兼最高経営責任者(CEO)だった久多良木健(くたらぎ・けん)氏(56)は、「暴れ馬」の異名をもっていた。さらに異端児ともいわれた氏は、家庭用ゲーム機、「プレイステーションの父」と呼ばれ、爆発的な人気を呼んだ「PS」と「PS2」は、世界のゲーム市場を席巻し、あわせて2億台を出荷、その売り上げは1兆円を超えた。

 

飛ぶ鳥を落とすほどの勢いだった久多良木氏は、平成15(2003)年4月、SCE社長を兼務したままソニー本体の副社長になった。順風がつづけば、社長も夢ではなかったはず。大胆な戦略は、裏目に出たときの傷は深い。先端技術を詰め込んだ「PS3」であったが、そうかんたんに3連勝とはいかなかった。2007年3月期では、2300億円の営業赤字を出してしまった。6月19日、氏はソニーを去った。

 

けさの産経新聞に、ソニーの中鉢良治(ちゅうばち・りょうじ)社長(59)のインタビュー記事が載っている。そのなかで中鉢社長は、巨額の赤字を計上したゲーム事業について、「死に物狂いでやる。グループの総力をあげ、本体とSCEで共同作業を深める」と述べている。言い換えれば、久多良木氏の牙城であったゲーム事業に、これまではソニー本体といえども口をはさむ余地がなかったということでもあろう。

 

中鉢氏と久多良木氏は、一時期、社長の座を争った間柄。出井伸之会長が中鉢氏を選んだ理由はいくつかあろうが、そのひとつに「聞き上手」というのがあったようだ。ソニーのトップ人事で、「暴れ馬」より「聞き上手」が優先されたことに、巨大化してしまったソニーの姿を垣間見ることもできよう。

 

夢多き人、久多良木氏には、ソニー創業以来のDNAがみなぎっていたが、時代のほうが変化していた。失敗した要因は、いくつか挙げられようが、成功体験に引きずられてしまったのが大きい。次第に謙虚さをなくしていくのは、成功体験者が陥りやすい病状だが、氏にもそれがあったのではないか。しばらく休養するという氏には、十分充電したあとに、ひと皮むいて、斬新な企画力をもって再登場してほしいと願っている。

 

<きょう・あす・あさっての見頃の草花>

 

6月29日、チョウトンボ飛来確認(浜離宮)。

6月30日、ネムノキ満開(葛西臨海)、ムクゲ60種見頃(神代)。

 

〔フォトタイム〕

 

東京ミッドタウンその4

ウチとソトでは、ちょっと雰囲気がちがう、というのも、このタウンの特徴かもしれません。