けさ、つけっ放しのテレビを何気なく見ていたら、きびしい顔をした作家の川内康範さんがブラウン管に映っていた。雑誌編集者時代には何度もお目にかかっているので、懐かしくも訝(いぶか)りながら、そのままテレビを見続けた。川内さんが作詞した、あの有名な「おふくろさん」を森進一が歌詞を変えて歌っているという。川内さんは立腹していた。注意しても、耳をかさず、話し合いの日もキャンセルとあっては、怒るのも当然と思った。
川内さんは、こういう不誠実な態度をもっとも嫌悪する人だ。森進一の対応の仕方はもちろん下手だが、ここまでこじらせた責任は森事務所のマネジャーにある、と思った。どうしてヘマをしたのか、こういうことにならないために、マネジャーは存在するのだと、森進一の歌も嫌いじゃないので、いささかカリカリした。
もう10数年前にもなるが、川内さんが来社された。雑談のなかで、「『おふくろさん』は好きな歌です。ほんの一節でいいですから、歌詞を書いていただけませんか」と所望した。そのとき、ノートをもっていたので、そこに書いてもらうつもりで軽い気持ちでいったのだが、「いいですよ。あとで届けます」とおっしゃって、実際、数日後にお使いの人がもってきた。伊東屋の原稿用紙に書いて、額に入れてあった。
「為大島信三慈兄
おふくろさん
作詞・川内康範
おふくろさんよ おふくろさん
空を見上げりゃ 空にある
(以下、略)」
ほんとうは、ぜんぶを書き写したいところだが、著作権を侵害することになるので、ここまでにしておく。いま、飾ってある額をはずして、テーブルのうえにおいて、じっとみているところだ。ご存じのように、「あなたの あなたの真実 忘れはしない」と繰り返す、「おふくろさん」は、何度、口ずさんでも、じつに、いい歌詞だと思う。
<きょう・あす・あさって>
2月24日、ウメ開花(小金井公園)、サンシュユ開花(桜ヶ丘公園)。
2月25日、アカデミー賞発表、白梅見頃(木場公園)。
〔フォトタイム〕
国立新美術館その14
これから、ここで、どんな展覧会がひらかれていくのか。楽しみですね。所蔵作品をもたない美術館ですから、毎回、独自の企画展をひらくようなものです。日々の観覧者数という厳然たるデータが出ますので、単なる親方日の丸の「貸し館」ではなく、営業的な感覚をもって年間スケジュールを組んでいくことになります。独立行政法人となって5年。国立美術館を訪れるたびに、これまでにない工夫というか、やる気を感じています。新美術館の前途に注目しましょう(今回は、14回という長さになりました。写真を撮る機会がこのところなくて、ついつい回数を多くしてしまいました。あすからは、べつのところを従来通りの回数で掲載します)。
コメント
コメント一覧 (3)
森進一も肝疾患で、それも肝炎からかなり進行している感じを受けますし、離婚で妻や子供達が自分から去っていったので、なげやりになっている可能性があると思っています。弟さんを医師にと考えて、B大学医学部に入学させたけれども、勉強がついて行かずほかの大学に移ったとか言う噂を聞いたことがありますし、子供達に学歴を求めたという事なども考えると、もともと大きなコンプレックスを持っていたこともあるかも知れません。
少なくとも私は、「おふくろさん」を聴いて私の心像に浮かぶのは自分の母親であり、川内康範氏や森進一氏を含み、他人のお母上は何も浮かんできません。
著作権の問題はさし措いて、川内康範氏と森進一氏は「おふくろさん」に其々別の心像を抱き、また、その歌を聴く人にも其々が別々の「おふくろさん」の心像を持っており、それを許容するから「おふくろさん」は名曲になり得たのだろうと、私は思います。
その意味で、もしも、「おふくろさん」が、私の母親の心像を排斥し、森進一氏の母親の心像を排斥するならば、残念ながら私は「おふくろさん」を今後聴く気がしなくなります。
川内康範氏の真意が、よく分からないというか、よく分かるような気がしますので、一端「おふくろさん」を世にだしたのだから、お母上の心像を押し付ないで頂きたいと思います。