大統領秘書をつとめたエベリン・リンカーンの回想録(邦訳『ケネディとともに12年』)を読むと、その間、ケネディは国家安全保障会議のメンバーや議会指導者、アイゼンハワーやトルーマン、フーバーといった元大統領などとの会談で、多忙かつ緊張した日々を過ごすのだが、その一方で、まるで普通の日のようにウガンダのオボテ首相などにも会っている。
この時期に洋服デザイナーのサム・ハリスが、大統領の新しい背広とオーバーをもって、ホワイトハウスにやってきた。リンカーン秘書が、「サムが大統領に会いたがっているけれど、いかがしますか」と、尋ねた。ケネディは、「かれに、6時ごろ来なさい、と伝えてください」といった。そんな、のんびりしたやりとりもあったというのである。
約束の時間にサムは新しい背広とオーバーをもって、いつ呼ばれてもいいように大統領執務室の隣で待機していた。合図があって、かれはすぐ執務室にはいり、「背広もオーバーも大統領にピッタリ合うことを確認した」と、リンカーン女史は書いている。そして、こうつづけている。
「大統領は、わたしにそれをマンションにいるかれの執事のジョージのところへ持っていってくださいと頼んだ。大きな危機に直面しているようなときでも、約束したことはちゃんと果たすというのは、いかにもかれらしい」
日本の首相が大地震の発生でテンヤワンヤしているとき、官邸に洋服店の人間をいれたら、いくら前々からの約束であっても、コテンパンにやられるのはまちがいない。ケネディ大統領の律儀さと度胸のよさには感心するが、なにも、あの時期に背広の寸法を合わせることもないような気もするが、いかがだろう。それとも、これも平静を装うカムフラージュのひとつだったのか。
<きょう・あす・あさって>
1962年(昭和37年)10月28日、キューバ危機、回避。
1956年(昭和31年)10月29日、イスラエル軍、エジプト領シナイ半島へ侵入。あれから50年。
〔フォトタイム〕
霞が関ビルその7
昔、霞が関ビルの36階には「パノラマ36」という展望フロアがあり、東京の名所でした。現在、36階は一般オフィスとなって、立ち入り禁止となっています。
コメント
コメント一覧 (3)
アメリカだったらOKだけど、日本ではNG、またその逆しかり。
もっとも彼は悠々としていたのではなく、どうして良いか分からずおろおろしていたのでしょう。絶好のパーフォーマンスの機会を掴み損ないました。
フルシチョフが原爆を搭載した艦船をキューバに接岸させようとしていたら、洋服屋の方が遠慮したでしょう。