「はてな」という、変わった名前の会社がある。梅田望夫著『ウェブ進化論』(ちくま新書)を読んでいたら、さいごのほうで、この会社のことがでていて、初めて知った。同書によれば、「はてな人力検索」(どんな質問でも、ふつうの文章で問いかけると、会員のだれかが回答してくれるコミュニティ)、「はてなダイアリー」(ブログ)、「はてなアンテナ」(ウォッチしたいサイトの更新状況を定期的にチェック)、「はてなブックマーク」(ソーシャル・ブックマーク)といったサービスを手がける日本のネット・ベンチャーだそうである。 梅田氏は、昨年3月、「はてな」の非常勤取締役になった。20代ばかりの社員9人の「ちっぽけで、吹けば飛ぶような会社だった」とか。


だらだらと、書いてきたが、じつは、この会社にはまったく関心がなかった。しいていえば、創業者の経歴にちょっと興味をもったていど。近藤淳也氏といい、同書ではこう紹介されていた。 


「近藤は三重県生まれで京都大学理学部物理学科出身。大学時代はサイクリング部と自転車競技部に所属。大学院時代には休学して自転車選手として活躍した後、大学院をやめて自転車レースのカメラマンになった。その後、独学でインターネットやプログラミングを勉強。京都で(有)はてなを創業して1年前に東京に出てきたばかりであった」


 京大出の秀才が、自転車選手から自転車レースのカメラマンへ転身した。へえーと思った。とはいっても、本を読んだ当座の話で、その後、「はてな」も近藤氏も、雑誌「Works」8月・9月号(リクルートワークス研究所)が届くまでは、すっかり忘れていた。 


この雑誌に、「野中郁次郎の成功の本質――ハイ・パフォーマンスを生む現場を科学する」という連載がある。野中先生は一橋大学大学院の名誉教授で、知識創造理論の提唱者として知られるが、今号は「はてな」がとりあげられていた。社員数は21人になっていた。月間訪問者数は、のべ800万人とか。見出しがすごい。 


「日本のグーグル」と呼ばれるネット企業「はてな」は一見、へんな会社だが最も正しい会社だった! 


たしかに、へんな会社だ。記事によれば、会議は立ったままおこなうという。大部屋の真ん中にある高めのテーブルのまわりで会議をおこない、社員はテーマや議論の流れに応じて参加するか、席に戻るか、自分で決めてよい。要するに、出入り自由というわけだ。社員の座席も決まっていない。前日と同じ席に座ることは禁じられている。ロッカーから必要なものを持ち出し、好きな席で仕事をすると、記事にあった。


少人数の会社だから、こういうユニークなこともできるのだろう。 なにかと似ている。思い出した、遊牧社会である。われわれ農耕民族にとって、決まったところに自分の居場所があるというのは、なにごとにも代えがたい。それが、毎日、場所が代わるというのだから、随分落ち着かないと思うが、隣組も交代するので、たしかにだれともコミュニケーションできるメリットはある。「はてな」では、ほとんどの社内情報を社員全員が閲覧できるブログに書き込んでいる。情報の送り手が受け手を選ぶ、電子メールは使わないという。なるほど、なるほど。オープンな近藤遊牧流に感心した。 


<きょう・あす・あさって>


 昭和31年(1956年)8月31 真崎甚三郎、死去。享年79歳。没後50年。 


〔フォトタイム〕


 護国寺その3 
仁王門をくぐって境内に入ると、前方に中門がみえてきます。不老門といい、昭和13年(1938年)に建立されました。京都・鞍馬寺の門を基本に設計されています。額面の「不老」の文字は、徳川家達の筆によります。家達は徳川宗家の16代、ご3卿のひとつの田安家の出。昭和になっても、護国寺と徳川家の関係は切れていないようです。中門というのは、仁王門と本堂の間にあるからです。