2013年09月

事件が発生するたびに、監視カメラの映像がメディアに流れる。報道されるのはごく一部にすぎない。

 

犯人検挙に監視カメラが果たしている役割はじつに大きい。画像分析の技術も年々向上している。

 

いまでは群衆の映像のなかから、特定の人物を割り出すのもずいぶん容易になったという。顔写真が、指紋のような働きをしているのだ。

 

200481日、NHKBSで「監視社会」という番組が放映された。そこでロンドンの南西150㌔にあるソールズベリー市が紹介された。

 

ソールズベリーは、観光と農業を主な産業とする人口11万人の都市。市内には107台の監視カメラが設置されていて、市役所が雇った監視員が8人、交代で24時間、街の様子に目を光らせていた。

 

監視員は不審な人物を見つけた場合、その人物の動きをつぶさに追い、状況に応じて警察に通報していた。ある監視員が、こうコメントしていた。

 

「わたしたちが監視しているのは麻薬の常習者や、万引などのトラブルメーカーたちです。かれらの顔はみんな把握しています。何度も警察に逮捕されている者も多いんです。そんな要注意人物を中心に目をつけています」

 

レベルの高い監視カメラは、ソールズベリーのような監視員を何十人分も兼ねて、日々、不審な人物の姿を追っているのだ。

 

〔フォトタイム〕

 

電通本社ビル界隈その1

JR新橋駅から徒歩5分のところに電通四季劇場「海」があります。

 

 

事件が発生するたびに、監視カメラの映像がメディアに流れる。報道されるのはごく一部にすぎない。

 

犯人検挙に監視カメラが果たしている役割はじつに大きい。画像分析の技術も年々向上している。

 

いまでは群衆の映像のなかから、特定の人物を割り出すのもずいぶん容易になったという。顔写真が、指紋のような働きをしているのだ。

 

200481日、NHKBSで「監視社会」という番組が放映された。そこでロンドンの南西150㌔にあるソールズベリー市が紹介された。

 

ソールズベリーは、観光と農業を主な産業とする人口11万人の都市。市内には107台の監視カメラが設置されていて、市役所が雇った監視員が8人、交代で24時間、街の様子に目を光らせていた。

 

監視員は不審な人物を見つけた場合、その人物の動きをつぶさに追い、状況に応じて警察に通報していた。ある監視員が、こうコメントしていた。

 

「わたしたちが監視しているのは麻薬の常習者や、万引などのトラブルメーカーたちです。かれらの顔はみんな把握しています。何度も警察に逮捕されている者も多いんです。そんな要注意人物を中心に目をつけています」

 

レベルの高い監視カメラは、ソールズベリーのような監視員を何十人分も兼ねて、日々、不審な人物の姿を追っているのだ。

 

〔フォトタイム〕

 

電通本社ビル界隈その1

JR新橋駅から徒歩5分のところに電通四季劇場「海」があります。

 

 

 

 

 

ルース・ベネディクト著、長谷川松治訳『定訳 菊と刀――日本文化の型』が最初に社会思想社から刊行されたのは、1948(昭和23)年だったという。自分の手元にある訳書は改訂版で1972年発行となっている。

 

ことし8月、55年ぶりに新訳が平凡社から出た。越智敏之・越智道雄訳で題名は『菊と刀――日本文化の型』と定訳がとれただけで、あとは長谷川訳と同じ。

 

ヤジウマ根性から若干比べてみた。以下は、第7章の一節。

 

<日 本人のよくいうことばに「義理ほどつらいものはない」というのがある。人は「義務」を返済せねばならないと同様に、「義理」を返済せねばならない。しかし ながら「義理」は「義務」とは類を異にする一連の義務である。これに相当することばは英語にはまったく見当たらない>(長谷川訳)

 

<日本でよく言われるように、「ギリ(義理)ほどつらいものはない」。人は「義務」に報いなければならないように、「義理」にも報いなければならない。しかし、「義理」は「義務」とは色合いの異なる、一連の責務の複合体なのだ。どう見ても英語にはこれに当たる言葉はない>(越智訳

 

やっぱり、訳者がちがえば、訳文も微妙にちがう。

 

越智訳によれば、ベネディクトは、<「忠」も「孝」も、日本は中国と共有しており、日本はこれらの概念を変化させてはきたものの、他の東洋諸国でもお馴染みの道徳的規範と同族的類似性を持っている>と見る。」

 

しかし「義理」については、日本は中国の儒教にも、いかなる東洋的仏教にも負うところがないと、ベネディクトは言い切る。

 

<これは日本的カテゴリーであり、これを勘定に入れないでは日本人の行動方式を理解することはできない>(越智訳)と。

 

ベネディクトは815日、昭和天皇の玉音放送があったことをラジオで知り、天皇が演じた役割に感銘し、涙をしたという。

 

ベネディクトは一度も日本の土を踏むことはなかった。21世紀の日本人と義理の関係をベネディクトはどう見ているのだろう。

 

〔フォトタイム〕

 

三囲(みめぐり)神社その7

旧三井グループの人たちが、いまもお参りを欠かさないと聞いています。

 

 

 

ルース・ベネディクト著、長谷川松治訳『定訳 菊と刀――日本文化の型』が最初に社会思想社から刊行されたのは、1948(昭和23)年だったという。自分の手元にある訳書は改訂版で1972年発行となっている。

 

ことし8月、55年ぶりに新訳が平凡社から出た。越智敏之・越智道雄訳で題名は『菊と刀――日本文化の型』と定訳がとれただけで、あとは長谷川訳と同じ。

 

ヤジウマ根性から若干比べてみた。以下は、第7章の一節。

 

<日本人のよくいうことばに「義理ほどつらいものはない」というのがある。人は「義務」を返済せねばならないと同様に、「義理」を返済せねばならない。しかしながら「義理」は「義務」とは類を異にする一連の義務である。これに相当することばは英語にはまったく見当たらない>(長谷川訳)

 

<日本でよく言われるように、「ギリ(義理)ほどつらいものはない」。人は「義務」に報いなければならないように、「義理」にも報いなければならない。しかし、「義理」は「義務」とは色合いの異なる、一連の責務の複合体なのだ。どう見ても英語にはこれに当たる言葉はない>(越智訳

 

やっぱり、訳者がちがえば、訳文も微妙にちがう。

 

越智訳によれば、ベネディクトは、<「忠」も「孝」も、日本は中国と共有しており、日本はこれらの概念を変化させてはきたものの、他の東洋諸国でもお馴染みの道徳的規範と同族的類似性を持っている>と見る。」

 

しかし「義理」については、日本は中国の儒教にも、いかなる東洋的仏教にも負うところがないと、ベネディクトは言い切る。

 

<これは日本的カテゴリーであり、これを勘定に入れないでは日本人の行動方式を理解することはできない>(越智訳)と。

 

ベネディクトは815日、昭和天皇の玉音放送があったことをラジオで知り、天皇が演じた役割に感銘し、涙を流したという。

 

ベネディクトは一度も日本の土を踏むことはなかった。21世紀の日本人と義理の関係をベネディクトはどう見ているのだろう。

 

〔フォトタイム〕

 

三囲(みめぐり)神社その7

旧三井グループの人たちが、いまもお参りを欠かさないと聞いています。

 

 

 

アガサ・クリスティーが晩年、11歳の少年に語った人生訓を紀田順一郎著『翼のある言葉』(新潮新書、2003年)で見つけた。

 

「わたしの持つ3つの宝、これを譲り、大事にしよう。第Ⅰは愛。第2に、決してやりすぎぬこと。第3に、決して世界一にはならぬこと」

 

紀田順一郎によれば、アガサ・クリスティーの告別式で、彼女の作品の大半を出した出版社の経営者が弔辞のなかで紹介したという。

 

このあとに、「愛があれば、人は恐れをいだかない。やりすぎなければ、十分な余力が残せる。世界一と自惚れなければ、自己の才能を開花させ、成熟させることができる」という理由がつづくそうだ。

 

紀田は、<クリスティーが最後まですぐれた創作活動をつづけることができた秘密の一端は、名声に溺れまいという自戒にあったということがわかる>とも。

 

紀田はまた、<江戸川乱歩も指摘しているように、本格ミステリの作家は初期ほどすぐれ、晩年は気が抜けてくるのがふつうだが、クリスティーだけはまったく例外で、むしろ晩年ほど力の入った秀作をものしている>とも述べている。

 

余力を残して余生を迎えるというのは、凡人にも参考になりそうだ。

 

〔フォトタイム〕

 

三囲(みめぐり)神社その6

江戸の火消しがしのばれます。

 

 

↑このページのトップヘ