2012年07月

亡くなった山本夏彦さんから、「礼状は素早く」と教わった。何かいただきものなどがあったら、なるべく早く礼状を出しなさい、というのだが、これがなかなかできない。

 

はがき1枚ぐらい10分もあれば書けるのだが、ずるずると日時を伸ばしてしまうことが多い。

 

山本夏彦さんの教訓は、じつに応用範囲が広い。ロンドン五輪の内村航平選手のあん馬の採点において異変が生じた。こういうときにも、ぴったりの格言だと思った。

 

実際、体操の日本男子チームが銀メダルに輝いたのは、日本側が素早く審判団に「この採点はおかしい」とアピールした結果であった。

 

今夕の朝日新聞によれば、<国際体操連盟(FIG)の規定で、得点が出た直後に書面で申し出れば、正式な形で「照会」できる。ただし、これには300米㌦が必要。やみくもに照会をうけないためにFIGがきめたルール>とか。

 

日本チームは300㌦を惜しまずに、素早く照会を求めたのだ。これは賢明であった。

 

イギリスは、体操男子で100年以上もメダルを獲得していない。したがって銀メダルが、途端に銅メダルになって、場内はブーイングが沸き起こった。

 

イギリス国民の気持ちになれば、このブーイングは致し方ない。

 

もし、ぐずぐずして国際体操連盟への抗議が遅れたら、どうなったか。あと味の悪さは何倍にもなっていたはず。

 

何日かあとになってから、ひっくり返るよりも、あの場で決着したのは、大正解であった。

 

どういう手順で照会したのか。

 

推察するに、英文で素早く採点の疑問点をしたためたのだろう。いずれにしろ国際体操連盟に対してルールにしたがって内村選手の「下り技」に関する採点の異議を上申した日本男子コーチらの機敏な措置を称えたい。

 

〔フォトタイム〕

 

高田馬場駅周辺その2

大きな壁画がありました。

 

 

 

ロンドン五輪開会式では、選手のほかに審判もコーチも宣誓をした。選手はともかく審判やコーチまで宣誓をしなければならないところに、たくさんの種目をこなすオリンピックの特殊性と悩みがある。

 

とりわけ審判のレベルが問題なのは柔道で、案の定、それが露呈してしまった。

 

29日。柔道男子66㌔級準々決勝の旗判定のやり直しは、相手が韓国の選手(ブルーの柔道着)であっただけに、よけいあと味のわるいものを残した。

 

延長戦でも決着がつかず、主審と副審2人、計3人の判定になったとき、白い柔道着の海老沼選手は勝利を確信したという。

 

わたしも間違いなく勝ったと思った。それだけに3人の審判が「ブルーをあげたときは、ショックでした」と、海老沼選手もあとで語っていたが、おそらく視聴者の大半もアレッと思ったはず。

 

海老沼選手は、胸が張り裂けるくらいの気持ちであったと思う。にもかかわらず、海老沼選手は平常心を失わなかった。勤務先の同僚が語っていたが、まじめな青年なのだ。

 

ロンドン五輪から柔道では審判委員(ジュリー)制というのが、おかれている。この審判委員からクレームが出て、なんとか海老沼選手は勝ったが、韓国側は面白くない。

 

「勝ちを盗まれた」とぼやいた韓国メディアもあるとか。

 

日本側にだって聞きたいことがある。どういう根拠でブルーに軍配をあげたのか、と。

 

種目によっては、審判の判定は絶対だとし、どんなことがあっても一度下した判定を覆すことのないスポーツもある。

 

半面、審判には誤りがあるという前提に立って、行司の判定を確認する審判員をおく大相撲のような場合もある。

 

 

大相撲の場合は、審判員の要請があったときは、別室でビデオによる検証をおこなう。

 

人間は神様ではないから、審判の絶対性を通すのは、本来、ムリがある。ただ、審判の権威からいえば、審判の判定を覆すというのは避けたいところだ。

 

結局、問題は主審や副審の柔道に対する理解度が十分かどうか、ということなのだろう。

 

各国の柔道の層や技術は本家本元をしのぐようになったが、審判のレベルがそれほど上がっていないのではないか。シドニー五輪でヘンな判定に敗れた篠原信一監督が、今回の判定に激しく反応している姿が印象的であった。

 

〔フォトタイム〕

 

高田馬場駅周辺その1

駅前広場でひときわ目立つのが、このビルです。

 

 

 

NHKBSで桂三枝あらため桂文枝さん(69)が創作落語「ピッカピカの一年生」を披露していた。

 

文枝さん自身が、7月16日に襲名したばかりのぴっかぴかの六代目だ。

 

新作落語という人もいるが、文枝さんはそういう呼び方になじまないという。

 

ネタがいまに寄りすぎると、その部分から古びていく。単なる新作ではなく、いつまで経っても古びない、普遍的なテーマを模索し、考え抜いて創作落語として150近くを高座で話してきた。

 

文枝さんは創作落語と出会ったことで、落語界で今日の地位を築いた。言い換えれば、古典落語になじめなかった、ということである。

 

噺家(はなしか)のプロが、古典落語に違和感をいだいていたのである。それが、どれほどに苦しいことであったかは、門外漢にもあるていどの察しはつく。

 

先代の文枝に弟子入りした三枝さんの人気が出たのはラジオやテレビのタレントとしてであり、肝心の寄席で古典落語をしゃべっても、あまりうけなかった。

 

冒頭のマクラを話しているときは、まだよかった。しかし、肝心の古典落語の話し方に自分自身がすっと入っていけなかったのだ。

 

そのうえ天才、桂枝雀がいた。

 

タレントとしても十分に通用していた。よくもまあ、落語界に踏みとどまったものだ。創作落語への意欲であろう。

 

文枝さんを追ったドキュメンタリーを見た。高座にあがる直前まで、熱心に稽古をしていた。テレビで文枝さんの創作落語を聞いていると、茶の間でよもやま話をしゃべっているような軽妙な語り口である。

 

しかし、実際には入念に練られた台本をもとに稽古の積み重ねのうえで演じられているのである。

 

まだ試行錯誤をつづけていた頃、公演が終わったあと、漫才の横山やすしさんに誘われた。うどん屋へ入ると、怖い顔をして、「おまえ、評判わるいで」といった。

 

<うわっ、説教やと身構えると、やすしさんは、「苦しくともマイペースをキープせえよ。負けたらあかんで」と真剣な表情で励ましてくれました>(日経201056日夕刊)

 

上方落語協会の会長としても全力投球をつづける。そのうえで、寝ても覚めても創作落語を考えている。

 

〔フォトタイム〕

 

二重橋その7

二重橋の右手の風景です。

 

 

北京とはひと味ちがうロンドン五輪開会式であった。ゴテゴテしていないところがよかった。

 

なにしろ、これが3回目。経験豊富なのだ。

 

そのうえ英国王室が彩りを添える。エリザベス女王が臨席するだけで、花火1000発もかなわない。

 

それに英国ガーデンふう表舞台と、ビートルズのポール・マッカートニー。イギリスをふんだんにみせたセレモニーであった。

 

200を超える国・地域。このなかには、開会式だけしかフットライトが当たらないところがすくなくない。

 

だからこそ、オリンピックの開会式が重要なのだ。かつて日本だって、そういうときもあった。

 

IOCの会長はあいさつで、「勝つことではなく、おたがいにいたわり合うことだ」と述べていたが、それは建前にすぎない。オリンピックでは、勝たなければならない。

 

そういう厳しさが、ナショナリズムを刺激し、国民を一体化させるのである。国際競技が友好のためのスポーツなら、オリンピックは今日まで存続してこなかったであろう。

 

〔フォトタイム〕

 

二重橋その6

背景に日比谷や新橋のビル群が立ち並びなかな壮観ですね。

 

 

NHKニュースを見ていたら、民主党は921日に代表選をひらく方向で調整に入ったという。その折、野田さんや輿石さん、前原さんらの映像が流れた。

 

野田さんや輿石さん、前原さんのコメントが流れたわけではないが、3人に共通したところがあった。猛暑というのに、皆さん、きっちりとネクタイを締めていらっしゃるのだ。

 

やっぱりなあ。民主党のなかでお三方は、テレビの露出度が飛びぬけて多い。

 

クールビズというしゃれたことばのせいもあったのだろう、夏の軽装はあっという間に広まった。ノーネクタイはごくふつうになって、サラリーマンにはうれしい話であった。

 

しかし、馬子にも衣装といっては失礼かもしれないが、ときと場合によってはクールビズのヒトよりもネクタイの人のほうが立派に見えるのだ。

 

これはイメージを大切にしなければならない政治家には、とても気になるところである。

 

半面、視聴者の目などまったく意識しないでクールビズを通している民主党の政治家の皆さんもすくなくない。仙谷さんとか、枝野さんや安住さんなどだ。

 

ネクタイ派とノーネクタイ派。それぞれに性格の共通性もあって面白い。ニュースを見る際、ちょっと気をつけて観察してみてはいかがか。

 

〔フォトタイム〕

 

二重橋その5

なかなかに奥行きのある皇居の二重橋です。

 

 

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