2012年05月

けさの産経新聞によれば、渋谷駅の構内で男性をナイフで刺した男(32)は、「ストレスがたまっていて、一気に爆発した」、「(普段から)人とぶつかることが多かった。収入が少なく、話し相手もいないことがストレスだった」と供述しているという。

 

同じような屈折した気持ちを抱えている人はすくなくない。ちょっとしたきっかけで、感情を爆発させ、それが痛ましい事件となる恐れはきわめて高い。

 

この記事を読んだあと、外出して、一つの光景に出くわし、思うことがあった。

 

大通りに面した駐車場の一角で、若い男女が派手に怒鳴り合っていた。あたりをはばからない大声で互いに罵倒しているのだが、二人はコンクリートの車止めに並んで座っていた。

 

ハングルだから、なにを口論しているかはわからない。しかし、座ったままの二人の姿勢から推察して、夫婦か恋人同士か、とても親しい間柄であることはわかった。

 

かれらの華々しいケンカを横目にしながら、ある種の羨ましさとたくましさを感じた。親しい間柄で怒鳴り合えるというのは、これはこれでなかなか得難い民族性といってよいであろう。

 

こういう場面は、まず日本人の夫婦や恋人の間では見られない。皆無ではないかもしれないが、あってももっと陰惨でとげとげしいにちがいない。というか、もう修復不可能の場合がほとんどのはず。

 

親しい間柄でこういった荒々しいコミュニケーションが成立するには、それなりの条件が必要だ。

 

いくら激しく怒鳴り合っても、しばらくすれば仲直りする。そういう感度のよい修復力があって、お互いに腹に収めることもなく、存分にストレスを発散させて、あとはあっけらかんとできるかどうか、ということだ。

 

日本人には、なかなかそういう芸当ができない。結局、ぶつかる相手は、赤の他人ということになって、それが狂暴性を誘発する要因になっているのだ。

 

〔フォトタイム〕

 

国立新美術館裏その4

裏には裏の表情があります。

 

 

警視庁公安部が、在日中国大使館の1等書記官(45)に出頭を求めていた。問題の書記官はすでに帰国しているが、中国軍の情報機関にいたかれにはスパイの疑いがあるという。

 

どの国でも一部の大使館員は情報員だ。したがって、こういう疑惑そのものにはあまり驚かなかった。しかし、一つだけ、やっぱりなあ、と感心したというか、衝撃をうけたことがあった。

 

それは、この書記官が平成11年から松下政経塾にインターンの特別塾生として入っていた事実だ。これは軽視できない。過去にさかのぼって、中国人の入塾者の有無を調べたほうがよい。

 

けさの産経新聞によれば、書記官は、中国社会科学院の推薦で松下政経塾に入っていた。

 

推測するに、将来の政治家との人脈を築くための遠大な計画であろう。実際に書記官は、松下政経塾時代のつながりを利用して同塾出身の民主党議員に接触している。

 

日本からみれば、まことにいやらしい行動である。しかし、インテリジェンスのセオリーからいえば、これは理にかなった情報活動なのだ。

 

いくら中国ぎらいでも、その点はすなおに認めるべきであろう。

 

先を見越した情報員養成をおこなっている中国共産党政権は、極端にいえば、諜報と謀略によって生き延びてきた政治団体である。

 

日露戦争の勝利の陰には、日本の必死の諜報活動があった。しかし、戦後、暗いイメージがともなう諜報はうとんじられ、いちじるしく日本の諜報力は低下した。

 

諜報力の低下によって、国力も低下していった。中国書記官スパイ疑惑事件を教訓に、あらためて日本も情報収集のありかたを見直してみてはどうだろう。

 

〔フォトタイム〕

 

国立新美術館裏その3

角度を変えれば、国立新美術館も表情がちがってきます。

 

 

あすの午前11時、野田さんは小沢さんと会談する。まず小沢さんが消費税増税関連法案に賛同することはあり得ないと思う。

 

では、野田さんはどうすべきか。劇的な決裂で歴史に名を残すことだ。

 

小沢さんは、これまでメディアの寵児として長く、その名を轟かせてきた。しかしながら仔細にこの大物政治家の業績を辿っていくと、あまり歴史に残る実績がないのだ。

 

おそらく後世の日本政治史家は、小沢さんにはひとこともふれないかもしれないが、野田さんにはかなりのベージを割くことになろう。

 

どんな大きなビルであれ、その解体者の名前が覚えられることはない。うしろむきの政治家は忘れられていく運命にある。

 

さて、野田さんに劇的な決裂をおこなう勇気があるかどうか…。

 

〔フォトタイム〕

 

国立新美術館裏その2

裏側への通路です。

 

 

きのう、ダービーを制した岩田康誠騎手がゴールを走り抜けたあと、感極まって馬上で泣いていた。競馬にはまったくの門外漢だが、ジョッキーが大観衆の前でこれほどの涙をみせるのは、めずらしいことと思う。

 

また、岩田騎手は、大観衆のほかにテレビカメラが自分にむけられていることなど、まったく気にもしていないふうだった。

 

テレビニュースでこの光景を見て、岩田騎手のほかに、どれだけの人が涙を流したのだろうか、と思った。

 

まず思い浮かぶのは、ディープブリランテを育てた牧場の皆さんだ。その牧場は北海道の新冠町にあるようだが、ディープブリランテが生まれたときから手塩にかけて育てた人たちも、きっと涙を流したにちがいない。

 

もちろん馬主とその関係者がいる。そして厩(きゅう)舎の人々。厩舎の主、矢作芳人調教師は牧場でディープブリランテを一目見て気に入ったという。

 

競馬界で調教師は先生と呼ばれる。馬主から競走馬をあずかってレースで必勝を目指す。騎手は調教師に頭が上がらない。レースに出走する馬に騎乗するジョッキーをだれにするかは、調教師が決めるからだ。

 

騎手は、レースで実績をあげなければ、騎乗する機会もふえないし、大きなレースにも出場できないのだ。岩田騎手は、ディープブリランテで実績を積んできた。ふだんの調教は厩舎でおこなうが、岩田騎手は毎日、自分で調教していたという。

 

人馬一体、ということばを思い出した。いまはあまり使われないことばだが、競馬界には厳然として生きている。あの涙には、さまざまなドラマが秘められているにちがいない。

 

〔フォトタイム〕

 

国立新美術館裏その1

表だけではなく、ときには裏も撮ってみたいと思います。

 

 

日曜日の夕刻、のんびりとサザエさんを観ている。何年ぶりか。マスオさんのお母さんが大阪から上京してきた話。はて、長谷川町子の原作にこのお母さんは出てくるのだろうか。

 

サザエさん一家は、この漫画がつづくかぎり、一家のだれもトシをとらない。それが、この漫画のルールである。

 

週刊朝日61日号ではじめて波平さんの年齢を知った。なんと54歳だという。ちなみにフネさんは48歳とか。波平さんは60代後半、フネさんは50代後半と勝手に想像していたので驚いた。

 

おそらく波平さんを70代と思っている人もいるはずだ。

 

教えてくれたのは、精神科医の和田秀樹さん。同誌で長寿の極意を語っているなかで、この夫婦のトシを明かしたのである。

 

和田さんは、老化防止の3か条として、①「若くいたい」という気持ちを持ちましょう。②予定調和ではないハラハラ、ドキドキを体験しましょう。③「がまん」しないで、おいしそうだと思うものを食べましょう――をあげている。

 

このなかの3番目のすすめのなかで和田さんはこう述べている。

 

<「サザエさん」を思い浮かべてください。原作では磯野波平の年齢は54歳。その妻のフネは48歳。老けてると思うでしょう? でも新聞連載が始まった1946年は違和感がなかったはず>

 

<日本人は昔と比べて「老化が遅くなっている」んです。それを実現したのは栄養状態の改善なのに、わざわざ栄養状態を悪くするのは方向がちがうかな、と>

 

これからアンチエイジングの研究がますます進んで、あと20年もしたら波平さんは80代に見られるのかもしれない。

 

〔フォトタイム〕

 

東京ミッドタウン前の大通りその7

安田侃さんの作品をもう一度ごらん下さい。

 

 

 

 

 

 

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