けさの産経新聞によれば、渋谷駅の構内で男性をナイフで刺した男(32)は、「ストレスがたまっていて、一気に爆発した」、「(普段から)人とぶつかることが多かった。収入が少なく、話し相手もいないことがストレスだった」と供述しているという。
同じような屈折した気持ちを抱えている人はすくなくない。ちょっとしたきっかけで、感情を爆発させ、それが痛ましい事件となる恐れはきわめて高い。
この記事を読んだあと、外出して、一つの光景に出くわし、思うことがあった。
大通りに面した駐車場の一角で、若い男女が派手に怒鳴り合っていた。あたりをはばからない大声で互いに罵倒しているのだが、二人はコンクリートの車止めに並んで座っていた。
ハングルだから、なにを口論しているかはわからない。しかし、座ったままの二人の姿勢から推察して、夫婦か恋人同士か、とても親しい間柄であることはわかった。
かれらの華々しいケンカを横目にしながら、ある種の羨ましさとたくましさを感じた。親しい間柄で怒鳴り合えるというのは、これはこれでなかなか得難い民族性といってよいであろう。
こういう場面は、まず日本人の夫婦や恋人の間では見られない。皆無ではないかもしれないが、あってももっと陰惨でとげとげしいにちがいない。というか、もう修復不可能の場合がほとんどのはず。
親しい間柄でこういった荒々しいコミュニケーションが成立するには、それなりの条件が必要だ。
いくら激しく怒鳴り合っても、しばらくすれば仲直りする。そういう感度のよい修復力があって、お互いに腹に収めることもなく、存分にストレスを発散させて、あとはあっけらかんとできるかどうか、ということだ。
日本人には、なかなかそういう芸当ができない。結局、ぶつかる相手は、赤の他人ということになって、それが狂暴性を誘発する要因になっているのだ。
〔フォトタイム〕
国立新美術館裏その4
裏には裏の表情があります。