2012年03月

タレントの猫ひろしさん(34)は、ロンドン五輪のマラソンにカンボジア代表として出場するという。猫さんの自己ベストは2時間3026秒。

 

この記録で、正真正銘の五輪代表に選ばれた猫さんの執念に感心した。もちろん国籍を変更したうえでの話。

 

「そんなのないよ」という批判の声はあるが、ルールに沿って選ばれたのは事実である。

 

どうしても納得できないなら、<参加標準記録を突破した選手が1人もいない国・地域は、男女1人ずついずれかの種目に出場できる>という五輪陸上の特例に対して異議申し立てをするべきであろう。

 

この特例は、参加することに意義があるというオリンピック精神に沿ったもの。国家間の国威発揚のメダル争奪戦となってしまった現代オリンピック戦への大いなる皮肉ともいえる。

 

〔フォトタイム〕

 

工事中の歌舞伎座その1

以前、東銀座の歌舞伎座の前を通りかかったときに撮りました。

 

 

室生犀星は昭和371962)年326日に亡くなった。あすは没後50年ということになる。小説家であり、詩人でもある室生犀星はたくさんの作品を残したが、あまり熱心な読者ではなかった。

 

それでも教科書に載っていた、ふるさとは遠きにありて思うもの、そして悲しくうたうもの、という詩はいまも記憶している。

 

室生犀星は金沢に生まれ、金沢を愛しながら、金沢に帰ることはほとんどなかったという。私生児だったので、ふるさとに屈折した感情を抱いていたようだ。

 

近くの図書館でニコラス・フレイザー/マリサ・ナヴァーロ著『聖女伝説 エビータ』(阿尾正子訳、原書房、1997年)を借りてきた。マリア・エバ、のちのペロン・アルゼンチン大統領夫人、エビータもまた私生児だった。

 

エビータは、犀星とちがって子どもの頃の話をすることはなかった。生まれた町の名前も決して口にしなかった。エビータのことばが残っている。

 

 

「わたしは世の中の不公平に怒りをおぼえました。子どもの頃から、不公平がきりきりとわたしの胸を締めつけました。わたしはこの世に生を享けて以来、つねにこの不公平に悩まされ、胸を引き裂かれてきました」

 

人前でふるさとを誇りにでき、いつでもふるさとへ帰れる人は幸せである。

 

〔フォトタイム〕

 

国立西洋美術館の前庭その7

上野の国立西洋美術館はフランスの有名な建築家、ル・コルビュジェの作品です。

 

 

昨夕の朝日新聞によれば、<ロシアのモスクワ北方にあるボログダ州で22日、男女2人がヘリコプターをハイジャックし、殺人罪などで矯正施設に収容中の男の受刑者を上空から縄ばしごで引き上げて脱走させる事件が起きた>という。

 

記事によれば、脱走したのは、殺人などで自由はく奪24年の判決をうけ2000年から服役している30代の受刑者。この兄弟とみられる男が予約した民間ヘリに女とともに乗り込み、パイロットに銃をつきつけて矯正施設の上空にむかうよう命じたという。

 

この記事を見てまず思ったのは、ヘリから縄ばしごという脱走手段を矯正施設側はどのていどまで想定していたかどうか、という点だ。

 

アクション映画にありそうなシーンだし、災害のたびにヘリで救出される場面がテレビで放映される。こういったヘリによる脱走は、だれにで考えつくので想定外というわけにはいかない。

 

にもかかわらず、いともかんたんに受刑者は釣り上げられた。想定内でありながら、実際に起こる確率は低いと油断していたのだ。おそらく、どこも似たり寄ったりであろう。

 

これは決して対岸の火事ではない。類似のケースは、日本でも起こり得るのであり、それは刑務所だけとはかぎらない。

 

官邸から原発まで、ヘリを使ったテロが発生しかねないところはいくつもある。

 

今回の事件の場合、男女2人は逃走中だが、さいわい脱走受刑者は捕まったという。この事件を教訓に、ヘリ乗っ取り対策はもちろん、襲来するヘリ対策に関してもあらためて確認してほしい。

 

〔フォトタイム〕

 

国立西洋美術館の前庭その6

ロダンの「イブ」です。

 

 

ことしも公示地価が発表になった。家を売ろうと思っている人は気になるだろうが、その気はないので数値にはあまり関心がない。

 

もともと地価の低いところに住んでいるし、周辺の地価も下がりっぱなしなのは先刻承知している。それに地価が安いと税金も安いので、ほどほどでよい。

 

振り返ってみると、昭和40年代、50年代というのは、すごい時代であった。一時期、数か月くらいで2割以上も地価が上昇したようなときがあった。

 

しかし土地神話は、所詮、神話でしかなかった。

 

バブルが崩壊したあとの値下げぶりもはっきりと覚えている。

 

というのは、近所に売り家があって、物件の値段が表示してあった。その価格がひと月ごとに下がっていくのだ。最初の表示価格より、たしか500万円くらい値引きされて買い手がついたように記憶している。

 

浦安といえば、地価が大幅に値上がりしたところだったが、いまは液状化現象で値下がりしている。半面、被災地の高台は高騰している。

 

地価もまた、それぞれの人生のように、思わぬ出来事に遭って浮き沈みがあるのだ。

 

〔フォトタイム〕

 

国立西洋美術館の前庭その5

ロダンの「地獄の門」です。

 

 

 

 

 

以前、「カネのない人ほどカネを使う」と書いた。その後、知人から、「まったく、その通り」といわれた。「自分がそうだから、これはまちがいない」とヘンなお墨付きをいただいた。

 

こういうアベコベ現象のひとつに、「働かなくともいい人ほど猛烈に働き、働いてほしい人があまり働いていない」というのもある。

 

これは日本だけでなく、世界的な傾向のようだ。

 

カネが有り余っているのに、悠々自適の生活を拒否して頑張っている人たちはけっこう多い。

 

いつまでも会社から離れない、老いた創業者に迷惑している例はすくなくあるまい。

 

ただ、表立って、猛烈に働いている年配者を批判はしたくない。少子高齢化社会にあっては、年齢を問わず、働き手は尊敬されるべきだろう。

 

生活のために働いている人はすくなくない。また、生きがいのため、あるいは社会に貢献するために働いている人に、「もう引退してほしい」というのは、酷である。いくつかの例外はあるにしても。

 

深刻なのは、働いてほしい人があまり働いていない現実のほうだ。雇用問題の改善は、政治の最優先課題の一つである。そのなかで懸念されるのは、若者たちの離職のサイクルが極端に短くなっていること。

 

仕事から離れない高齢者、仕事から離れやすい若者。世の中、なかなかうまくいかないものだ。

 

〔フォトタイム〕

 

国立西洋美術館の前庭その4

ロダンの「アダム」です。

 

 

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