2011年12月

金正恩(キム・ジョンウン)のウイークポイントは、まだ二〇代であるとか、経験がないとか、後継者としての準備不足とか、いろいろ挙げられている。

 

しかし、そういったことは、かれの弱点には全然なっていない。

 

古今東西、歴史をひもとくまでもなく、二〇代の後半にもなれば、もうトップリーダーとして登場するに十分な年齢である。

 

かれの祖父、金日成(キム・イルソン)が大衆の前に姿をあらわしたのは、まだ33歳のときだった。伝説の将軍があまりにも若造で、聴衆はあっけにとられたが、後見役のソ連軍将校らがうまくサポートしてなんとなくごまかしてしまった。

 

祖父にくらべて金正恩は生まれながらのプリンスである。テレビをみても、なかなかの貫録で、かれの年齢や経験など、北朝鮮ではあまり問題になっていないと思う。

 

金正恩のウイークポイントは、食糧の確保という問題に直面したとき、かれ自身にはなんの成案もないことであろう。

 

とくに、北朝鮮の北部、咸鏡道(ハムギョンド)の食糧事情がどうなるのか、これは注意深く観察していきたい。

 

深刻な事態になったとき、かれは自分の弱点をとことん思い知ることになろう。

 

咸鏡道の民衆に対して、そこそこの食糧を提供できるかどうか。これがかれの直近の課題となる可能性は低くない。

 

〔フォトタイム〕

 

代官山公園その4

遊び場もある地域住民に身近な公園です。

 

 

 

 

 

ことし、金正日(キム・ジョンイル)が訪中した際、総書記に寄り添っている金玉(キム・オク)の姿がテレビカメラで何回か映された。

 

中国滞在中、キム・オクが金正日の車に同乗したことも確認されているし、中国当局は彼女を総書記夫人に準ずる礼遇で迎えたともいわれる。

 

2004年に金正恩(キム・ジョンウン)の生母、高英姫(コ・ヨンヒ)が死んだあと、金正日の身の回りの世話をしていたのは、キム・オクであった。

 

もともとはピアニストで、パーティーかなにかで金正日に見初められたのだろう。しかしたんなる愛人ではなく、国防委員会課長の肩書をもち、金正日にすくなからず政治的な影響力をもつ側近であった。

 

200010月、趙明禄(チョ・ミョンロク)国防委第1副委員長が訪米したときは、キム・オクも同行している。

 

その後、金正日とキム・オクの間には娘が生まれ、二人は結婚したという説もある。金正日が倒れたときは、病室につきっきりで、独裁者の口と耳になって相当の権力を握っていたはずだ。

 

そのキム・オクの去就に注目している。

 

金正日が死んだ時点で、キム・オクはもう邪魔者になってしまったのか。それとも金正日の未亡人として、しぶとく生き残って金正恩に影響力をもつ存在となっていくのか。

 

いずれにしても、キム・オクは晩年の金正日についていちばん詳しい立場にいた。

 

高英姫は、生前、三男の将来をキム・オクに託していたという話もある。これから重要な役割を演じるようになるのか、それともいずれ知りすぎた女として粛清されるのか。現時点では、彼女の動静はなにも伝わっていない。

 

〔フォトタイム〕

 

代官山公園その3

公園のなかに、こんなタイル絵がありました。この一帯に同潤会代官山アパートがあり、もともとは児童公園でした。アパートには文化湯と呼ばれた銭湯があり、これはそのタイル絵でした。

 

 

金正日(キム・ジョンイル)の急死を報じるテレビや新聞各紙をみて、いちばん印象的だったのは、北朝鮮の民衆が意外に冷静だったことだ。

 

けさの新聞をひらくと、「市民ら号泣」(朝日)とか、「訃報ニュースにおえつ」(日経)といった見出しの記事や、平壌市内で「泣き崩れる市民」(産経)といった写真説明があった。

 

しかし、たとえば、朝日が掲載した、「19日、金正日総書記死去のニュースを聞いて涙を流す平壌の電線工場の従業員ら。朝鮮中央通信が動画として伝えた=ローター」という写真を見ると、号泣しているのは数人である。

 

テレビを見ていたら、泣きながら歩いている人をカメラが追っかけていた。狙った情景がすくないので、カメラマンも必死の様子がなんとなく伝わってきた。

 

しかし、どのメディアも、こういう北朝鮮民衆の冷めた感情を伝えていなかった。メディア人間は、こういうときは、北の民衆は号泣し、嗚咽するものと決めてかかっているのである。

 

199478日午前2時、金日成(キム・イルソン)が急死し、9日正午にその死亡が発表されたときは、ほんとうに北朝鮮の全土が号泣と嗚咽でつつまれた。なかには、ウソ泣きもあったが、大部分はほんものの涙を流した。

 

李東一編訳『北朝鮮の歴史教科書』(徳間書店)は、「わが人民は天が崩れるかのような悲報に接し、血の涙を降らせ、大声で泣いて慟哭(どうこく)し、身悶えした」(175頁)と記している。血の涙は大袈裟にしても、これに近い光景が各地で見られたのは事実だ。

 

平壌市の中心部、万寿台(マンスデ)の丘にある金日成の銅像の前で泣き叫ぶ人々の様子は、世界中のテレビや新聞で報じられたので記憶されている方も多いと思う。

 

おそらく北朝鮮メディアは、これから号泣と嗚咽の場面を特化して流してくるであろうが、それはたぶんに演出されたものになるはずだ。

 

北朝鮮民衆の金日成と金正日に対する感情は、天と地ほどにちがうことを認識すべきである。

 

〔フォトタイム〕

 

代官山公園その2

代官山公園は、東急東横線代官山駅の北口から歩道橋でつながっています。

 

 

何年ぶりかで、鉛筆を使った。そのとき、これまた久しぶりに消しゴムを使った。かつてはずいぶんお世話になったのに、ずっとご無沙汰であった

 

ちびた鉛筆で原稿を書き、なんども消しゴムで消していた時代など、すっかり忘れていた。しかし、どの家でも消しゴムは必需品であった。

 

ジョン・ブロックマン著、高橋健次訳『2000年間で最大の発明は何か』(草思社)という本がある。1998年、著者のブロックマンは自分のメーリングリスト(会員の投稿がEメールとして全員に送信される仕組み)に、「過去2000年のなかでもっとも重要な発明はなにか」という質問を送った。

 

この質問に、ニューヨーク大学で仮想文化を講じているダグラス・ラシュコフは、消しゴムをあげた。かれの説明はこうだ。

 

<消しゴム。そのほか、コンピュータのデリート・キー、文書の修正液、合衆国憲法の修正箇条など、われわれの犯した誤りを訂正できるしくみのすべて>

 

<いちどつくったものを抹消し、もとにもどって訂正することができないとしたら、われわれは科学理論のモデルを確立することはできなかっただろうし、政治、文化、倫理を発展させることもできなかっただろう。消去装置はわれわれの罪の告白を聴いてくれる司祭であり、罪を赦してくれる法官であり、われわれのタイムマシンなのだ>

 

たかが消しゴム、されど消しゴム。

 

あらためて、消しゴムの存在感を認識した。

 

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〔フォトタイム〕

 

代官山公園その1

全国に代官山公園という名前のところはいくつもあるようですが、これは東急東横線代官山駅そばの公園です。

 

 

「ニューズウイーク日本版」1214日号に、アメリカのレンタル起業家が紹介されていた。金融危機で倹約の精神にめざめたアメリカ人が、不用品のレンタルで小銭を稼いだという話。

 

カリフォルニア州バークレーに住むロブ・ベデカーという人の本業は、編集者で物書き。奥さんも同業でそれなりの収入がある。そのうえ臨時収入を得るために、自分の持ちものをレンタル。みずからをレンタル起業家と名乗っている。

 

同じようなレンタル起業家が、いまアメリカでふえているという。

 

ベデガーの場合、自宅のシャワーまで他人に貸している。

 

<見知らぬ女性が、わが家でシャワーを浴びている。昨夜おそくにボーイフレンドとやってきた彼女が、バスルームを使っているのだ。わたしと妻ローラの仕事部屋のすぐ隣だから、デンタルフロスを使う音まで聞こえる。「かられに会った?」と妻がささやく。「感じのいい人?」>

 

<そんなことはどうでもいい。なにしろ135㌦も払ってくれた客なのだから!

その頃、わたしは看護師のエイミーが研磨器を返しに来るのを待っていた。14㌦で貸したもので、きょうの午前中に返却の予定だ>

 

かれは、このほかに子どもの自転車を5㌦、92型サーブを1週間で150㌦、ギターを1か月50㌦で貸していた。

 

かれの愛犬、7歳のボーダーコリーもレンタルのリストに入っている。1時間3㌦。ただし、近所の方限定とか。

 

いまやウェブサイトで自動車から買い物代行、恐竜の着ぐるみ、クレー射撃の標的発射装置まで貸し借りできる時代。だんだん、せちがらくなって、友だちから無料で借りて、有料でまた貸しする人もいるとか。

 

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〔フォトタイム〕

 

虎ノ門・金刀比羅宮その7

本殿のわきに喫煙コーナーがあります。愛煙家にとっては、数少なくなった憩いの場の一つのようです。

 

 

 

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