2011年08月

けさの朝日新聞「ひととき」欄に、<「B型だから」いいのよ>という投稿があった。熊谷市で書道教師をされている69歳の女性の方からで、そのうちの何節か、抜き取ってみれば――。

 

<被災地での態度が問題になり、7月に辞任した元復興担当大臣の「B型だから」との釈明が波紋を呼んだ>

 

<わたしもそのB型である。性格と血液型の関係に科学的な証明はないけれど、わたしはB型だということを前向きにとらえ、都合よく解釈してきた>

 

<「B型は勝手気ままに生きている」という烙印を逆手にとって、「わがままなのはB型のせいなのよ」とひらき直り、仲間と冗談を言い合っている>

 

投稿された方は、血液型診断を、<けっこう会話もはずむ、おおらかな日本の文化>と、とらえている。同感である。

 

そういうおおらかな気持ちでいえば、25年間、毎朝、駅前に立ってきたという野田さんは、一見、A型ふうだが、じつはB型である。

 

いよいよB型の出番ということになる。

 

〔フォトタイム〕

 

銀座松坂屋その3

右へ行けば新橋、左へ行けば銀座四丁目交差点です。

 

 

日本の政治の不幸は、参議院のドンという不思議な存在に振り回されているところにある。

 

一体、参議院とはなんだろう。参議院は必要だろうか。そういう議論はいくらでもある。しかし、どうして参議院のドンはいつの世もしぶとく生き残っているのか、という議論はあまりない。

 

今回、小沢一郎氏は、参議院のドンに、内閣総理大臣にならないかと打診した。これは、重大問題であった。にもかかわらず、衆議院側から、なんらの反応もなかった。

 

「衆議院の諸君、キミたちのなかに総理大臣の適格者はいないよ」と宣告されたも等しいのに、声すら出ないのだ。

 

松野鶴平、重宗雄三、河野謙三、青木幹雄…見識のあった人もたしかにいた。しかし、ちょっとでしゃばる人もいた。

 

参議院の議員諸氏は、やっぱり生臭くないほうがよい。

 

参議院議員の輿石東氏が民主党の幹事長を受諾した。なかなか巧みな人事だと思う。輿石氏は小沢サイドではあっても、べったり派ではないからだ。

 

そういう意味では、野田新代表の考えに考えた末の決断を一概に否定する気はない。

 

ただ、参議院のドンが、衆議院主導の政治の修羅場で政権党の先頭に立つ状況を想起すると、この人事の是非はこんごも論議を呼ぶにちがいない。

 

〔フォトタイム〕

 

銀座松坂屋その2

松屋、三越、松坂屋と銀座のデパート合戦も熾烈をきわめているようです。

 

 

215票対177票。決選投票で野田さんは113票を積み上げたが、海江田さんはわずか34票しか伸ばせなかった。

 

野田さんが総理大臣の椅子を射止めた最大の勝因は、有力なライバル候補がそれぞれに大きなダメージを抱えていたことにある。

 

海江田さんは、やはり小沢カイライ候補という負の看板の重さに沈んでしまった。泣いたから負けたのではない。「神輿は軽くてパーがよい」という小沢語録に有権者は強いアレルギーを抱き、そのことを民主党の多くの議員は察知し、恐れたのだ。

 

じつは、今回の代表選の敗者は、海江田さんではなく、小沢さんと鳩山さんの小鳩コンビである。ひょっとしたら、ふたりはもう立ち上がれないかもしれない。それほどに深刻である。

 

前原さんは、意外にダメだった。世論調査では圧倒的な人気だったが、民主党の議員諸氏は動物的なカンで、あのひとでは票につながらない、と踏んだと思う。言い換えれば、前原さんに人気があるのではなく、ほかの人が不人気すぎた、ということ。

 

早くから野田さんに落ち着きそうな予感があった。65日の当欄で「野田佳彦という政治家」と題して、つぎのような文を書いた。読んでおられない方のために再録しておこう。

 

≪まったく唐突だが、野田佳彦という政治家の素性というか、身元を知りたくなった。なぜ、急にそんな気持ちになったか、自分でもよくわからないが、とりあえず手元にあるこの政治家のファイルをひらいてみた。

 

そのなかに、「中央公論」2008年7月号の「政治家ミシュラン――この国のリーダー15人の通信簿」と題した座談会があった。出席者は岩見隆夫(政治ジャーナリスト)、松本健一(麗澤大学教授)、伊藤惇夫(政治アナリスト)である。以下は、そのなかのやりとりから抜粋したもの。

 

伊藤 民主党の若手を見ていると、「偏差値政党」だなと思います。偏差値の高い政治家が優秀な政治家だ――と評価する傾向にある。前原さんはたしかに偏差値が高いタイプです。ただ、人間を理解する努力を重ねたほうがいいでしょうね。頭がいいだけでは、政治は進みません。☆は1つ半。

松本 松下政経塾出身の政治家には、似たような傾向がありますね。

伊藤 野田佳彦元国会対策委員長などはちがいますよ。かれは、政経塾ふうではない。みた目とちがって情熱家です。民主党のなかでは、バランスがとれた政治家です。☆は2つ。

岩見 ぼくは星15かな。体型の関係もあるけれど(笑い)。いまの政治家のなかでは、めずらしく親分肌の感じがする政治家で、成長してほしい。

松本 前原氏が政策的な意味で☆2つなら、野田氏は人間的な政治家として☆2つ。菅さんよりいい。

 

野田佳彦氏は、昭和321957)年5月20日、千葉県船橋市でうまれた。近くの習志野に落下傘部隊として知られる、陸上自衛隊第一空てい団があるが、父親はそこの隊員であった。

 

県立船橋高校、早稲田大学政経学部を経て松下政経塾で学んだ。第一期生である。29歳で千葉県議に初当選。2期つとめたのち、日本新党から衆院選に出馬し、当選した。

順調な歩みのようにみえるが、苦労もしている。1996年の総選挙では、わずか105票の差で落選。比例との重複を禁じられていたため、惜敗率9985%ながら浪人を余儀なくさせられた。

 

後世、振り返ってみれば、この浪人体験と、鳩山政権で財務大臣ではなく、格下の副大臣に指名されたことが、そのごの野田氏の命運を決めた、ということになるかもしれない。

 

念願の民主党政権がようやく、誕生したというのに、他のライバルが要職を占めるなかで、自分だけはなぜ、副大臣なんだ、という思いがあったはずだ。

 

しかし、このポジションは、野田氏にとって、じつに幸運であったと思う。内閣総理大臣を目指すなら、やはり財務の知識はおさえておきたい。それには、いきなり大臣より、むしろ副大臣がいい。ここでがっちり人脈を構築し、実務に精通する。そのうえで財務を統括する。

 

野田氏の強みは、そういうセオリーどおりの手順を踏んだことにある≫

 

〔フォトタイム〕

 

銀座松坂屋その1

きょうから一週間は銀座の松坂屋です。

 

 

215票対177票。決選投票で野田さんは113票を積み上げたが、海江田さんはわずか34票しか伸ばせなかった。

 

野田さんが総理大臣の椅子を射止めた最大の勝因は、有力なライバル候補がそれぞれに大きなダメージを抱えていたことにある。

 

海江田さんは、やはり小沢カイライ候補という負の看板の重さに沈んでしまった。泣いたから負けたのではない。「神輿は軽くてパーがよい」という小沢語録に有権者は強いアレルギーを抱き、そのことを民主党の多くの議員は察知し、恐れたのだ。

 

じつは、今回の代表選の敗者は、海江田さんではなく、小沢さんと鳩山さんの小鳩コンビである。ひょっとしたら、ふたりはもう立ち上がれないかもしれない。それほどに深刻である。

 

前原さんは、意外にダメだった。世論調査では圧倒的な人気だったが、民主党の議員諸氏は動物的なカンで、あのひとでは票につながらない、と踏んだと思う。言い換えれば、前原さんに人気があるのではなく、ほかの人が不人気すぎた、ということ。

 

早くから野田さんに落ち着きそうな予感があった。65日の当欄で「野田佳彦という政治家」と題して、つぎのような文を書いた。読んでおられない方のために再録しておこう。

 

≪まったく唐突だが、野田佳彦という政治家の素性というか、身元を知りたくなった。なぜ、急にそんな気持ちになったか、自分でもよくわからないが、とりあえず手元にあるこの政治家のファイルをひらいてみた。

 

そのなかに、「中央公論」2008年7月号の「政治家ミシュラン――この国のリーダー15人の通信簿」と題した座談会があった。出席者は岩見隆夫(政治ジャーナリスト)、松本健一(麗澤大学教授)、伊藤惇夫(政治アナリスト)である。以下は、そのなかのやりとりから抜粋したもの。

 

伊藤 民主党の若手を見ていると、「偏差値政党」だなと思います。偏差値の高い政治家が優秀な政治家だ――と評価する傾向にある。前原さんはたしかに偏差値が高いタイプです。ただ、人間を理解する努力を重ねたほうがいいでしょうね。頭がいいだけでは、政治は進みません。☆は1つ半。

松本 松下政経塾出身の政治家には、似たような傾向がありますね。

伊藤 野田佳彦元国会対策委員長などはちがいますよ。かれは、政経塾ふうではない。みた目とちがって情熱家です。民主党のなかでは、バランスがとれた政治家です。☆は2つ。

岩見 ぼくは星15かな。体型の関係もあるけれど(笑い)。いまの政治家のなかでは、めずらしく親分肌の感じがする政治家で、成長してほしい。

松本 前原氏が政策的な意味で☆2つなら、野田氏は人間的な政治家として☆2つ。菅さんよりいい。

 

野田佳彦氏は、昭和321957)年5月20日、千葉県船橋市でうまれた。近くの習志野に落下傘部隊として知られる、陸上自衛隊第一空てい団があるが、父親はそこの隊員であった。

 

県立船橋高校、早稲田大学政経学部を経て松下政経塾で学んだ。第一期生である。29歳で千葉県議に初当選。2期つとめたのち、日本新党から衆院選に出馬し、当選した。

順調な歩みのようにみえるが、苦労もしている。1996年の総選挙では、わずか105票の差で落選。比例との重複を禁じられていたため、惜敗率9985%ながら浪人を余儀なくさせられた。

 

後世、振り返ってみれば、この浪人体験と、鳩山政権で財務大臣ではなく、格下の副大臣に指名されたことが、そのごの野田氏の命運を決めた、ということになるかもしれない。

 

念願の民主党政権がようやく、誕生したというのに、他のライバルが要職を占めるなかで、自分だけはなぜ、副大臣なんだ、という思いがあったはずだ。

 

しかし、このポジションは、野田氏にとって、じつに幸運であったと思う。内閣総理大臣を目指すなら、やはり財務の知識はおさえておきたい。それには、いきなり大臣より、むしろ副大臣がいい。ここでがっちり人脈を構築し、実務に精通する。そのうえで財務を統括する。

 

野田氏の強みは、そういうセオリーどおりの手順を踏んだことにある≫

 

〔フォトタイム〕

 

銀座松坂屋その1

きょうから一週間は銀座の松坂屋です。

 

 

けさの日本経済新聞に載ったトリポリ発の共同電によれば、リビアの首都トリポリにあるカダフィ大佐邸の寝室からコンドリーザ・ライス前米国務長官の写真を集めたアルバムがみつかったという。

 

カダフィ大佐とライス女史。意外な結びつきであるが、カダフィ大佐の片思いなのだろう。

 

カダフィ大佐はライス女史の大ファンで、かつてテレビインタビューで、アフリカ系アメリカ人のライス女史を、「愛しており、尊敬し、誇りに思っている」と語ったことがあるとか。

 

ライス女史のコメントはないが、ヌランド米国務省報道官は、「とても変で気味わるい」と話したという。たしかに、はた迷惑というか、なんとなく薄気味がわるい話で、報道官のコメントのとおりだ。

 

記事によれば、2008年秋、リビアを訪問したライス女史にカダフィ大佐がダイヤモンドの指輪など約21万㌦の贈り物をしたというが、これが事実ならライス女史のダメージは大きい。

 

カダフィ大佐が失脚するなど、だれも想像もしていなかった。どこで、なにが起き、どんなことが明るみに出るかわからない。そんな、時代になったようだ。

 

〔フォトタイム〕

 

JR原宿駅前の歩道橋その7

外国人が、どんどん歩道橋を渡っていきました。

 

 

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