2011年06月

24日は茹(う)だるような暑さだったのに、25日は初秋のような気候であった。こういうデコボコした陽気は、どうも落ち着かない。

 

24日、埼玉県の熊谷市で398度という猛暑を記録した。どの程度の暑さなのか、予想もつかない。以前、熊谷の人が、「子どものときから、ここは暑かったので慣れています」とテレビで語っていたのが、ずっと記憶に残っている。

 

慣れ、というのは、とても大切なのだ。

 

「習うより慣れよ」ということわざがある。だれかに学んで習得するよりも、からだで自然に慣れていったほうが身につくというわけだ。ことばを覚えていく幼児をみていると、その言語感覚の巧みさに思わず感動することがある。

 

自分の英語学習をふりかえってみると、ずいぶん文法に時間を費やしたように思う。それがまったく無駄であったとは思わないが、どれだけ役立ったかといえば、よくわからない。

 

知り合いのサラリーマンがアメリカへ転勤となった。新築したばかりだったうえ、アメリカ行きは不本意な人事だったようで、一家は沈んでいた。しかし、子どもたちにとっては、絶好のチャンスだ。子どもの頃に海外で生活できるかれらが、じつに羨ましかった。

 

たぶん、不満だらけのアメリカ生活も、慣れていくうちに、楽しくなっていくはずだ。慣れというのは、なにごとにも勝る良薬である。ただし、慣れがマイナスに転じる場合もあるので、要注意のときもある。

 

〔フォトタイム〕

 

キャラクターストリートその6

子どもたちにとって、これらキャラクターは神様のような存在でもあるようです。

 

 

暑い。こういうときに、咄嗟にウナギを連想する人と、ソフトクリームを思い出す人がほどほどにいるはずで、日本列島、どちらのほうが多いか、といったばかばかしいことを考えながら、ずっとエアコンを我慢している。

 

ほんとうは、冬にウナギをたべてもなんら不都合はないのである。実際、冬のほうがおいしいという人もいるし、寒ウナギということばもある。しかし、やっぱり、カンカン照りのときのかば焼きというのはわるくない。

 

いかにもスタミナがつくような気になるのだ。ものごとは、すべからく、「…のような気になる」というのが、大切だ。ソフトクリームが、ウナギに一歩及ばないのは、このパンチ力に欠けるからだろう。

 

江戸期以来、もともと真夏のかば焼きは、あまり売れなかったらしい。そこでウナギ屋が平賀源内のお知恵を拝借したら、「バレンタインのチョコレートを真似せよ」というわけはないが、それに似たようなことをアドバイスしたという説もある。

 

聞くところによれば、歌人の斎藤茂吉は3日に1度は、夕食にうな重をたべていた時期があったという。怪妻との生活には十分なスタミナが必要だったということもすこしはあったかもしれないが、山形生まれの茂吉先生はほんとうにウナギが好きだったのだろう。

 

ところで、ことしは世界的に稚魚の不漁で、ウナギの値段は高くなっているとか。これがいちばん気になるところである。

 

〔フォトタイム〕

 

キャラクターストリートその5

キャラクターストリートは、バンダイの本社そばにあります。

 

 

 

この8月5日で、マリリン・モンローが亡くなって49年になる。死後、半世紀近くなっても話題に事欠かず、最近は映画「七年目の浮気」(1955年)で着たドレスが競売にかけられ、460万㌦(約3億7000万円)で落札された。

 

昔、この映画は一度くらいみたような気もするが、かといってなにも覚えていない。「七年目の浮気」といえば、地下鉄の通気口に立ったモンローのスカートが舞い上がる場面が有名だが、映画ではこれと同じ全身像は出てこないという。

 

映画では上半身と下半身にわかれて撮られているというが、そういうシーンならさほど印象にも残るまい。

 

映画のスチール写真が、モンローの魅力を世に広め、そのドレスに4億円近い価値をもたらしたわけだ。まことに写真の威力は大きい。

 

「七年目の浮気」に出演したとき、モンローはジョー・ディマジオと結婚していた。ディマジオは、この通気口の場面に不満で、それが離婚の原因になったという説もあるが、真偽の程はわからない。

 

離婚のときのモンローのことばが残っている。

 

「家庭に閉じこもるなんて、わたしにはムリだわ。だって、わたしには、たくさんの夢があるんだもの」

 

たとえ出演した映画の内容など、なにひとつ知られることがなくなっても、モンローはそのスチール写真だけで十分に存在感をこれからも保ちつづけるのだろう。

 

〔フォトタイム〕

 

キャラクターストリートその4

キャラクターストリートのすぐそばに、200年以上つづく「駒形どぜう」浅草本店があります。

 

 

 

読んでいるうちに、胸がジーンとしてくる記事であった。

 

けさの朝日新聞によれば、<(福島県)飯館村は、村役場での業務最終日となった21日、夏休み期間中(8月8~16日)に村内の中学1、2年生約20人をドイツに派遣すると発表した>という。

 

咄嗟に自分が中学1、2年生だった頃を振り返った。新潟県北端の農村に生まれ、はじめて修学旅行で上野駅に着いたのは、中学3年のときだった。外国へ行ったのは、社会人になってからだ。

 

自分の過去など、どうでもよい。記事をつづけよう。

 

<「飯館村『未来への翼』プロジェクト」と銘打ち、南西部の環境首都フライブルクの民家に宿泊しながら、バイオガス発電発熱やグリーンツーリズムなどを視察する。旅費や滞在費は全額村が負担する>

 

役場も福島市へ移転し、約6000人の村人がバラバラになって避難していく一大事のときでも、将来を見据えたプロジェクトを続行する飯館村はすごいと思う。こういうのが、ほんとうの政治ではあるまいか。

 

飯館村では、22年前から農家にとっていちばん忙しい秋の刈り入れどきに、お嫁さんたちが、10日間ほどヨーロッパ旅行するプロジェクトもつづけている。ただし全額無料ではなく、自己負担分として10万円が必要だ。

 

こういう発想を思いつき、実際に実行に移した飯館村の英知、それぞれの家庭の理解に脱帽せざるを得ない。

 

けさの朝日記事はこう結んであった。

 

<村は、「かれらは未来の飯館村を担っていく希望。自然を生かし、互いを思いやりながら地域づくりを進める先進地の取り組みを学んでもらいたい」としている>

 

異文化にふれてきた中学生たちと、離れ離れの飯館村の人々が、ふたたび住み慣れた大地で一緒に生活できる日が一日も早く来てほしいと願うや切である。

 

〔フォトタイム〕

キャラクターストリートその3

よく知られた場所なのでしょう、親子連れの姿もありました。

 

 

 

 

 

ちょっとしたことが、人間の運命を分ける。誤って海に転落したトラック運転手の男性(42)の場合は、99%、絶体絶命の状況にあったが、運と知識と好判断で奇跡的に命拾いした。いつ、いかなるときでも、豊富な知識や冷静な判断が、つぎの展望へとつながっていく事例として頭の片隅に記憶しておきたい

 

18日あさ、高松発宇野行きのフェリーに乗船した男性は、高松港から56㌔のところで船酔いし、右舷後方の甲板にもたれかかった。そして激しい吐き気におそわれ、身を乗り出した際、海に転落してしまったのだ。

 

目撃者はだれもいなかった。

 

フェリーは、どんどん遠ざかっていく。いくら叫んでも、声など届くはずもない。男性は泳げなかった。救命胴衣はもちろん、まわりには、つかまるものなどなにもなかった。

 

海中に放り出されたカナヅチの人が助かるなど、だれも考えもしないだろう。

 

男性は、それでも沈まなかった。男性は知っていたのかどうか。こういう場合は、じたばたしないで静かにしていたほうが、波にゆられて浮いている。しかし、泳ぎのできない大半の人たちは、突然の予期しない出来事にうろたえ、必死でもがき、かえって沈んでいってしまうのだ。

 

男性は、携帯をとりだし、118番した。防水型ではなかったのに、海上保安部につながったのは、まさしく運がよかったというしかない。しかし、118番という海の緊急番号を知っていた男性の知識に注目したい。

 

海上保安部から連絡を受けたフェリーが現場に引き返し、ぶじ男性を救助した。男性が助かったのは、決して運とか、偶然とかだけではない。自分が身につけていた知識で、自分の命を救ったのもたしかなのである。

 

〔フォトタイム〕

 

キャラクターストリートその2

子どもたちが歓声をあげたくなるようなキャラクターが、ご覧のように立ち並んでいました。

 

 

 

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