2011年03月

地方選の低調ぶりはある程度、予想されていた。しかし、これほどとは思わなかった。被災地の復興や福島第一原発安定化の見通しが立たない現状では、とても選挙どころではないのだ。

 

平穏な日々に戻るまでは、相当の長期戦になるのは、もはやだれの目にも明らかである。

 

政局の流れは一変し、衆議院の解散も遠のいた。やっぱり、こんごの道筋はひとつしかないように思う。

 

結局は、大連立でこの難局を乗り切るしかない、ということ。

 

本来、与党も野党も日本再生の認識では一致しているのだがら、大連立はそれほど難しくないはず。

 

ただ、いうはやすし。

 

政治はいわば党派の知恵くらべであり、究極的には権力の争奪である。当然、そこには生臭いニオイがたちこめ、見え透いた思惑が飛び交う。

 

建て前はわかっていても、本音が行動を鈍らせている。

 

しかし、回り舞台は、一回転したのである。

 

いま、舞台の上の政治家は、多くの有権者からじっとみつめられている。未曾有の国難のなかで、傍観者のような政治家は、所詮、有権者の評価を得ることはできないであろう。

 

そろそろ小異を捨てて大同につく時期である。

 

〔フォトタイム〕

 

丸の内ブリックスクエアその4

これが三菱一号館美術館です。

 

 

 

60代の夫婦がスーパーで野菜を選んでいた。どちらも真剣な表情である。時節柄、念には念を入れている気持ちはよくわかる。

 

ただ、子どもや孫も食べる野菜ならともかく、ふたりだけのものなら、ちょっと心配症も度が過ぎているようにも思えた。

 

すでにスーパーの仕入れ段階で安全性は確認されているはず。還暦を過ぎた世代ならそれほど神経質にならなくともいいのだが、これはそれぞれの性格というものであろう。

 

なにごとも安心第一、という性分の人はけっこう多い。言い換えれば、不安を極度に恐れる、ということで、危険情報や品不足などに思わず身構えてしまうのだ。

 

安全性に関する情報も、危険を知らせる第一報が頭にこびりついて、その後、青信号になってもなかなか判断の切り替えができない。

 

「備えあれば、憂いなし」というから、こういう過敏な性分はリスクに直面したとき、ふつうの性分の人より有利ではあろう。半面、社会の秩序を乱しかねない、困った性分でもある。

 

「なにをおいてもミネラルウォーターだ」

「トイレットペーパーがなくなったら、どうしょう」

「大阪の親戚に乾電池を買ってもらおう」

 

ついつい買い占めに走るのも、安全より安心を優先させる性分にちがいない。

 

〔フォトタイム〕

 

丸の内ブリックスクエアその3

丸の内ブリックスクエアは東京駅から徒歩数分。念のため、案内図を撮ってきました。丸の内の仲通りに面しています。

 

 

 

 

 

けさの産経新聞によれば、福島第一原発の現場では、東電と協力会社の社員らは「1日に非常食2食」という劣悪な環境のなかで作業をつづけているという。

 

また、寝泊まりしている免震棟内に暖房が入っているとはいえ、夜間は毛布1枚しか与えられず、作業員たちは底冷えするなかで眠っていると、同記事は伝えている。

 

高い放射線量のなかで懸命に作業をつづける人たちに、いま日本は命運を託している。これは決して大仰な表現ではない。

 

にもかかわらず、作業員の朝食は、非常用ビスケットと小さなパック入り野菜ジュース1本。夕食は、マジックライスと呼ばれる温かい非常用ご飯1パックと、サバや鶏肉などの缶詰ひとつだけとか。

 

この記事を読んで、あまりの酷さに驚き、次第に腹が立ってきた。

 

寝具と食糧の差し入れはそれほど難しいのか。

 

たしかに現地への輸送手段は極端に制限されている。しかし、完全に遮断されているわけではないのだから、寝具や食糧の供給はいくらでもできるはずだ。

 

現在、そういう経費を節約している場合ではない。いや、その経費たるや、作業員らの仕事の重要性から比較すれば、1円や2円ていどにすぎない。

 

まさか、「被災地の皆さんは、つらい日々を過ごしているのだから、現地の作業員も我慢してほしい」というわけでもあるまい。そんな精神論なども不要だ。

 

東電でも、官邸でも、原子力安全・保安院でも、どこでもいい。絹のふとんなどとはいわないから、せめて毛布よりずっと暖かいふとんや、もっとおいしくて栄養価の高い食糧などを早急に差し入れてほしい。

 

〔フォトタイム〕

 

丸の内ブリックスクエアその2

丸の内ブリックスクエアは、三菱一号館美術館と、丸の内仲通りにはさまれたところにあります。こういうエリアがある、というのを知らない人たちもすくなくないようです。

 

 

 

福島第一原発で被ばくした作業員3人がすぐに退院できてほっとしているが、いまも症状に変化はないのだろうか。あれだけの放射線量を浴びても、無事であるなら、これほどうれしいことはない。

 

ところが、ニュースメディアというのは、悪いニュースは大々的、かつ事細かく報道するが、事態がおさまると、途端に関心を失ってしまう。

 

これからも、時折でいいから被ばくした作業員の容態を伝えてくれると有難い。

 

農産物の風評被害にあっている地域の首長さんが、NHKの取材で嘆いていた。野菜の放射線量が高いと大きく報道され、死活問題となっているのに、その後、放射線量が減っても、全然、そのことは伝えてくれないというのである。

 

情報の送り手にとっては、耳の痛い話だ。生活に直結する情報は、状況が好転しても、折々に続報を伝えるのが望ましいのはいうまでもない。

 

飲料水や野菜などは、日常生活の基本ベースであり、だれしもきめの細かい情報を求めている。

 

現在、福島第一原発が予断を許さない状況にある。ぞっとするような高い数値が検出されている。

 

それだけによけい、被ばく作業員の良好な状態とか、野菜や飲料水の放射線量低下といった安心情報をもっと積極的に伝えてほしいと思う。

 

〔フォトタイム〕

 

丸の内ブリックスクエアその1

丸の内の三菱一号館美術館の裏手に緑豊かな広場があります。

 

 

昼のNHKニュースで、仙台市が5か所の学校のグラウンドを開放して、当分の間、震災ごみを受け入れると報じていた。被災地ではどの家庭も予期しなかった大型ごみを抱えているのだから、こういう場所が設けられると、ずいぶん助かるはずだ。

 

各自がそれぞれの判断で捨てる震災ごみとちがって、やっかいなのが、被災地に散乱するがれきという私有物の山。

 

ひとくちにがれきといっても、所有者にとっては、掛け替えのない宝物かもしれず、その撤去にはさまざまな問題も生じる。

 

わが家に近づけない人たちにすれば、十把一絡げに処分されてはたまったものではない、という気持ちも強いと思う。

 

位牌やアルバムなどは、どんなに泥にまみれ、破損していても、がれきとみるわけにはいかない。がれきのなかからは、実際に大型金庫もみつかっている。これは個人の所有ではないと思うが、一般家庭でも小型金庫や宝石箱をもっている人はいる。

 

撤去作業にあたる自衛隊などは、こういったものをみつけた場合は、ちゃんと決められたところで保管している。

 

しかし、だれがみても判別できる位牌や金庫は極端にすくなく、大半はいうところのがれきである。ここになやましさがあるのだ。

 

いちいち私権を尊重していたら膨大ながれきの山が一刻も早い復興を遅らせてしまう。政府は、私有地への一時的な立ち入りは所有者の承諾を得なくとも差支えないとか、価値のないものは解体、撤去してもいいといった指針を関係7県に通知した。

 

被災者それぞれの感情を理解しつつも、こういう非常事態では、私権が極端に制限されても致し方ないといわざるを得ない。

 

〔フォトタイム〕

日比谷公園周辺その7

日比谷公園も、いざというときの重要な避難場所のひとつです。

 

 

 

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