人生の究極のエクスタシーは、全身全霊をもって、ひとりの人間に尽くすことである。断じて尽くされることではない。
「尽くす」という表現は、恋愛感情とか、肉親の情愛などにつながりやすいが、いまわたしがテーマとして想定したいのは、忠誠心である。
織田信長と森蘭丸の関係を性的にとらえると、重苦しくなるが、純粋な主従関係からみると、だれしも蘭丸の忠誠心にうたれると思う。
蘭丸のような正真正銘の忠誠心は傍目にも美しいし、そもそも人間はできればだれかに忠誠を誓いたいという欲求を潜在的に持っていると思う。
ただ如何せん、忠誠を誓うといっても、会っただけで身震いするような格上の人物との出会いはめったになく、あったとしても、信頼を得る確率はきわめて低い。得難い人を知り、かつ知られ、存分に忠誠心を発揮できた人は、10万人にひとりくらいではあるまいか。
充実した人生を過ごせた、うらやましい人たちである。
もっとも、いかにもそれらしい、忠誠心を装ったパフォーマンスとなれば、これはゴマンといる。とくに目立って多いのが政界で、あちらこちらで忠誠心合戦が展開されているのは周知のとおりである。
そのなかで、忠誠心の決算期が近づいてきたのが、小沢一郎さんのもとにはせ参じたセンセイ方。そろそろ忠誠心の損得勘定を見極めるタイミングにさしかかったのである。
蘭丸のごとく親方に殉じるか、それともしれっとして、後ずさりしていくか。はたしてどちらが有権者の好感を得るのか、それぞれに思案のしどころであろう。
〔フォトタイム〕
日比谷ネオ屋台村その3
日にちによって、あるいは昼と夜では、屋台の台数もちがっているのでしょう。