2011年01月

塩野七生(しおの・ななみ)さんが20年以上も前に新潮社から出した著書に『マキアヴェッリ語録』がある。マキアヴェッリという名前が、急に懐かしくなって、「マキアヴェッリ先生、ほんとに久しぶりです」といった感じで、本棚の隅っこにあったこの本を手にした。

 

マキアヴェッリのことばなら、どれでもいいとばかり、ページをひらいたら66頁。以下、つぎの一節をとりあげたのも、偶然という次第。

 

<君主にとって、術策など弄せず公明正大に生きることがどれほど賞讃に値するかは、だれにもがわかっていることである>

 

<しかし、われわれの経験は、信義を守ることなど気にしなかった君主のほうが、偉大な事業を為しとげていることを教えてくれる>

 

<それどころか、人々の頭脳をあやつることを熟知していた君主のほうが、人間を信じた君主よりも、結果から見れば越えた事業を成功させている>

 

これは、マキアヴェッリの代表作『君主論』のなかにあることばだという。学生のとき、一応、『君主論』は読んだつもりだが、こういう一節があったのは、もうすっかり忘れていた。

 

<この理由を探るには、まず次のことを頭に入れておく必要があるだろう。

すなわち、成功を収めるには二つの方法があるということだ。第一の方法は法律であり、第二の方法は力である>

 

マキアヴェッリによれば、第一の方法は人間のものであり、第二の方法は野獣のものである。

 

成功を収めるには、手段を選ばず。野獣の力が必要という権謀術数の世界がマキュアベリズム。こういう生々しい処世術が、世の喝采をあびるはずもない。しかし、現実社会は、マキアヴェッリのいうとおりでもある。

 

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〔フォトタイム〕

 

上野駅構内その1

上野駅の構内は、たしか以前紹介したことがありました。昨年12月、近くに用があったとき、構内に立ち寄って撮ってきました。

 

 

 

秀忠は恐妻家だった。正夫人のお江(ごう)は勝気だったうえに、嫉妬心が強く、秀忠の浮気を決して許さなかったようだ。考えてみると、徳川将軍家においては、どの家にもまして浮気が重要な仕事のひとつであったはず。

 

なにしろ、女性は選り取り見取りの江戸城である。秀忠の時代、まだ大奥は花開いていなかったとしても、将軍が望めば、側近らの手配で側室などどうにでもなったと思う。

 

しかし、実際に秀忠は、お江を恐れ、側室をつくっていなかったようだ。女性への関心が淡白であったのだろう。

 

もっとも、お江の目を盗んで浮気をしなかったわけではない。身ごもった奥女中もいたが、お江は出産を認めなかった。

 

わきの腹でも将軍の子は貴重である。たとえ将軍夫人であっても、そうかんたんにご懐妊の奥女中の処分などできるはずはない。しかし、実際にお江はそうしたというのだから、当時としては稀有な女性といってよい。

 

こうした話から秀忠は、女房の尻に敷かれたボンボンの二代目と思われがちだが、秀忠を後継者にした家康の判断はまちがっていなかったと思う。

 

じつは、意外に秀忠は大胆なところがあって、こともあろうに怖い女房の侍女に手をつけて妊娠させてしまったこともあるのだ。相手は浪人の娘だったが、生まれた男の子は、幸運にも生き延びた。のちの初代会津藩主、保科正之(ほしな・まさゆき)である。ちなみに秀忠が、正之に会ったのは、生まれてから18年後であった。

 

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〔フォトタイム〕

 

日比谷ネオ屋台村その7

まっすぐ行けば、日比谷公園です。

 

 

 

作家の井上靖さんは、ちょうど20年前の平成31991)年129日、83歳で亡くなった。その前年、井上さんにインタビューしたが、そのときに聞いた話をひとつ紹介したい。

 

当時、井上さんの長編小説『孔子』(新潮社)が人気を呼び、70万部に迫っていた。外国からも注目され、中国はもとより、韓国、台湾のほかヨーロッパ19か国から翻訳の依頼がきていた。

 

孔子といえば、論語だが、驚いたのは、井上さんと論語の出会いが、意外に遅かったということ。若いときから中国の古典に接していたと思っていたが、そうではなかった。

 

井上さんは、こう語った。

 

「論語との出会いは60代になってからです。高等学校(旧制4高)のときの専攻は理科で、漢文を勉強した記憶はまったくありません。大学(京大)では哲学にいきましたけれど、論語は1頁もひらかない。それがなにかの機会で論語の解説の一部を読んだ。それから毎日すこしずつ読んでいくうちに面白くなった」

 

学習に年齢は関係ない、ということ。

 

60代というのは、わたしがそろそろ人生の始末書を書く年齢なんです。それから20年ぐらい読んでいます。すこしも飽きなかった」

 

張りのある声でそういった井上さんの姿が、いまも懐かしく目に浮かんでくる。

 

蛇足ながら、井上作品のなかで、若いときから愛読したのは、自伝ふうの「あすなろ物語」であった。

 

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〔フォトタイム〕

 

日比谷ネオ屋台村その6

アチラふうの屋台もありました。

 

 

昨年暮れ、海部俊樹さん(元首相)の著書『政治とカネ――海部俊樹回顧録』(新潮新書)を買ってきた。奥付をみると、昨年1120日発行なのに同12104刷とある。わずか20日で4刷は、売れ行き好調ということ。

 

最近、思いだして、この本を手にした。190頁たらずで、じつに読みやすい。そのまま一気に読んでしまった。

 

海部さんは、冒頭でこう書いている。

 

<政治家の回顧録は、都合の良いことだらけが常だが、わたしは本書に弱さも含めた正直な自分を綴っていく。世の中には「墓場まで持っていく話」というのがあるが、わたしは、隠し立てすることなくありのままの出来事を書いていく。そうすることで、みなさんが今後の日本政治を考えるための一助になればと願うからだ>

 

たしかに海部さんは、65%はありのままに書いていると思った。たとえ65分でも、これまで政治家のなかでは、もっとも正直な回顧録といってよい。

 

自民党の海部さんは、平成元(1989)年夏、58歳のとき、第76代の内閣総理大臣に指名された。弱小派閥、河本派の海部さんが官邸に入ったのは、いうまでもなく竹下派の後押しがあったからだ。

 

自民党の幹事長は、竹下派の小沢一郎さんで、このとき47歳。当時の最高実力者は、派閥領袖の竹下さんより金丸信さんのほうで、金丸秘蔵っ子の小沢さんの絶頂期であった。

 

その小沢さんが、こともあろうに、自分が支えるべき、ときの総理大臣を評して、「神輿(みこし)は、軽くてパーがいい」と新聞記者に漏らした、というのである。竹下派にすれば、思い通りになる首相がいちばん適任、というわけで、じつに正直なことばでもある。

 

しかし、海部さんにすれば、屈辱的である。よく黙っていたものだと思っていたが、この本を読んで、じつは、海部さんは、ご本人に直接質していたのを知った。海部さんは、こう書いていた。

 

<「担ぐ御輿は、軽くてパーなヤツが一番いい」

わたしに関する小沢発言で、最も有名なのがこれだろう。人づてにこの件を聞いたわたしは、かれに直接訊いた。

「言ったのかい?」

するとかれは、しゃあしゃあと、

「言った憶えは断じてない。記事を書いた記者を呼びつけましょう」

と、凄んで見せた。

もちろん、わたしはそんなことはしなかったし、要は、首相と幹事長の間柄として、腹に溜めたままにしておきたくなっただけのことだ。真相はどうでもいい。上に立つ者は、それくらいは飲み込んでしまわないといけない>

 

その後、小沢さんは、金丸さんから首相になるようすすめられたが、ことわった。首相くらい、いつでもなれる、というのが、その頃の小沢さんの心境であったと思う。しかし、なれるときにならないと、運は逃げていくのである。

 

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〔フォトタイム〕

 

日比谷ネオ屋台村その5

ここは近くのサラリーマンたちの憩いの場でもあります。

 

 

 

 

アリの穴から堤防も崩れるという故事を畏(かしこ)まっていえば、「千丈(せんじょう)の堤(つつみ)も蟻穴(ぎけつ)より崩(くず)るる」となる。ささいな出来事が、大変化につながる事例は、歴史がいくつも教えてくれる。

 

一昨日の朝日新聞朝刊を読みながら、蟻穴の教えを思った。記事によれば、チュニジアの独裁政権を倒した大規模デモの発端は、リヤカーの荷台で果物を売って家族を養ってきた青年(26)の抗議の自殺だったというのだ。

 

青年は昨年1217日あさ、いつもの路上で商売を始めようとした。そこへ役人3人がやってきて、「営業許可がないだろう」と脅し、罰金400ディナール(約23000円)を要求した。

 

青年の1日の売り上げはわずか57ディナール。法外な金額をふっかけては、いやがらせをする役人。こういう光景はチュニジアでは日常茶飯事であったようだ。商売道具のはかりを奪われた青年は激しく抵抗したが、殴られ、蹴られ、あげくに果物を持ち去られた。

 

怒りに駆られた青年は、地元知事の事務所を訪れたが、相手にされず、近くの商店で買ったガソリンを頭からかぶり、ライターを手に叫んだ。

 

「どうして耳を傾けないんだ。火をつけるぞ」

 

しかし、だれもとりあってくれず、青年はついに火をつけた。

 

事件は、猛烈なスピードで広まっていった。防波堤が崩れ、民衆の怒りは巨大なマグマになって噴出した…。

 

世界の独裁者たちは、息をひそめて、チュニジアの事態をみつめ、チャウシェスクの末路を思い浮かべたであろう。

 

チュニジアの小さなアリの穴が、やがてエジプトにまで穴をあけようとしている。30年近く権力の座にあるムバラク大統領が、かつてない民衆の抗議をうけているのだ。

 

何年か前、カイロに行ったとき、警官の姿が多いのにびっくりした。治安悪化で観光客からそっぽをむかれたというので、警備の強化に乗り出したという話だった。

 

とくに多かったの大統領府の周辺。たまたま大統領の出勤時だったからであろうが、黒山のように警官が配置されていた。

 

いま思うと、あの異様な光景は、ムバラク大統領の民衆に対する疑心暗鬼をあらわしていたのかもしれない。

 

〔フォトタイム〕

 

日比谷ネオ屋台村その4

屋台というより、ワゴンフードという言い方のほうが、似合っているかもしれません。

 

 

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