2010年11月

国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)で企画展示されている「武士とはなにか」が面白い(1226日まで)。

 

織田信長像、武田勝頼軍役宛行状、御成敗式目、豊臣秀吉朱印状、川中島合戦図屏風、陣羽織、徳川慶喜像など約220点。

 

 

このなかから「江戸幕臣出世双六」を紹介しよう。

 

 

幕臣というのは、江戸時代の官僚。この出世双六、どちらかといえば下町の江戸っ子たちより、旗本屋敷の子どもたちの遊びだったのだろう。

 

 

出世双六で興味深いのは、それぞれのポストに付け届けの数が出ている点。ひと目で役得がわかるようになっている。

 

 

いちばん付け届けが多いのは、大老でも老中でもなく、若年寄と側役・奏者番。なぜか。カタログによれば、若年寄は旗本全体の人事権を掌握していたのだという。また、側役・奏者番は将軍のそばにいて実権を振るっていたからだという。

 

 

このへんの機微は、古今東西、どこでもだいたい同じようである。

 

 

当節の草食系の若者は、出世にあまり関心がないというが、江戸時代も後期になると、役職に就きたがらない者や、せっかくポストを与えられたのに辞めたがる旗本もいたという。

 

 

それにしても、旗本の子どもたちは、こういう双六を通してワイロなどの知識を身につけていったのだろうか。

 

 

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〔フォトタイム〕

 

 

晴海トリトンその2

 

これが晴海トリトンの正面で、エスカレーターでビルの入り口へと向かっていきます。

 

 

政界であれ、経済界であれ、はたまた町内会であれ、見識のあるリーダーが、みずからどんどん決裁していくトップダウンのところは、スピーディーで活気がある。ただ、度が過ぎると、スタッフが指示待ち人間になりやすいので、そこは要注意である。

 

そこで、トップダウンをうまく利用して、スタッフにやる気を起こさせることも考えたほうがよいという例をひとつ。

 

 

戦前、岩崎小弥太という企業経営者がいた。昔、三菱財閥を大きくしたこの人物に関する本を読んでいて、面白いエピソードを知った(以下、宮川隆泰著『岩崎小弥太』中公新書を参照)。

 

 

周知のように三菱の創業者は、龍馬の盟友、岩崎弥太郎である。弥太郎には、弥之助という弟がいた。岩崎小弥太は、弥之助の長男で、母親は後藤象二郎の娘早苗であった。

 

 

岩崎家は、子どもたちを海外留学させた。弥太郎の長男、久弥(三菱合資会社初代社長)はアメリカのペンシルバニア大学、小弥太は英国のケンブリッジ大学に学んだ。

 

 

大正5年、小弥太は従兄である久弥のあとを受けて三菱合資会社社長に就任した。38歳のときだ。以来、終戦で財閥が解体されるまで社長をつとめた。

 

 

社長時代の昭和9年のこと。関東大震災で被害を受けた丸ビルは、震災後の補修修理で簡易モルタル吹き付けの外壁になっていた。景気が回復したので本格的な改修工事にとりかかった。

 

 

そのときのことを宮川著『岩崎小弥太』は、三菱地所社史をもとにこう記している。

 

 

<新しい外壁タイルは岐阜県の多治見で焼成されたもので、担当の地所課では実物模型を10種類ほど用意してきめることになった。幹部一同甲論乙駁容易に決まらなかった>

 

 

<小弥太は担当の藤村朗の案内で館内を回っているときに小声でそっと聞いた。「藤村君、君はどれがよいの。僕はそれにするよ」>

 

 

<鶴の一声で丸ビルの外壁タイルの色とスタイルが決まった。藤村は感激して永くこのことを皆に語っていたという>

 

 

岩崎小弥太に学ぶべき点は、最高意思決定者として自分が決断すべきことか、あるいはスタッフの意向を尊重していい事柄かのラインをきちんと把握していたことであろう。

 

 

以前、コンビニのお偉方がおにぎりの試食をしているのをテレビでみて、なんとなくおかしかった。

 

 

もちろん、コンビニにとって、おにぎりは最重要商品であることはよく認識している。しかし、そのとき、思ったのは、皆さん、仕立てのいいスーツを着て、自分のおカネでおにぎりを買うようなふうにはみえなかったので、なんとなく違和感があった。

 

 

岩崎小弥太なら、どうしたか。

 

 

「たかが、おにぎりくらい、君たちで決めてくれ」とは、たぶんいわなかったと思う。率先して、おにぎりをほおぼったとも思う。知りたいのは、その前後にどういう行動をとったかだが…。

 

 

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〔フォトタイム〕

 

 

晴海トリトンその1

 

晴海トリトンは、中央区晴海1丁目にある複合商業施設です。

 

 

小泉進次郎議員の評判をあちこちで聞く。だれもが異口同音にこの若い政治家のことばに感心している。父親譲りだというのだ。

 

たしかに、テレビニュースでみても、的確なフレーズに感心することがある。絶叫調がないところなどは父親以上かもしれないが、まだまだ未知数といえよう。

 

 

「文藝春秋」12月号に林真理子(作家)、柴門(さいもん)ふみ(漫画家)、安藤優子(ニュースキャスター)の3女史による座談会、<永田町オンナの最新格付け「政治家も顔が命です」>があって、そのなかでつぎのような小泉進次郎評があった。

 

 

 (小泉)進次郎王子が成長するのを待つしかないのかな。

 

安藤 王子ですか、やっぱり?

紫門 進次郎は究極のナルシストですよね。あの髪の飛びはね(笑い)

 演説を聞いたことがあります。いろいろ話をした後、最後に10分間ぐらいどうでもいい話をするんだけど、やっぱり進次郎くんの話だけは妙に心に残る。たいしたことは話してなくて、ちょっと時局を語るくらいなんだけど。

柴門 言葉が立ってるんですよね。お父さん譲りで。

安藤 それは本当に思いますね。

柴門 喋り方もいいですよね。カッコいいし。

安藤 歯切れがよくてね。ずるいなあと思うのは、テレビって、ひとつのコメントを使える時間が最大15秒なんです。お父さんはワンフレーズ15秒できっちり収める。進次邸くんも123秒。自分が言いたいことをカットされずに使えるように、ちゃんと喋ってるんですよ。

 

安藤さんによれば、進次郎議員は、インタビューでも当意即妙の答えが素晴らしいという。父親の小泉さんは、「俺がかれの歳のときにはあんなことは到底できなかった。だから、自分より器は上」と、安藤さんに漏らしたとか。

 

進次郎議員のことばが注目されるのは、言い換えれば、それだけ権力の中枢にいる政治家のことばが軽いということでもあろう。

 

 

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〔フォトタイム〕

 

 

東京ミッドタウン前その7

 

大通りのむこう側から、東京ミッドタウン前を撮りました。

 

 

縄文時代も甘栗はあったのだろうか。あったという証拠はないが、さりとてなかったという証明ができるわけでもない。

 

甘栗をつくるのに、砂糖とか、調味料といったものは、必要はない。

 

縄文人に関するかぎり、まだわからないことだらけで、現代人が想像できないくらいの文化生活をたのしんでいた可能性もある。

 

縄文人にとって、クリは貴重な食糧であった。奈良県橿原市の観音寺本馬遺跡からは、約80平方㍍四方に25本のクリの切り株がみつかった。縄文人はクリを栽培していたのである。

 

また、青森市の有名な三内丸山遺跡には、クリの貯蔵穴があった。縄文人は、大きなクリを選んで、それを種子にすることも知っていた。

 

このように縄文人が甘栗をたべていたとしても、けっしておかしくないほどの文化をもっていたのは、たしかだ。なにしろウルシ技術も発達していたのである。

 

これまであまり注目されてこなかったが、じつは縄文時代にもけっこう高齢者がいて、お年寄りの智恵の蓄積があったのだ。

 

通説では縄文人の大半は30代から40代で死んでいたのではないかとみられていたが、最近、縄文人は意外と長生きしていたという説が有力になってきた(「朝日新聞」13日付朝刊)。

 

出土人骨の年齢推定の研究によれば、65歳以上が全体の3割を占めているというのである。3割の高齢者の存在は、計り知れない文化の継承をもたらしたはずだ。

 

甘栗から縄文人を思い、また三内丸山へ行きたくなってきた。

 

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東京ミッドタウン前その6

またまた下ばっかりみてしまってすみません。

 

 

昨日につづいてふたたび薮中三十二著『国家の命運』(新潮新書)をとりあげたい。その第5章「北朝鮮はなぜ手ごわいか」が興味深い。

 

薮中さんは2004年には3度、平壌を訪問した。小泉首相の再訪朝で拉致被害者の家族5人の帰国が実現したときである。その前後の6者協議の場でも北朝鮮の代表とやりあってきた。テレビニュースにしばしば登場した薮中さんを記憶されている方は多いであろう。

 

5章「北朝鮮はなぜ手ごわいか」で、薮中さんは北朝鮮との交渉の難しさをつづっている。よほどタフでないと、とてもつとまらない。薮中さんによれば、中国でさえ、北朝鮮には手を焼いているという。

 

<北朝鮮は、相当の規模で中国からエネルギーや食糧支援を受けている。また、条約上、北朝鮮が他国から攻められた場合に、中国は北朝鮮を守ることを約束している。常識的に考えれば、北朝鮮は中国に頭が上がらず、中国は北朝鮮に大きな影響力を持っているはずである>

 

<しかし、両国の関係はそれほど単純なものではない。おそらく北朝鮮は、現状、つまり朝鮮半島が南北に分断されていることが中国の国益にかなう、と見切っているのだろう。北朝鮮が崩壊すれば、中国国内へ難民があふれ出てくるかもしれない。朝鮮半島が統一されれば、中国の国境線までアメリカの影響力が押し寄せてくるのではないか、そうした心配が中国にはある。北朝鮮はその辺りを見切っているからこそ、中国をじらし、怒らせても平気でいられるのだ>

 

中国は、相当にしたたかな国であるが、北朝鮮は、さらにそれを上回るようだ。薮中さんは、アベコベな中朝関係を裏付けるような場面を目撃している。

 

20042月、第26者協議での出来事だった。交渉は難航し、厳しいやりとりを経て、朝鮮半島の非核化へのコミットメントと今後の作業について、やっとのことで6者の合意点が見いだせる状況にたどりついた。そして最終日前日の深夜、北朝鮮の修正要求について各国代表団も、仕方なく受け入れるという状況になった>

 

<アメリカ代表団は大統領にまで報告を上げて了承を取り付け、最終日に共同声明を発表する段取りとなった。小さな第一歩ではあっても、その意味は大きいと思われた>

 

<しかし、最終日の朝、会議がひらかれる釣魚台に着くと、どうも雰囲気がおかしい。中国の代表がわたしに近づいてきて、「じつは、北朝鮮が文言をひとつ修正したいといいだして因っている。いくら説得しても、NOなのです」という。どういう修正なのか聞いてみると、共同声明の本質とは関係がなく、なぜ北朝鮮が修正にこだわるのか理解できない内容だった>

 

将軍様から、なにか気にくわない文言を指摘されたのか。とにかくてこでも動かないのが、北朝鮮のやり方だ。

 

別室で中国高官が北朝鮮の代表をいくら説得しても、北朝鮮は頑なにNOを主張し、やがてアメリカ代表団は飛行機の出発時間だからといって会場を後にしてしまったという。

 

薮中さんは、そこまでは書いていなかったが、このとき中国のメンツは丸つぶれであったはずだ。

 

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〔フォトタイム〕

 

東京ミッドタウン前その5

地下に光を取り入れるための開口部が前方にあります。東京ミッドタウンのみどころのひとつは、この開口部の下のスペースです。

 

 

 

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