2010年07月

米国に皇族・王族は建国以来、ひとりとして存在しないのだから、「米国のロイヤル・ファミリー」という言い方は、本来、あり得ない。

 

しかしながら、それらしきものが存在しているのもまた事実。代表格はケネディ一族だが、米国にロイヤル・ファミリーもどきを根づかせたのがメディアであるのはいうまでもない。

 

そして、その背後に噂好きの米国大衆がうごめいている。ロイヤル・ファミリーは、ホンモノもモドキも古今東西、宿命的に噂好きの民衆と共にあるのだ。

 

当節の米国でクリントン家のひとり娘の結婚式が話題になっているのも、メディア戦略に沿ったもの。このところ、様になるロイヤル・ファミリーもどきの人材不足に陥っていた米メディア界にとっては、久々のビッグ・イベントであったようだ。

 

クリントン家のひとり娘、チェルシーさんは、現在30歳。12歳から20歳までホワイトハウスで過ごしたが、その間、父親の不倫騒動があった。両親の間に激しい葛藤があった時期。それは娘にとっても、たいへんな試練の日々であったと思う。

 

あのとき、共に強い性格の持ち主であるクリントン氏(63)とヒラリー女史(62)が離婚を思いとどまったのは、チェルシーさんがいたから、といわれている。それがすべてではないであろうが、この夫婦にとって娘の存在感が大きかったのは、たしかであろう。

 

チェルシーさんの結婚相手は、スタンフォード大学で同級生だった投資銀行マン(32)。かれの両親は双方ともに下院議員であった。

 

ヒラリ―米国務長官は、73日、訪問先のポーランドで、「いまのわたしの人生で、娘の結婚より大事なことは何もない」と米メディアにこう明かしたという(「朝日新聞」725日付朝刊)

 

正真正銘のロイヤル・ファミリーは、ノブレス・オブリージ(高貴なるものの義務)をわきまえているので、決して、こういう誤解をうむようなことは口にしない。

 

貴族的なところは微塵もない、率直で、いかにもヒラリー女史らしいことばといえよう。

 

〔フォトタイム〕

 

新国立劇場その6

この界隈には学校があって、若者たちの姿が多く見られました。

 

 

衆参両院で新しい議員会館が完成したという。まだ入っていないが、議員事務所はこれまでの25倍という。ずいぶん、広くなったものだ。一流企業のオフィスビルのように施設も完備し、「ちょっと豪華すぎるのではないか」という声もある。

 

建物を見ていないので、あれこれいうのは差し控えたい。ただ、アメリカと比べれば、そうたいしたこともないように思う。

 

以前、共和党の上院議員のオフィスを訪問したことがある。最初に通された待合室から議員本人の部屋まで行く途中、両サイドに5つか6つの部屋があったとように思う。

 

州の規模によって議員のオフィスのスペースもちがうようで、大きい州の場合、15部屋くらいあるらしい。

 

上院議員のスタッフも多いところだと450人は常勤しているという。

 

大きな州の上院議員は、広大な地域と膨大な有権者を抱えているから、それくらいのスタッフが必要、という事情がある。

 

それに比べれば、日本の議員会館はつつましいものだが、仕事量や議員としての貢献度などがあまりない場合は、贅沢すぎるといわれても仕方あるまい。

 

〔フォトタイム〕

 

新国立劇場その5

新国立劇場を設計したのは、柳澤孝彦+TAK建築研究所。延べ床面積68879平方㍍で、建物は地上5階、地下1階の鉄骨鉄筋コンクリート造です。

 

 

 

古い手帳を見ていたら、11年前の729日、金門島へ行ったのがわかって、懐かしかった。あの日、台北の松山空港で、ずいぶんハラハラした。当日、金門島は雲が低くたれこめていて、金門島へ向かった朝1便の飛行機が着陸できずに、松山空港へ戻ってきたのだ(当時、4便飛んでいた)。

 

台湾海峡、波高し。これはダメかなと思ったが、幸い天候が回復し、定刻より2時間遅れで離陸できた。約50分で金門島の尚義空港へ。空港には迷彩服の兵士たちの姿が目立って、いかにも最前線の雰囲気であった。

 

金門島は小豆島ほどで、そこに約5万人の住民が住んでいた。馬山観測所から中国領土まではわずか2100㍍。望遠鏡で中国が手に取るように見えた。

 

1950年前後、毛沢東は金門島を何度も砲撃した。場所によっては、島の様子が一変するほどのすさまじさだった。

 

台湾政府は、この島に守備隊を配備していた。3万人とも、5万人ともいわれたが、正確な数は公表されていなかった。

 

蒋介石時代に、5年かけて海岸の花崗岩をくり抜いて大きな水路がつくられた。全長101㍍、高さ35㍍の習山坑道で、物資を積んだ船がそのまま入れる。このトンネルを見ると、蒋介石は大陸反攻を本気で考えていたことがわかる。

 

11年前でもすでに観光地化されていた金門島だが、現在はもはや中台の最前線という感じはほとんどないと思われる。

 

〔フォトタイム〕

 

新国立劇場その4

メインのオペラ劇場は、座席数が1814席。1階から4階までに客席があります。オペラパレスというのが、公募で決まったこの劇場の愛称です。

 

 

「ニューズウイーク日本版」728日号に、<マイクロソフトが挑む医療大革命>という同誌でテクノロジーを担当するダニエル・ライオンズ記者の署名記事が載っていた。

 

ソフトウエア開発で医療サービスのオンライン共有を実現できるか、というのが記事の骨子。これが、大革命とは、チト大袈裟なような気もするのだが…。

 

会社をリタイアした人たちの場合、以前のカルテは、同じ病院や診療所へ行かないかぎり活かされない。たしかに、これはなんとかならないものか、と思っている人たちはすくなくない。

 

ライオンズ記者はいう、<7000曲の音楽データはかんたんに管理できて、なぜ子どもの予防接種の記録が把握できないのか。銀行の取引も旅行の手配もオンラインで済むのに、病院の事務処理は50年前と変わらない。情報がデジタル化されていても、病院間でデータを共有する例は多くない>。

 

日本の医療機関の相互ネットワークがどうなっているのか、全然、知らないが、おそらくデータを共有する例はほとんどないと思う。

 

記事によれば、マイクロソフト傘下のヘルス・ソリューションズ・グループは、2つの主力商品を開発した。「アマルガ」は病院を含む医療機関がさまざまな情報源の患者情報を統合できるソフトウエア。「ヘルスボールト」は患者の医療記録をまとめて保管するオンラインシステム。

 

ただ、順調とはいえないようだ。

 

「ヘルスボールト」に、どれくらいの人たちが登録したのか。マイクロソフトで明かしていないのでわからないが、予想以上に登録者数はすくないようだ。結局、個人情報が外部に漏れるのを心配しているのだ。

 

この世の中には、自分の健康状態を知られたくない人たちが、思いのほか多いということ。マイクロソフトがそういう壁を突破してオンライン共有のソフトウエアを成功すれば、なるほど、これは医療大革命といってよいのかもしれない。

 

〔フォトタイム〕

 

新国立劇場その3

新国立劇場は、オペラ劇場、中劇場、小劇場で構成されています。

 

 

531日、国土交通副大臣だった辻元清美さんは、社民党の連立政権離脱に伴い、辞表を出した。その日、辻元さんは、記者団の前でオイオイと泣いたが、当時、これはホンモノの涙にちがいない、と思った。

 

人間、ときにはウソの涙もある。ましてや政治家ともなれば、涙はパフォーマンスの貴重な小道具でもある。たいていは、ヒラリー・クリントン女史のように虚実スレスレで、ウソかマコトか判然としないのがふつうであるが。

 

辻元さんは、本心から国土交通副大臣を辞めたくなかったと思う。あれほど、反権力一筋の彼女が、権力の座に固執する姿を笑ってはいけない。彼女は、目覚めたのである。

 

突飛なたとえで恐縮だが、あれはマグダラのマリアの号泣であった。

 

それでも辻元さん、福島さんに従った。いってみればDNA(デオキシリボ核酸)のなせるワザで、いずれ決別するのは避けられなかった(ややこしい表現をしましたが、DNAというのは条件反射くらいの意味です)。

 

きょう、辻元さんが社民党を去るにあたって、福島さんは、一応慰留した。それが礼儀だから、そうしたにすぎず、むしろ本心はさばさばした気分であろう。

 

小沢さんのマネをしたのか、福島さんは辻元さんからの面会要請を伸ばしたというのがおかしかった

 

こんなことを書いたけれど、ふたりの関係については、まったく興味はない。関心はただひとつ、辻元さんのこれからの身の処し方である。

 

彼女は、無所属でいるというが、そのうちに虚しさを感じるはず。いったい、どこへ?

 

民主党など他党への入党との可能性とか、大阪の人たちが、辻元さんの離党をどうみているのか、とか、気になる点はいくつかある。かつてテリー・伊藤さんが、辻元さんが逮捕されたあとに出た本で、大阪府知事選への出馬をすすめたこともあるし…。

 

一般的に、権力を知った人間は、権力の在り処を探し求めるのが常である。理念と現実の往復が政治と悟った、彼女のこんごの動きに注目している。

 

〔フォトタイム〕

 

新国立劇場その2

何も観劇の予定がなくとも、近くを通ったら立ち寄って下さい。

 

 

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