2010年06月

サッカー、ほんとに惜しかった。日本代表チームは、守りの大切さをあらためて教えてくれた。人生教訓的にも、学べる点の多かったW杯であった。

 

サッカーのテレビ観戦の前に、昨晩はNHKハイビジョンの、<宮廷の妃たち 非婚の女王・エリザベス>をみた。一生結婚することのなかったエリザベス1世(15331603年)だが、いくつかの恋物語があった。

 

当欄では、以前、ラストエンペラー溥儀の皇后、婉容(えんよう)について書いた。NHKハイビジョンの同じシリーズであるが、今回は番組で語られたラブストーリーではなく、エリザベス1世に拝謁したフランス大使の証言を紹介してみたい。

 

以下、出典はジョン・ケアリー編、仙名紀訳『歴史の目撃者』(朝日新聞社)である。

 

1597128日、フランス大使のアンドレ・ユロ―は、エリザベス1世に拝謁を許された。そのときのエリザベスについて大使は、こう書き残している。

 

<陛下がお召しになっていたのは、まことに風変わりなドレスだった。「ガーゼ」という薄手の生地でつくられており、銀の地にところどころに白とエンジ色が配色されていた。袖には切り込みが入っていて、その隙間から裏打ちの赤い平織りがみえた>

 

<そして肩の部分にはもうひとつ別な袖がついており、陛下は床に届くほど長いその袖を、たえず手で触ったり絡めたりされていた。ドレスは襟ぐりが大きく、前を開けたままだったので、胸がまる見えだった>

 

<そのうえ陛下はまるで暑くて仕方がないというように、ときどきドレスの前を手で開けて風を入れられた>

 

季節は冬。よほど暖炉が暖かかったのだろう。このとき、エリザベス63歳。それにしても胸をはだけた大胆な姿とは。

 

これにはワケがあった。

 

エリザベスは大使に、「じつは、前日、右頬にひどい腫れものができてしまい、とても具合がわるかった」といい、「そんなわけで寝衣のままで失礼する」とことわっていたのだ。

 

〔フォトタイム〕

 

道玄坂二丁目交差点その3

活気が伝わってくるような交差点でした。

 

 

 

長い間、部屋の隅に放りっぱなしの紙袋をいくつか整理した。後片付けというのは、その気になったときにやるしかない。そこでちょっとでも、あとにするか、といった気分になると数年はそのままだ。

 

変色した紙袋から、すっかり忘れていた大量のネガが出てきた。36枚どりのフィルムを20巻から30巻も持って外国へ行っていた頃のものだ。

 

残念ながら、これと思う写真がほとんどない。フィルム代に現像代。ずいぶんコストはかかっているのに、いまとなってはゴミに近い。厳選して何枚かは残し、あとは捨てることにした。

 

さっぱりしたところで、届いたばかりの日本経済新聞夕刊をひらいたら、マリリン・モンローの胸部X線写真3枚組がラスベガスで競売にかけられ、45000㌦(約400万円)で落札された、とあった。

 

同じ写真でも、ずいぶんちがうなあ。

 

モンローのX線写真は、1954年に病院を訪れた際に撮られたものだという。予想落札価格は3000㌦(27万円)だったというから、破格の額だ。

 

ヌード写真ならともかく、X線写真に大金を投じた人の心理は、よくわからない。裸のなかまでのぞけることの恍惚?

 

X線写真の場合、版権など売買、もしくは公開する際の権利関係はややこしくないのだろうか。とすれば、そのうちに、だれだれさんのX線写真なんて、店頭に並ぶ日でも来るのか。

 

〔フォトタイム〕

 

道玄坂二丁目交差点その2

色とりどりのファッションがみられました。

 

 

がらがらの電車に乗ったら、席のはしっこに傘が1本置き去りにされていた。なかなかセンスのいい、上等な傘だった。うとうとしていて、あわてて下車したのだろう。

 

降ったり、晴れたりのこういう季節は、とくに忘れやすい。

 

値段の張る傘を持っていれば、忘れることはない、というのは、どうやら当たらないようだ。どんなにケチな人でも、結局、忘れるときは、忘れてしまうのだ。

 

あの傘はその後、どうなったのだろう。ちゃんと持ち主のところに戻ったような気もする。

 

というのは、盗まれずに駅員の手で保管された可能性が高いからだ。あれだけの傘をさして街を歩くには、それなりの身なりも必要だ。

 

傘にも品格がある。あの傘には、不埒な者に、ちょっと失敬しようという気にはさせない雰囲気があった。

 

酒は飲まない代わりに、財布やベルトなど小物に金をかける人がいた。その人がどういう傘を持っていたか、思い出せないが、1000円や2000円のものではあるまい。

 

奮発して3000円くらいの傘を持ってみるか…。

 

〔フォトタイム〕

 

道玄坂二丁目交差点その1

渋谷のBunkamuraへ行った帰り、道玄坂二丁目交差点を撮ってきました。

 

けだるくて何もしたくない日曜日、これではいけないと思い直して本屋さんへ行くことにした。欲しかった本は、マイケル・サンデル著、鬼澤忍訳『これからの「正義」の話をしよう』(早川書房)。

 

政治哲学者のマイケル・サンデルは、ハーバード大学教授。政治学徒でなくとも、ご存じの方は少なくないと思う。わたしも、NHK教育テレビで放映された「ハーバード白熱教室」を数回みただけなのに、すっかりサンデル先生のファンになってしまった。

 

ハーバード白熱教室は、いろんな意味で面白かった。全米はもとより、世界各地から集まる、飛びきり頭のいい学生とは、どういう顔をしているのだろう。

 

そういう化け物のような学生を相手に、先生方はどう講義を進めるのだろうか。

 

あれこれの疑問が、どんどん解けていった。

 

逆立ちしても入れない名門大学の名物教授の授業が、茶の間にいて同時通訳で聞けるのだから、これは最高に贅沢な番組だと思った。

 

さて、目指す本が、あるかどうか。おそらく55分だろうと思って探したら、ちゃんとありました。

 

なるほど、これはあるはずだ。表紙のカバーに「Amazon本のべストセラー第1位(2010524日調べ)」とあった。

 

〔フォトタイム〕

 

日生劇場その7

こうしてみると、日生劇場はなかなか重厚な外観ですね。

 

 

60年といえば、還暦。人間の一生からすれば、途方もなく長い歳月だ。その60年目にして中国紙の歴史認識が変わったというベタ記事をみつけた。

 

目立たない記事なので、購読者であっても見過ごしているかもしれない。昨日の当欄の続報となる内容なので、これはぜひとも紹介しておきたい。

 

けさの日本経済新聞によれば、<中国国営の新華社系列の中国紙「国際先駆導報」は25日付で、朝鮮戦争開戦60周年に関する特集記事を掲載し、「北朝鮮軍が38度線を越えて侵攻、3日後にソウルが陥落した」と紹介した>という。

 

記事を続ければ――。

 

<義勇軍を派遣した中国は公式には開戦の発端が「北朝鮮の南進だった」とは認めておらず、異例の記述になった>

 

<記事は「北朝鮮の侵攻による開戦説が中国でも定説になっていることを示した」(中国メディア関係者)との見方が出ている>

 

いまさらなにを、という感想の方がほとんどだと思うけれど、中国という国は、こういった歴史認識に関するテーマでは、ばかばかしいほどに時間がかかるのである。

 

とくに朝鮮戦争では、毛沢東の息子が戦死している。最愛の息子の訃報を知った毛沢東は、長い間、自室に閉じこもったままだった。その悲しみの姿にだれも声をかけられなかったという。

 

毛沢東の息子にかぎらず、中国が派遣した義勇軍の多数の犠牲者やその遺族のことを思えば、朝鮮戦争は正義の戦いでなければならなかった。北のほうから侵攻したというのでは、具合がよくないのである。

 

〔フォトタイム〕

 

日生劇場その6

東京宝塚劇場のほうから撮りました。真っ直ぐ行けば日比谷公園です。

 

 

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