2010年05月

「潮」6月号に、<立ちすくむ若者たち>という対談が載っている。それを読んでいて、「2030年問題」というのをはじめて知った。ずっと先の20年後のことだが、どういう問題なのか、ピーンとくる人はそう多くはあるまい。

 

目の前にたくさんの難問が横たわっているのに、そんな将来のことまで考えているヒマはない、といわれるかもしれない。しかし、日本にはこういう問題もある、というのは知っておきたい。

 

パラサイト・シングル、格差社会、婚活などの造語で知られる山田昌弘氏(中央大学文学部教授)と、ひきこもり問題などに詳しい斎藤環氏(精神科医)の対談に出てくる。

 

斎藤 ひきこもりやニートについての最大の問題は、かれらが高齢化していることです。20年前、ひきこもりの平均年齢は20歳前後でした。最新の統計では、平均32歳に達しています。

家にひきこもっている人のうち、もっとも高い年齢層は40代半ばです。あと20年経てば、かれらは老齢年金世代になります。これは「2030年問題」と呼ぶべきでしょう。

 

山田 総務省の統計によれば、3544歳のパラサイト・シングル(親と同居する未婚者)の数は269万人に達します(2008年)。このうち完全失業者は82%です。3544歳のパラサイト・シングルのうち、22万人が親の収入や年金に頼っている計算になります。

 

斎藤 ひきこもりやニートは、意外と長生きするでしょう。バイオロジカル(生物学的)なストレスにさらされず、生存競争もないわけですから。かれらが8090歳まで長生きするとしたら、いまは親がやしなってくれているからいいけれど、親が亡くなった後、かれらはどうやって生きていけばいいのか。

 

両氏ともに、早いうちに対策を立てるよう提言するが、この国の場合、問題が差し迫ってこないと、動かないのが実情。

 

財政問題ですら、なかなか本腰を入れないのだから、20年先のことなど、話題にもならない。そういう政情、世情を憂いて、あえて対談の一節を紹介した次第。

 

〔フォトタイム〕

 

数寄屋橋交差点の不二家その1

数寄屋橋交差点の角にある不二家をソニービルのほうから撮りました。

 

 

連立離脱であれ、なんであれ、福島さんが国務大臣であったのは事実である。衆院選で圧勝した民主党の国会議員諸氏が、大臣など政務3役はもちろん、党の役職にも就けず、悶々とした日々を過ごしているなか、吹けば飛ぶような(というのは、ある民主党議員がいっていた)ミニ政党の党首が、華やかな表舞台で、言いたい放題。

 

まったく、不思議な世界というか、ある意味では滑稽な風景にみえたこともあったし、また解せないところもあった。たとえば、そのひとつ。

 

先般、福島さんは、鳩山さんを困らせるのがわかっていながら、沖縄に飛んで、かっこいいところをみせていた。案の定、鳩山さんはぷりぷりしていた。

 

あの出張費は、当然、社民党がもつべきである。なぜなら、あのとき福島さんが公務で沖縄へ行き、知事と面談する必要性はないからである。いったい、どこが払ったのだろう。

 

それとも、数分間でも、沖縄の少子化対策、消費者問題でも話し合ったのか…。

 

いずれ、福島さんも勲章をもらえるときがくる。なにしろ、国務大臣である。だれも文句はいわない。福島さんと勲章。ぜんぜん、似合わないが、そのとき、福島さんは、どうするのだろう。まだまだ、先の話ではあるが、ちょっと興味がある。

 

〔フォトタイム〕

 

西武池袋線江古田駅北口その7

北口には、武蔵野音楽大学もあります。

 

 

党のトップが首を切られたのに、まだグズグズと連立にとどまっている。社民党の引き際は、まことにみっともないというか、無様である。

 

そもそも福島さんは、昨年以来、「辺野古」明記なら「重大な決意をする」と何度も明言していた。あれは、単なるこけ脅しだったのか。

 

この党の本心は、権力のおすそわけを失いたくないのか。

 

たしかに、連立から離脱すれば、存在感は極端に薄くなろう。選挙が苦しくなる。それはわかる。しかし社民党に、権力への未練は、似合わない。やはり野に置け、レンゲソウ。やせ我慢のときだ。

 

こういう事態になるのは、早くからわかり切っていたのだから、福島社民党にとっては、引け際の美学を最大限に演出できる絶好の機会であったはず。

 

社民党ファンでない人たちのなかにも、一貫して筋を通す福島党首の姿勢に感心していたむきもすくなからずあった。アピールの仕方にひと工夫があれば、ぐんと支持層を拡大できたかもしれない。

 

たとえば、罷免が決定的になった段階で、機先を制して連立離脱を宣言したほうが、どれほどカッコよく、国民にはわかりやすかったか。

 

昔の社会党には、ツワモノが何人もいた。筋金入りの、反権力の策士が、丁々発止と自民党政権と渡り合っていた。そのわかりやすさが、有権者をひきつけて、大量の議席数につながっていた。

 

山椒のように、小粒なら小粒なりのキレがほしい。日本には、社民党のような、浮世離れをした政党でも肩入れしたい人たちが一定数存在する。たぶん、その人たちの多くは連立離脱に異議はあるまい。

 

≪補足≫これを書いたあと、ふと思ったことがあります。そういえば、福島さんは、社民党党首のほかに消費者・少子化担当相でもあったと。しかし、失礼ながら、消費者・少子化担当相として福島さんが、なにをおこなったか、全然、具体的な実績が浮かんできません。9か月といえば、けっこう長い日数ですよね。

 

〔フォトタイム〕

 

西武池袋線江古田駅北口その6

交差点の右側が、日本大学芸術学部です。

 

 

昨今は、昔と比べて、ささやかで、ありふれたことに感動するときが多くなった。世間一般からみれば、どれもこれも時代遅れの感動ばかりだが。

 

加齢とともに感情量は減っていく。しかし、その領域は広がって、むしろ若い頃より敏感に反応するところもあるのだろう。

 

昨日、薬をもらいに大学病院に行き、会計の順番を待っていた。そこに東南アジア系の40代のカップルが入ってきた。たぶん夫婦であろう。

 

推測するに、夫婦で日本へ働きに来て、夫が病気になった。大学病院に来たのは、おそらく軽い病気ではないからだろう。案内の人に尋ねている日本語があまりうまくない。この程度の語学では、初診の手続きからして容易ではない。

 

果たして、かれらは英語を話せるのだろうか。日本語もダメ、英語もダメとなると、これはちょっと診察する医師もたいへんだ。大丈夫だろうか。

 

かれらの初診の手続きの順番がきた。意外にもスムーズに運んでいたが、途中でやっぱり話の通じないことが生じたようだ。

 

と、そのとき、妻がケータイを取り出し、ひとこと、ふたこと話し、そのままケータイを係員に手渡した。係員が、うなづいて、笑顔をみせた。ケータイがみごとに通訳の役割を果たし、夫婦はなんなく初診の手つづきを終えた。

 

ほっとした。いや、感動した。ケータイ、バンザイだ。これなら、診察室でも、心配はない。

 

けさの朝日新聞に、スペインに住む知人の女性から、「救急車を呼んでほしい」という電話がかかってきた大阪市の男性の投稿が載っていた。

 

この女性は、大阪でひとり暮らしの知人とインターネットのチャットで「会話」を楽しんでいた。その相手はぜんそくの持病があり、通信中に突然呼吸困難に陥ったという。救急車を呼びたいが、自分の電話では日本の119番に通報ができない。代わりに急ぎ連絡してほしい、という電話であった。

 

投稿の趣旨は国境を超えた通信技術の発達と、機敏に対応した救急隊員への感謝だった。

 

あの大学病院の夫婦は、日本国内に住む仲間に電話し、通訳を頼んだのだろう。

 

いずれ、世界中がいま以上にかんたんにケータイで結ばれ、ケータイ通訳業がふつうになる時代がくるかもしれない。

 

〔フォトタイム〕

 

西武池袋線江古田駅北口その5

江古田駅北口は、駅前としてはほんとに狭いところですが、東京でも有数の学生街です。

 

 

米アップルのiPad(アイパッド)が、28日、日本でも発売される。iPadとはインターネットやメール、映画や音楽、電子書籍などが楽しめる多機能携帯端末。ひょっとしたら、人類のライフスタイルを変えてしまうかもしれない、ともいわれるツール。

 

文明のあたらしいツールが出現したとき、かならず2つの見方があらわれる。それを是とするもの、否とするもの。

 

「ニューズウイーク日本版」62日号に、<iPadであなたはもっと馬鹿になる>という記事があった。

 

記事の執筆者は、同誌でテクノロジー分野を担当するダニエル・ライオンズ記者。内容自体、これまで散々いわれてきたことの繰り返しで、新鮮味はまったくないのだが、なぜか妙に身につまされるのだ。

 

<かつてコンピューターは、時間を節約するためのツールとされていた。しかし現実は正反対のようだ。インターネットのせいで、わたしたちは何もしないまま時間を浪費している>

 

<わたしたちの周囲にはかつてないほどの情報があふれ、そこから逃れることはできない。デスクの上にも、ポケットのなかにも、カフェのテーブルにもコンピューターがあるいま、情報はまるで空気に乗ってわたしたちの周りを漂っているかのようだ>

 

<なのに、自分がどんどん馬鹿になっている気がしてならない。平均していれば、われわれは上の世代より無知なのではないか>

 

<アップルストアに並ぶ長蛇の列や、歩きながら携帯電話をのぞきこむ人々。人類はゾンビになってしまった>

 

ゾンビとは、死体のままよみがえった人間のこと。コンピューターに振り回される人類への痛烈は批判である。

 

さはさりながら、iPadには、大いに関心がある。よしんば、馬鹿になっても、悔いはなし。人間、好奇心がなくなったら、おしまいだ。

 

〔フォトタイム〕

 

西武池袋線江古田駅北口その4

駅舎の上から北口を撮りました。

 

 

 

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