2009年12月

政権が変われば、当然、永田町の光景もちがってくる。気がついた変化をひとつ、ひとつ挙げていけば、とても10本の指では足りそうもない。そのなかから、ひとつだけ、あげてみたい。

 

それは、極端にヒマになった国会議員の日常生活。

 

この師走、自民党の議員は、ほとんどなにもすることがなかった、というと、語弊があるかもしれないが、正直にいって、かなりヒマをもてあましたのではなかろうか。

 

自民党議員は例外なく、野党に転落した悲哀を骨の髄まで感じたはず。

 

ところが、おかしなことに、総選挙に圧勝して政権党になった民主党の多くの議員も、ヒマでしようがなかったようだ。

 

その代わり、政務3役は、文字どおり目がまわるほどに忙しかったと思う。とくに何人かの副大臣は、よく体がもったものだ。

 

とにかく民主党の場合、政務3役と党幹部、それに一部国会役員など、あわせて100人前後の議員だけが、生き生きと、あるいは眠気とたたかいながら動き回り、その他大勢諸氏は、どんよりした目つきで、選挙区と永田町を往復していた…。

 

ただ、無役の民主党議員の多くが、ことしのように来年もじっとしているとは思えない。

 

小人閑居して不善をなす

 

日本の選良をこういう諺で揶揄するつもりは、まったくない。いいたいのは、閑居というのが、選ばれた人であれ、選ばれない人であれ、とても耐え難い、ということ。

 

それから、もうひとつ。あまりヒマな国会議員をみていると、こんなにたくさんの議員が必要なのかな、という気もしてくる。

 

よいお年を。

 

〔フォトタイム〕

 

愛宕神社その4

愛宕神社は、憩いの場所でもあります。

 

 

「ことし最も気になった新聞記事は、なんでしたか?」と問われたら、どう答えようか。さいわい、だれも聞いてくれないから、なにも苦労することもないが、おそらくこういう問いは、現役の記者諸氏のなかでも、咄嗟に答えが浮かぶ人はそう多くはあるまい。

 

あれこれ考えて、結局、ことし最も気になった新聞記事として、下記を選んだ。

 

<北朝鮮の金正日総書記の3男、正雲氏が、金総書記の特使として中国を極秘に訪問していたことがわかった。胡錦濤国家主席らとはじめて会談、後継者に内定したことが直接伝えられた。核問題も話し合われ、中国側は6者協議への早期復帰を強く求めたとみられる>(「朝日新聞」616日付朝刊、北京=峯村健司特派員)

 

じつに鮮やかな、世界的なスクープであった(なお正雲は、いまではあやまりとされ、どのメディアもジョンウンと表記している)

 

周知のように中国外務省の秦剛報道官は、「報道された事実は存在しない」と否定し、「まるで『007』を読んでいるようだ」と、朝日記事を一蹴した。しかし、わたしは、当欄でも何度か、書いているように、この記事はほとんど事実にちがいないと、当時も判断したし、いまもそう思っている。

 

中国外務省の報道官は、異例ともいえるほどの、完全否定のコメントを口にしたが、むしろそれを聞くたびに、ああ、あの記事は、間違いないな、とますます信じたものだ。

 

北朝鮮問題にくわしいある国際政治学者は、中国の国家主席が北朝鮮の党組織指導部長(ジョンウン氏)と会談することなど、外交プロトコル(国際儀礼)の常識からもあり得ないと指摘していたが、そうとは思えない。ジョンウン氏は、党の一高級幹部というよりも、跡取りの王子様なのだ。

 

もっとも、「ことし最も気になった新聞記事」としたのは、記事の真偽に興味があったからではない。

 

関心は、ただ一点。中朝が極秘にすすめた、きわめてデリケートな時期の、あまりにも刺激的な会見の事実を、だれが、なんの目的で、日本の新聞にリークしたのか。

 

常識的にみて中国政府サイドからのリークは、まず考えられない。峯村特派員も、一連の記事は、<両国を繁雑に往復する金総書記に近い北朝鮮筋と、北京の北朝鮮関係者が明らかにした>と伝えているが、これは金正日総書記の意向かどうかに焦点を絞ってよい。

 

わたしの推測は、すべては将軍様の指示による、情報操作の一環、というものだが、その目的については、すべからくジョンウン氏のためくらいにとどめ、いずれ機会があったら、くわしくふれてみたい。

 

なお、この問題を解くヒントは、かつて金正日氏が後継に選ばれる際、社会主義に世襲は許されないと、北京政府が難色を示し、北朝鮮側で立ち往生した一件が伏線としてある。

 

中国側は、今回も、そうかんたんに世襲を認めるわけにはいかないから、主席との秘密会見も公表したくない。一方、北のほうは、中国トップと後継候補の会見を国内外に広めたい。双方、それぞれに思惑が交差しているのだ。

 

〔フォトタイム〕

 

愛宕神社その3

「伊勢へ7度、熊野へ3度、芝の愛宕へ月まいり」という俗謡があるそうです。

 

 

季刊誌「ぺだる」冬号が届いた。財団法人JKAが年に4回発行している小冊子だが、そこで脚本家の田淵久美子さんと、詩人のアーサー・ビナードさんが、対談していた。

 

田淵さんは、昨年のNHK大河ドラマ「篤姫」の脚本で、大ヒットをとばした。さ来年のNHK大河ドラマ「江~姫たちの戦国」の脚本も担当する。ビナードさんは、8年前、詩集「釣り上げては」で中原中也賞を受賞。現在、文化放送と青森放送でラジオ・パーソナリティーもつとめている。

 

ふたりのやりとりを、すこし抜きだしてみたい。

 

ビナード ぼくは毎日、自転車に乗るんです。うんと遠出するのは、なかなか難しいけど、だいたい都内は自転車で移動しますね。

 

田淵 電車では、ダメなんですか?

 

ビナード 電車もいいけど、ただ、レールのあるところしか走れないから。一番いいのは歩くことだけれど、自転車でも徒歩に近い視点で周りをみられるでしょ? それに自転車に乗っていると、匂いが伝わる。金木犀が咲いていたり、だれかが秋刀魚を焼いていたり。

 

田淵 わたしは、自転車に人生を教わったんですよ。小学校高学年まで自転車に乗れなくて、運動音痴で怖がりだから、補助輪をやっとはずしても、倒れる寸前にヒラリと飛び下りちゃう。そのヒラリが天才的にうまくて(笑い)、いつになっても乗れるようにならないんです。それで、勇気をもって自転車と倒れる決意をしなければ永久に乗れないと思って、もう死の覚悟で挑戦して乗れるようになったんですね。

 

田淵さんは、それ以来、なにかに行き詰ったときは、倒れて傷だらけになる覚悟をすれば、道がひらけることを学んだという。

 

たかが自転車、ちょっと大袈裟じゃありませんか、という声もあるかもしれない。

 

しかし、されど自転車、でもある。田淵さんの気持ちは、なんとなくわかる。子どものころ、田淵さんほどに、決死の覚悟をしたわけではないけれど、ずいぶん苦労した思い出があるからだ。

 

実際、これまでの人生において、嬉しかったことの上位に、自転車に乗れたことをあげてもよいと思っている。

 

あの頃、生まれ育った田舎のどこにも、子ども用の自転車など1台もなかった。みんな、大人用と格闘しながら、自転車乗りに挑戦した。

 

なんど、転倒したことか。

 

そのうちに、ふらふらと、おそらくは10㍍足らずだったと思うが、だれの助けも借りずに、自転車とともに、移動した。あのときの感動は、いまもかすかに覚えている。

 

自転車に乗らなくなって、もうずいぶん経つ。バナードさんが語っているように、たしかに自転車に乗れば、散歩のときとはちがった、もっといろいろな匂いに接することができるだろう。

 

自転車には、自転車の快適さがある。

 

ただ、残念なことに、乗りたくとも、肝心の自転車がないのだ。盗まれるたびに買っていたのだが、3度目か、4度目で、ついつい面倒くさくなってしまった。

 

こういう面倒くささというのは、ほんとはいけないと思いながらも、歳月は、どんどん過ぎて、ついには、自転車のない生活がふつうになってしまった。

 

ふたたび自転車をもつ気持ちにならない、そのこと自体に、どこかさびしさを感じてもいる。

 

〔フォトタイム〕

 

愛宕神社その2

海抜26㍍の愛宕の山は、広さが19800平方㍍(6000坪)もあるそうです。

 

 

 

「ニューズウイーク日本版」1223日号に、<20002009年 涙と笑いの衝撃の何でもベスト10>という記事が載っていた。そのなかから、<「全米が涙した感動のニュース」ベスト10>を再録してみたい。

 

1、ハドソン川の奇跡

2、クリントンの電撃訪朝

3、炭鉱事故から全員生還

4、レッドソックス悲願の優勝

5、米軍ソマリア沖で人質救助

6、NY地下鉄の無名の英雄

7、女性が大量殺人鬼を「確保」

817年越しの逆転無罪

9、腕を捨て生還した登山家

10、エリザベス・スマートを発見

 

これが、この10年間で、もっともアメリカ人を感動させた出来事だという。

 

「ニューズウイーク」編集部が、独断と偏見で選んだようだが、記憶に残っているのは、半分くらい。

 

「へえー、そんなこともあったのですか」というのもある。やはり、アメリカは、遠い国という感じ。ただ、第1位の「ハドソン川の奇跡」は、異議なし、である。

 

乗員乗客155人が全員救助された夜、ニューヨーク市警にいわれるままに、ようやくホテルにたどり着いたUSエアウェイズ1549便のチェスリー・サレンバーガー機長が、そのとき、いちばん欲しがったものは、なんであったか。

 

のちにサレンバーガー機長は、こう述懐している。

 

「持ち物をすべて失い、これまでの人生でもっとも過酷な3分間を経験したばかり。わたしがそのとき、ほんとうに望んでいたのは、家族の声を聞くこと、そして乾いた靴下にはき替えることだけだった」(「ニューズウイーク日本版」225日号)

 

英雄となったサレンバーガー機長だが、いくら脚光をあびても、人間として変わらないようにしようと、家族ともども自分たちに強く言い聞かせているという。

 

ところで、ベスト10のなかには、よくわからないものもあると思うので、以下、参考までに「ニューズウイーク」編集部の説明も、載せておこう。

 

20002009「全米が涙した感動のニュース(Happiest ndings)」ベスト10

 

1、ハドソン川の奇跡

2009115日、USエアウェイズ機がマンハッタン近くのハドソン川に不時着水。乗員・乗客の全員が無事だった。

 

2、クリントンの電撃訪朝

200984日、クリントン元米大統領は、米国人記者2人の解放交渉のために北朝鮮を訪問。翌日、2人を連れて帰国した。

 

3、炭鉱事故から全員生還

20027月に米ペンシルベニア州の炭鉱が水没。必死の救助活動で地下に3日間閉じ込められていた従業員9人を救出。

 

4、レッドソックス悲願の優勝

米大リーグのボストン・レッドソックスが2004年ワールドシリーズでセントルイス・カージナルスを破り、86年ぶりに王者に。

 

5、米軍ソマリア沖で人質救助

20094月に海賊が米貨物船を襲撃。船員たちの代わりに1人で人質になった船長を米特殊部隊が無事救いだした。

 

6、NY地下鉄の無名の英雄

発作のため線路へ落ちた男性をみつけた建設作業員が、自分の体を盾にして通過する電車から男性を守った。

 

7、女性が大量殺人鬼を「確保」

20053月、複数の人を殺害した後に民家に乱入した男に女性の住人が麻薬を与え、ハイになっている間に通報。

 

817年越しの逆転無罪

1988年にニューヨーク州でおきた両親殺害事件の再調査がおこなわれ、17年間、刑務所ですごした息子が2008年に無罪放免に。

 

9、腕を捨て生還した登山家

20035月、米ユタ州の山で登山家が落石に右腕をはさまれ、身動きができない状態に。5日後、自分で腕を切断し脱出。

 

10、エリザベス・スマートを発見

20026月にユタ州の14歳の少女が誘拐されたが、9か月後に近郊の町で発見。犯人は自称「宣教師」の夫婦。

 

〔フォトタイム〕

 

愛宕神社その1

愛宕神社の所在地は、港区愛宕153で、東京メトロ日比谷線の神谷町駅から徒歩5分です。

 

 

 

 

けさの産経新聞によれば、鳩山由紀夫首相は26日午後、ラジオ日本の番組収録で、普天間の移設先について、「グアムに普天間のすべてを移設させることはムリがある」と述べたという。「そんなこと、当たり前のことじゃないの」といわれれば、身も蓋もないが、よく考えれば、これはひとつの方向性を示唆する重要な発言だと思う。

 

周知のように、連立を組む社民党は、移設先の有力候補としてグアムをあげている。先日、普天間問題は、与党3党で協議すると決めたばかりなのに、舌の根もかわかないうちに、社民党のメンツをつぶしかねない発言がとびだしたのは、なぜか。

 

見方はいろいろあろうが、これをアメリカへの発信とうけとれば、わかりやすい。

 

けさの日本経済新聞によると、鳩山さんは、関係閣僚の発言が食い違った理由などを、こう述べたという。

 

「結論が出る前に他の閣僚とも打ち合わせ、話すべきではないところは、話すべきではなかった」「それぞれの閣僚もかなり勝手に、とはいわないが、自分の思いを正直に話した」「本来なら首相か、防衛相か、ひとりだけの発言にとどめておかなければいけなかった」

 

こういった言い方は、どこか評論家ふうの感じがしないでもない。が、それはひとまずおくとして、これはあきらかにアメリカむけの言い訳でもある。

 

この日経の記事は、<ただ、「発言が大きく変わったわけではないのだが、すこしのちがいを拡大されてしまった」と語るとともに、「わたしの発言をトータルにみてもらうと変わっていない。落としどころを理解しながら発言してきたつもりだ」とも強弁した>と結ばれている。

 

たしかに、これまでの“迷走発言”からみれば、鳩山さんのことばは「強弁」に聞こえるが、半面、これまでのスタンスの修正をうかがわせる微妙な言い方でもある。

 

鳩山さんは、ようやく現実を直視しはじめたのではないか、という気がしてならない。鳩山さんは、この放送を通じて、アメリカにメッセージを伝えるつもりで、麻布台のラジオ日本に乗り込んだのではないか。

 

ラジオという音声メディアは、映像メディアや活字メディアとは、ひと味ちがった特性がある。あまり目立つことなく、しっかりと一言半句のまちがいもなく、重要なメッセージを相手に伝達したいときには、得難い手段となる。

 

アメリカへの発信と推測するうえで、ヒントが、ひとつある。

 

鳩山さんは、この日の午前中、首相公邸でバランス感覚に秀でた外交評論家の岡本行夫さんとたっぷり話しこんでいるのだ。その席に、鳩山外交“首席ブレーン”のはずの、寺島実郎氏(日本総合研究所会長)が呼ばれなかったのは、大いに注目してよい。

 

〔フォトタイム〕

 

門前仲町その7

この川は、隅田川をへて東京湾へとつながります。

 

 

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