2009年08月

自民党の歴史的な惨敗から一夜あけた。大敗の要因は、なんだったのか。それは、ひとつやふたつではないが、要するに自民党に魅力がなかったということだ。

 

たしかに、傲慢になったなあ、と思うことがあった。

 

では、民主党はなぜ圧勝したのか。これも、理由はいくつもあげられるが、やっぱり有権者が自民党政治にあきあきして、なんでもいいから、とにかく変わってほしいと望んだのが大きい。

 

「チェンジ!」「交代!」「変化!」というフレーズが地殻変動をもたらした。

 

民主党に投票した人たちの多くは、このまま何も変わらない世の中であれば、不満をつのらせていくであろう。

 

変化は、目にみえて実感しないと、なかなか納得しないもの。民主党は、いまは、お祭り気分だが、そのうちに有権者の冷たい視線を感じるようになるにちがいない。

 

いくら、政権をとっても、そうかんたんに国民の財布を重くすることなどできない。

 

ただ、そのなかで、ひとつだけ、わかりやすいものがあった。株価である。

 

平成172005)年911日の総選挙で自民党は圧勝した。翌12日の午前、東京株式市場は、ほぼ全面高となった。朝日新聞のこの日の夕刊によれば、<株価の午前の終値は、日経平均株価が前週末より13456銭高い1282660銭、出来高は12億株>であったとか。

 

記事によれば、<市場では、衆院の3分の2以上の議席を与党が確保したことに、「構造改革のスピードがさらに速まる、と外国人投資家らが好感した」(大手証券の株式担当者)といい、朝方の外国証券経由の売買注文も大幅買い越しだった>という。

 

麻生内閣は、7000円台を1万500円台まで戻した。鳩山内閣には、1万5000円くらいまでひきあげてほしい、とねがっている国民もすくなくあるまい。とりあえずは、鳩山由紀夫首相(予定)へのご祝儀相場に注目が集まる。

 

いま、31日午前840分。さて、308議席をもぎとって誕生する民主党政権に東京株式市場は、どう反応していくか。しばし、拝見するとしよう。

 

<午後零時30分、続報>

果たして、買いか、売りか。午前は、どんどん値をあげて、一時は1万735円に。ことしに入ってからの最高の値上がり幅をみせた。しかし、その後は、どんどん下がって、36円95銭安い1万497円19銭で前半を終えた。

 

なんだか、鳩山政権の前途を暗示する値動きだが、午後では、どう展開するか。

 

<午後7時、追加>

31日の終値は、結局、前週末より41円61銭安い1万492円53銭であった。う~ん、キツイなあ。

 

〔フォトタイム〕

 

浅草・雷門その1

お馴染みの浅草の雷門です。外国にいらっしゃる方には、なつかしい風景だと思います。

 

 

 

開票日夜、午後9時すぎのNHKの特番。ようやく映し出された自民党本部には、細田博之幹事長がぽつんとひとり座っていた。まったく、損な役割である。大幅に議席をへらすのではないか、という予感はあったが、それにしてもひどい数字。立ち直るには、相当の踏ん張りが必要だ。あすからでは遅い、今夜から対策に取り組まなければなるまい。

 

ほんとなら、自民党本部には、選対本部長代理のはずの古賀誠氏が、細田さんのそばにいてもよいのだが、この人は、宮崎県知事の担ぎ出しに失敗して以来、やる気をなくしたようだ。菅義偉選対副委員長は、孤軍奮闘していたのだが。

 

麻生太郎首相のあと、だれが総裁になろうと、まず直面するのは、自民党の金庫。議員数の激減で政党助成金が大幅ダウンする。

 

代表と幹事長が落選した公明党も深刻だ。野党連合はないというから、これからは、独自の道をすすむのか。

 

一方、圧勝の民主党。有権者の期待の大きさに、首脳部は、これはたいへんだと、緊張しているにちがいない。その開票センターに、真っ先にあらわれたのは、岡田克也幹事長ではなく、小沢一郎代表代行だった。鳩山一郎代表から、「お願いしますよ」といわれて、出てきたのか。それとも、「オレが行く」といって、みずから率先してカメラの砲列に身をさらしたのか。

 

細田幹事長と、小沢代表代行。この2人を並べると、迫力のちがいは歴然だ。

 

小沢さんの態度は、いかにも、ふてぶてしい。民主党の圧勝を前提に、これからの展望を尋ねるNHKのアナウンサーに、小沢さんは、冷たく言い放った。「あなたはそういうけれど、選挙はまだ終わっていないのですよ」。

 

えっ、小沢さん、もう選挙は終わりましたよ。あ、そうか。まだ、開票は終わっていない、という意味か。小沢さんは、「開票がぜんぶ終わるまでは、なにもいいません」とも。えっ、そんなことをいったら、鳩山さんも、菅直人さんも、岡田さんも、なんにもいえなくなりますよ。

 

一世一代の晴れ舞台。民主党の皆さんが、ほんとうに心底から、うれしさにひたれるのは、今夜だけ。それなのに、小沢さんは、かれらが有頂天になることに水をかけた。そのせいかどうか、鳩山代表の記者会見は、ぎこちなく、質問も散発的で盛り上がりのないになってしまった。

 

小沢さんのNHKへの対応は、毒をふくんだものだった。まあ、NHKというよりも、メディア全般へのうっぷんなのかもしれないが。そして、小沢院政への牽制の意味もあるのだろうが、「代表がきめたことに、党員は従うだけ」とも。

 

強面(こわもて)の小沢さん、強力軍団を率いて、ますます強気な態度になっていくにちがいない。なんだか、時代が逆回転して、田中角栄氏の時代が、ふたたびきたような感じがしないでもない。そういえば、田中真紀子氏も民主党だった。

 

それはともかく、恒例の当選者への赤いバラをつけたのは、鳩山さんと小沢さん。開票速報の主役もまた、やっぱり小沢さんだった。これでは、岡田幹事長の出番がないではないか(午後11時すぎ、ようやくNHKにでてきたが)。

 

祭りは、終わった。やっと、正常な状態にもどれるようになった。民主党の政治を注視していきたい。あ、そうそう。民主党の勝利に貢献したメディアも。かれらは、これからみずからの反権力の報道姿勢をどういう形で表現していくのだろうか。これもじっくりと観察していきたい。

 

〔フォトタイム〕

 

警察博物館その7

1階のホールには、白バイなどが陳列されています。

 

 

自民党の劣勢のまま、投票日を迎える。民主党に風が吹いた。新自由クラブや日本新党のときとは、比較にならない強風。政権交代というブームに近い盛り上がりが、その背景にある。そして、あすの夜、それが実現されようとしている、

 

ことしは、東欧革命から20周年で、NHKのBSで何本かのドキュメンタリー番組が組まれた。東ベルリン、ポーランド、チェコスロバキア、ルーマニアなど、旧体制崩壊、民衆の熱狂などの映像は、どれも生々しかった。

 

革命に期待した人々のなかには、すぐに新体制に幻滅を感じている姿も少なからずみられた。熱しやすく、冷めやすいというのは、人類共通の性格なのだろう。

 

そもそも、万人を満足させる革命など、どこにも存在しない。革命の指導者も、そこは割りきって、大胆な政策を打ち出していくしかない。しかしながら革命を支持した民衆の期待感は大きく、それにたじろぐ新リーダーの姿が印象的だった。

 

今回の総選挙では、政権交代というのが、大きなキーワードであった。どっちに転ぶか、結果がとてもわかりやすく、それだけに強烈なインパクトをもつ。

 

この政権交代というキーワードは、じつは大きなウイークポイントをかかえている。だれも、指摘しないけれど、多くの支持者にとって、達成感が、たった一度しかない、という点だ。それは革命を待ち望んだ東欧の民衆と共通しているともいえる。

 

政権交代を長い間夢にまでみてきた人々は、すくなくない。政権交代が実現したとき、多くの人々は、エベレストの頂上に立ったような昂揚感を感じるにちがいない。

 

ただ、昂揚感は、数日くらいで消えてしまう。そのあとに待ち受けているのは、祭りのあとの寂寥感である。

 

何をいいたいかといえば、政権交代という大イベントで、ぜんぶの達成感を使い果たさないでほしい、ということ。政権交代は、ほんのはじまりにすぎない。ほんとうの祭りは、これからはじまる。早々に達成感をからっぽにしては、あとは、不満の日々となるのは、目にみえている。

 

〔フォトタイム〕

 

警察博物館その6

白バイ乗車体験などもできます。

 

 

渋谷のシアターN渋谷で、製作アドルフ・ヒトラー、監督レニ・リーフェンシュタールのドキュメンタリー映画「意志の勝利」をみてきた。第2次世界大戦の前、ヒトラー率いるナチス・ドイツの華々しい党大会を撮影したフィルム。

 

午前11時すぎ、はじまる5分前に飛び込んだら、さいわい最前列に1席だけあいていた。あとからきた人は、立ち見となったのだから、あやうくセーフという感じだった。もうすこし、余裕をもって行動しなければならない、と、しばし反省した。

 

ドキュメンタリー映画「意志の勝利」と書いたが、これには説明が必要であろう。パンフレットも、この映画を紹介する新聞各紙も、プロパガンダ映画「意志の勝利」としている。レニ監督に製作を依頼したヒトラーの意図は、まちがいなくナチス党の党勢拡大の宣伝のためであった。したがって、プロパガンダ映画そのものなのだが、レニ監督の熱意、意気込み、出来栄えなどからみても、プロパガンダ映画というレッテル貼りは、ちょっと彼女に酷なように思った。

 

レニ・リーフェンシュタール、もともとは女優である。その後、映画作家として注目されるようになり、ヒトラーからナチス・ドイツ党大会の記録映画の製作を頼まれたのだった。

 

ときは、1934年(昭和9年)。この年の81日、ドイツは大統領と首相を統合する国家元首法を制定した。当時の大統領は、ヒンデンブルク。首相は、ヒトラー。翌2日、ヒンデンブルク死去。ヒトラーが、大統領と首相を兼務し、ついに国家元首となった。

 

ナチスの党大会は、その直後の94日から1週間、バイエルン州のニュルンベルク市でひらかれた。ヒトラーのもっとも得意な時期であった。のちに勝者連合国が、敗者を裁く場としてニュルンベルクを選んだのも、なんとなくわかったような気がした。

 

飛ぶ鳥落とす勢いのヒトラーからのじきじきの申し入れにたいして、勇敢にもレニは、条件をつけた。撮影には全面的に協力してほしいこと。最終編集権を自分に与えてほしいこと。芸術にうるさかった独裁者ヒトラーの性格、強大な力をもっていたナチス宣伝担当者たちの反感などを考えれば、信じられないような大胆な行動であった。ヒトラーは、美人監督に弱かったというか、彼女の才能を高く評価していたのであろう、レニの条件をのんだ。

 

パンフレットによれば、<カメラ30台、約170名のスタッフを投入し、撮影されたフィルムは計60時間分にも及んだ>という。当時としては、異例の大がかりな撮影であった。

 

小型飛行機でニュルンベルクの空港に着陸し、市内をパレードするヒトラー。独裁者を熱狂的な雰囲気で迎える市民たち。ビルの窓も鈴なりだ。夜、宿舎のホテルの前に集まった大群衆。独裁者の行くところ、どこもかしこも歓呼の嵐。市民たちは、右手を前につきだして、「ハイル、ヒトラー!」の大歓声である。

 

これは、どうみてもナチスが市民に強要したものではない。動員したわけでもあるまい。市民のほうで率先してヒトラーを迎え入れているのである。

 

日本では、ヒトラーにすべての責任をおしつけるような、書き方をしている人がいるけれど、それは一面的にすぎない。

 

今回、ドキュメンタリー映画「意志の勝利」で、注意深く市民たちの表情を観察しながら思ったのは、なぜ市民は、ヒトラーにかくも魅了されてしまったか、ということであった(むろん、画面にはでてこない、冷めた市民の存在を忘れるわけにはいかないが)。

 

若い頃に読んだ書物に、ドイツ国民は、ナチスのプロパガンダ映画で、すっかり洗脳されてしまった、というような意味の記述があった。たしかに、洗脳された国民もいたと思うが、「意志の勝利」でわかるように、プロパガンダ映画ができる前から、ドイツ国民は、ヒトラーに熱をあげていたことも、まぎれもない事実なのだ。

 

〔フォトタイム〕

 

警察博物館その5

警察参考室には、資料約1000点が展示されています。

 

 

テレビや新聞で報じられているように、日本板硝子のスチュアート・チェンバース社長(53)が、仕事より家庭を優先させて、辞任することになった。英国人のチャンバース社長は、母国に家族を残して単身赴任の身。夏の休暇で帰国したとき、16 歳の息子との距離を感じ、社長を辞める気になったという。

 

チェンバース社長は、26日の記者会見で、「日本の古典的なサラリーマンは、会社第一主義だ。それがまちがいだとはいわないが、わたしには家族がいちばんだ」と述べたそうだ(「朝日新聞」27日付朝刊)。たしかプロ球界でも、同じような理由で帰国した選手がいたように記憶する。

 

一方、日本の経営トップで、家族優先を理由にして辞めたケースは、これまで聞いたことがない。実際には、あったかもしれないが、それは黙って、ほかの理由にするのが、日本流。健康問題ならともかく、家族優先という事情は、外国人のように、なかなか素直に語ることができない風土になっているのだ。

 

日本板硝子の社内事情は、まったくわからないので、単なる推測にすぎないが、チェンバース社長の家庭の事情という理由づけは、それがすべてではないような気もする。いってみれば、会社側への配慮もふくまれていたのではないか。

 

もともとチェンバース社長は、英国のガラス大手ビルキントンの社長だった。しかし、3年前、日本板硝子に買収されてしまった。

 

日本板硝子は、昨年、子会社の社長であるチェンバース氏を、グローバル化戦略をにらんで親会社のトップに抜擢した。戦国時代にたとえれば、敗れたとはいえ有能な知将が、勝ち組の総大将に推挙されたようなもの。サラリーマン社会では、ほとんど考えられない破格の待遇といえよう。

 

しかしながら、果たして居心地はどうだったのか。ルノーから日産に乗り込んだ、勝者カルロス・ゴーン氏とは、ぜんぜん立場がちがうのである。家族と離れて、文化や言語のちがう異国の地で暮らす日々は、いくら社内で親切にされても、相当のストレスがともなったにちがいない。

 

〔フォトタイム〕

 

警察博物館その4

警察博物館をでて、右へ行けは、日本橋。左へ行けば、銀座です。

 

 

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