2009年07月

けさ(31日)の産経新聞の社会面トップをみて、ああ、そういうことだったのか、と、やっとナットクした。自分の無知をさらけだすので、いささか恥ずかしいのだが、ほんとに知らなかったのだから、致し方ない。正直に書くことにしよう。

 

電車でよくみる債務整理の無料相談といった、やたらに借金をしている人に呼びかける広告が、どうしてこんなに多いのか、ずっと不思議であった。弁護士の皆さんが、あっちにも、こっちにも揃いも揃ってサラ金などで苦しむ、おカネのない人たちに呼びかけている。一体、相手は無一文なのに、どうしてビジネスとして成り立つのだろうかと。

 

理由は、じつにかんたんであった。記事によれば、<弁護士、司法書士が掘り起こしに躍起となっているのが、過去に高い利率(グレーゾーン金利)で消費者金融を利用したため、当時の利息の返還請求ができる人たちだ>という。なるほど、狙いは、違法な利息の返還金だったのか。

 

むろん、多重債務に泣く人々のために、余計に払った利息を消費者金融から取り戻してあげるのは、弁護士や司法書士の正当な行為である。また、電車でいくら広告しても、いっこうに構わない。ただ、一部の弁護士や司法書士に、「手数料が高すぎる」といった苦情や、トラブルが発生している、と、記事は伝えているのだ。

 

たとえば、こんな弁護士も。依頼者と面会することなしに900件以上の債務整理、200件以上の個人破産を引き受けていたが、仕事を事務員に丸投げし、自分は世界一周クルーズに出かけていた。これでは所属する弁護士会から処分されたというが、当然であろう。

 

やっぱり、こういうあくどいことをやっていては、他人の不幸を食いものにする、悪徳貧困ビジネスといわれても仕方あるまい。

 

〔フォトタイム〕

 

上野の西郷さんその5

上野の西郷さんは、ホンモノの西郷さんにとてもよく似ている、という話をきいたことがあります。

 

 

けさ(30日)の朝日新聞によれば、<韓国の国家競争力強化委員会は29日、印鑑証明制度を5年以内に全廃する方針を決めた>という。印鑑証明制度を採用しているのは、日本と韓国、それに台湾だけというが、ますます時代は「ハンコ文化」から「サイン文化」へと加速していくのだろう。

 

記事によれば、<(韓国の)全国民の67%にあたる約3300万人が印鑑登録。印鑑証明制度を維持するため、一般国民や公共機関が必要とする費用は、年間約4500億ウォン(約340億円)にのぼる>という。韓国の国家競争力強化委員会は、<印鑑は偽造されやすいほか、盗難や紛失もあり、社会的な負担が大きい>と分析しているとか。

 

日本の印鑑証明制度もすでに見直しの方向にあるのかどうか。そのへんの事情は知らないが、一般の実生活では、すでに「サイン文化」が定着している。

 

以前は、宅急便がくると、反射的にハンコをもったものだが、いまはサインでOKというので、あわてることもない。銀行も郵便局も、ハンコなしでたいがいの用が足せる。組織を離れたいまは、ハンコを押す必要もない。

 

とはいえ、ハンコ文化は、そうかんたんには消滅しないと思う。「文化」というのは、「文明」とちがって、実用性だけでは推し量れない、人間のさまざまな思いがこめられているからだ。

 

古代中国の皇帝たちの印鑑は、とてつもなく高価な美術品である。それぞれに重みがあって、栄華の現場の臨場感をただよわせている。その皇帝から下賜された印鑑も、ドラマを秘めて興味深い。

 

九州の志賀島で発見された、かの有名な金印をみたことがある。むろん、国宝である。「漢委奴國王」とあって、後漢の光武帝から奴国に与えられたものとみられている。家来にしてやる、といった意味があるのだろうが、こんなすごいハンコをもらったら、やはり感激したのではあるまいか。

 

中国や台湾では、印材が豊富で、日本人ツーリストに人気がある。印鑑には、ある種のスティータスから、さらには自分の運勢を変えるものとして、ハンコにこだわる人たちはすくなくない。

 

さて、日本の印鑑証明制度だが、やっぱり必要なのだろうか……。

 

 

 

〔フォトタイム〕

 

上野の西郷さんその4

いまもなお、西郷さんの前は、日本有数の記念撮影の場のようです。 

 

 

 

横浜市の中田宏市長(44)が突然、辞任した。新聞各紙に、もっともらしい辞任の理由がでていたが、はっきりいってよくわからない。任期は、来年の4月まであるのに、途中で放棄するとは、横浜市長というたいへんなポストをなんと心得ているのだろうか。

 

わたしは、横浜市民ではないけれど、若いときから、横浜市長にとくべつの関心をもってきた。というのは、もう30年以上も昔になるが、当時の飛鳥田一雄市長が、横浜市長から社会党の委員長になる直前に取材したので印象が強いのである。

 

衆議院議員時代の飛鳥田氏といえば、社会党でも最左派の論客だった。その後は、革新市長の中心人物として、横浜にいても全国区の有名人であった。

 

緊張して初対面のあいさつを交わしたが、飛鳥田さんは、とてもざっくばらんでほっとした。横浜市長と、日本社会党委員長。どっちのほうに、より存在感があるかといった比較は、あまり意味がないとしても、当時のわたしは、断然、社会党の委員長のほうが格上だと思っていた。

 

ここで念のために、確認しておきたいが、いまの社民党のイメージは捨てていただきたい。30数年前の、野党第1党の党首は、すでに斜陽化にあったけれど、まだその存在感はなかなかのものであった。

 

ところが、飛鳥田さんは、「ほんとは、社会党の委員長なんてやりたくないのです。横浜市長のほうがずっとやりがいがあります」といったので、へえー、そういうものかな、と意表をつかれる思いであった。

 

飛鳥田さんは、浮かぬ顔の記者のために、横浜市長のやりがいを語りはじめた。そのなかのひとつだけを紹介すれば、「スタッフの数が、ぜんぜんちがう」といった。もちろん、三宅坂の社会党本部にも、政策スタッフも職員もいるが、横浜市には、とてもかなわない、というのだ。

 

それは、いまも同じこと。というより、もっと巨大化している。日本有数の自治体である横浜市は、予算の規模など、そんじょそこらの県、いや国も太刀打ちできないのだ。

 

飛鳥田さんには、毀誉褒貶もあったが、そういう輝ける横浜市長としての誇りや気概は、国政の場へ戻る直前、すなわち市長として与えられた任期いっぱいまで満ち満ちていたように思う。

 

そして、特別職としての退職金1億数千万円は辞退し、一般職員に準じた額の1千数百万円をうけとって、横浜を去ったのである。

 

〔フォトタイム〕

 

上野の西郷さんその3

西郷さんが立つ上野の山から広小路のほうを撮りました。

 

 

鳩山由紀夫、鳩山邦夫の両氏は、じつに不思議というか、気になる兄弟である。党派がちがうばかりではなく、いつもケンカばかりしているようにみえる。かと思うと、ときどきエールを交換したりもしている。どちらも、母親との絆は強そうだ。

 

いったい、両氏のほんとうの関係は、どうなのだろう。案外、世間一般の兄弟関係よりは、ずっと親密なのではあるまいか。

 

それにしても、ズケズケものをいう兄弟だ。弟の邦夫氏は、「文藝春秋」8月号のインタビューで、「お兄さんは、政治家として、人間として、どのようにみえるのでしょうか」と問われて、こう答えていた。

 

「兄は努力家です。しかし信念の人では、まったくないと思います。自分の出世欲を満たすためには、信念などかんたんに犠牲にできる人です。この点は、兄にたいして非常に辛口にならざるをえない。いまは、虚像が前面にですぎていますよ。実像はしたたかを絵に描いたような人で、自分のためになるのなら、どんな我慢もできるんですよ、あの人は」

 

邦夫氏によれば、「ズルいんですよ、兄貴は(笑い)。兄弟げんかをしても、自分が悪くないように、おふくろにうま~く言い逃れますから。そして、わたしが悪いことになっていく」のだそうで、こうもいい切る。

 

「ズルい人ですから、いまでも政界遊泳術という点では、日本一のスイマー(注・泳ぎ手)でしょう。最後に自分がうまく昇りつめられるように、すべて計算して生きてきたという感じがします。だから見事だといえば見事なのですが、わたしのような自分の信念や正義感を大切にする人間からは、考えられない世界に生きている人ですね」

 

兄・由紀夫氏を邦夫氏は、宇宙人と評するが、これらはじつに興味深い人間観察である。というのは、ここに鳩山本家の当主、由紀夫氏の心意気が感じられるからである。

 

どういうことかといえば、由紀夫氏は実弟から政界遊泳術にたけた政治家という烙印をおされたけれど、実際は、当選7回にしていまだに大臣にもなっていない。むしろ弟のほうが、文相、法相、総務相と大臣の経歴を重ねてきている。

 

それなのに由紀夫氏のほうは、いわゆる公職においては、細川内閣の官房副長官がこれまでの最高ポスト。宮中席次でいえば、弟さんのほうが、ずっと上席だ。

 

つまり、鳩山家の長男は、官房副長官から、閣僚の経験なしに一挙に内閣総理大臣になろうとしているのだ。

 

にもかかわらず、由紀夫氏には、これまで華麗なる経歴をもつ弟への劣等感など微塵も感じられなかった。こういう場合、えてして本音と建前はちがうものだが、由紀夫氏の本心はあくまでも恬淡としていたと思う。

 

それは、なぜか。要するに、伝統ある鳩山家の後継ぎとしては、内閣総理大臣にならないかぎり、目標には到達しないという自負があるからだ。したがって、由紀夫氏の政界遊泳術とは、まさに首相官邸へまっしぐら、ということ。外相で終わった父親のように、大臣になっても達成感がないのだ。

 

こういう由紀夫氏の宇宙論的な政界遊泳法がわかれば、今回、首相を辞めたら、政界を引退する、という宣言も容易に理解できる。目指すべき目標がなくなった永田町に、未練などさらさらないのが当然なのである。

 

もし鳩山由紀夫氏が夢を実現したとしよう。晴れて内閣総理大臣となって祖父・一郎氏と並んだとき、それで念願の目的を達成したと感慨にふけるのは構わないが、国民のほうは、個人的な達成感などに興味はなく、いかに盛りだくさんのマニフェストがスムーズに実現されていくかが、最大の関心事。

 

まだ国民の信任を得ていないのだから、「マニフェストが実現できなければ、辞める」といったことを、いまから軽々しく口にしないほうがよい。それとも、そういうコメントにも、日本一の政界スイマーの思惑というか、なにか計算づくが隠されているのか。

 

〔フォトタイム〕

 

上野の西郷さんその2

上野の山に上がって、この西郷さんを眺めていると、初心に帰ったような気持ちになります。東北出身だからかもしれませんが。

 

 

 

フランスのエビアン・マスターズで、宮里藍選手(24)がついに念願の優勝をはたした。エビアン・マスターズは、米女子ツアーに組み込まれているので、米ツアー初Vということになる。この快挙に拍手したい。

 

それにしても、宮里選手の克己心はすごい。

 

ここ3年ほど宮里選手の試合を気にしてきた。とくに一昨年の秋に陥ったスランプは心配した。このことは、当欄でもふれたし、SANKEI  EXPRESSでも書いた。また、同じことを書くが、お許しいただきたい。

 

200792日、米女子ゴルフツアーのステートファーム・クラシックの最終ラウンドは、宮里選手にとって、まさにどん底であった。共同電とnikkansports.comを参考にしながら振りかえればこうなる。

 

初日は4アンダーの2位。米ツアーでは自己最高だった。ようやく調子を取り戻しあわよくば優勝も、という発進であった。しかし、2日目からくずれ、17位(出場20選手)で出た最終日。1番の第1打は右にまげてOBのダブルボギー。2番は2・5㍍をねじ込んでバーディーをとったものの、4番から6番まではボギーが続いた。以下、EXPRESSに書いた拙文の再録である(20071023日付)。

 

<そして迎えた7番(パー4)。3番ウッド(4番からドライバーを封印)の第1打は左に曲がって池ポチャ。ドロップして打った第3打も左にそれ、池の奥の木にあたってまたも水の中へ。このトリプルボギーに宮里は頭が真っ白になったのではあるまいか。あふれる涙をタオルでぬぐい、同じ組の2人の選手に「ごめんなさい」と謝って、コースから離れたという。

 

宮里はどうアリ地獄から這い上がるのか。おそらくまだ苦境はつづくが、そのうちに克服するだろう。そう思ったのは(2007年)1010日、宮里が自身のホームページでスランプの原因を自己分析していたからだ。これだけ冷静なら大丈夫だ。宮里によれば、不調の原因は3点考えられるという。

 

第1点は足を怪我していたこと。小さな怪我であったが、完治するのに2か月半かかり多少スイングの調整がずれてしまった。第2点はドライバーの練習不足。第3点は優勝が手に届きそうなところまできて欲というか、すこし焦りがあったと。そしてこうつづる。

 

「ほんとに悔しいです。そして4歳から始めたゴルフ人生の中で、最も苦しい時期だと思います。苦しい。でも、こんな風に、自分の状況を冷静に判断できて、じゃあ今、自分が何をすべきなのか、それが明確になってきました」

 

スランプ脱出に特効薬はない。結局は自分との過酷な闘いであり、自分で解決策をみつけるしか方法はないのだ。新聞記事からは懸命にもがく宮里の姿がいじましいほど想像できた。感心したのは不振でも宮里はつとめて平静に振舞っていたこと。たとえば102日、米カリフォルニア州ダンビルで練習ラウンドを終えたあと、こう語っている。

 

「安定感も戻ってきたしフィーリングもしっくりときている」「だいぶ振れてきたのでタイミングを微調整していきたい」(共同)。宮里のコメントは、どんなにひどい状態の中でもいつも前向きだった。

 

「これを乗り越えたら、またひと皮むけそう気がします。この先また試練が来ても、今の時を考えればなんてことのない苦しさだ!と、そう思えそうな気がします」と宮里はホームページで述べていたが、たしかに苦い経験はいずれプラスに転じるはずだ>

 

いま、宮里選手のコメントを読むと、このていどなら、いつでもいえそうに思える。しかし、当時は、大スランプ。最悪の状況だったことを考えたとき、ここまで客観的に自己分析していた彼女の冷静さ、たぐいまれな精神力に驚嘆せざるをえない。たいがいの人は、こういう場合、とても自分の気持ちを語る余裕などあるまい。

 

どんなにひどいときでも、どこかにいいところをみつけ、それを自分に言い聞かせていく。こういう宮里選手の、意識的なプラス志向への取り組みが、今回の優勝につながっている。

 

エビアン・マスターズ最終日の土壇場でバンカーにいれてしまったが、宮里選手は平常心だった。それは、テレビでもわかった。ぴったり寄せて栄冠を手にした。プラス志向とこの平常心をこんごも持続できれば、樋口久子や岡本綾子を超える選手になれるかもしれない。

 

〔フォトタイム〕

 

上野の西郷さんその1

上野の西郷さんにご無沙汰していませんか。あまりにも身近すぎて、案外、素通りしているのではないでしょうか。わたしもその口でしたが、先日、ひさしぶりに、立ち寄ってみました。

 

 

 

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