2009年06月

昨夕(29日)、九段会館で「上坂冬子さんに“一喝”される会」がひらかれた。この会の名称は、産経新聞に掲載されていた上坂さんのコラム「老いの一喝」に由来するのだろう。じつは、414日に亡くなった上坂さんは、葬式とか、お別れ会が大嫌いであった。だから、案内状には、こうあった。

 

<上坂さんのご遺志により、お別れの会などは執り行われないとのことでしたが、きちんとお別れを告げたい、あのおおらかな一喝の声を、いま一度聴きたいとの思いは募るばかりです>

 

<つきましては、天上からのお叱りを承知のうえ、ご遺族の了承を得て生前の上坂さんと親しくお付き合いいただいた皆様にお集まりを願い、それぞれの思い出を胸に刻みつつ、あらためて上坂さんに“一喝”される会を催したいと存じます>

 

曽野綾子さんが、「上坂さんがいたら、どういうだろうかと、ときどき思うことがある」とあいさつのなかでおっしゃっていた。上坂さんのようにズバリ直言する人が、だんだん少なくなっていくのは、さみしい。

 

曽野さんと上坂さんの対談を企画したことがある。事前に、上坂さんは、対談のテーマにかんする取材をおこなっていた。上坂さんにとって、曽野さんは、親友であり、かつライバルという意識があったように思う。

 

クールビズで出かけたら、予想に反してノーネクタイは、ごく少数であった。かといって、上坂さんから、「TPOもわきまえずに!」と一喝される心配は、まったく感じなかった。ご本人は、こういう席にはきちんとした服装であらわれる人ではあったが。

 

帰りに、上坂さんの著書を2冊もらった。『死ぬという大仕事』(小学館)と、『上坂冬子の老いの一喝』(産経新聞出版)である。電車のなかで、ひらいてみた。新聞や雑誌に連載中に読んだものが多かったが、入院していた慈恵医大の先生方との対話をつづった『死ぬという大仕事』のなかに大平正芳元首相の話があった。これはまだ読んでいなかった。

 

上坂さんは、宗教が人間の恐怖や悲しみを解決してくれるかどうかわからないという。その例として、大平さんのことを語る。

 

<あの方には大事に大事にしていた優秀な長男がいた。すごく健康で、大学を卒業して秘書になり、26歳のときに世界を回って見聞を広めてくるといって旅にでた。当時、お父さんは外務大臣だったから、「何かあれば大使館に頼め」なんていったそうですけど、そんな必要ないと笑ってでかけたそうですよ。旅先でベーチェット病という病気にかかって、家には帰ってきたものの、最後は目もみえなくなって亡くなったのです>

 

上坂さんは、この話を大平さんから、直接聞いたという。大平夫人は、死んだ長男に関係のあるものは、すべて処分した。しかし、大平さんは、夫人に内緒でこっそり遺品や遺影を保存していた。毎朝、机の引き出しにそっと入れておいた遺影などをじっと眺めてから出かけたという。

 

大平さんは熱心なクリスチャンだったので、上坂さんは、「信仰は役に立ちましたか」と尋ねた。大平さんは、こう語ったという。

 

「上坂さん、はじめていうけどね。信仰は役に立たないわけではないけれど、息子が亡くなった瞬間、わたしにとって神も仏もありませんでした。強いていえば、立ち直るときに、信仰のおかげで多少普通の人より早かったかもしれないが」

 

大平さんのスピーチは何度か聴いたが、直接お会いし、話す機会はなかった。大学の同級生が大平さんの秘書だったことや、池田勇人元首相の側近、ブーちゃんこと、伊藤昌哉氏(政治評論家)の著書のファンだったので、本のなかにしばしば登場する大平さんには、ずっと親近感をいだいていた。

 

この6月は、会合や仲間との雑談のなかで大平さんが話題になることがあった。40日抗争、衆参同日選挙。当時の自民党は内輪もめに明け暮れ、政局は混迷していた。いまと、どこか似ている。大平さんは昭和551980)年6月12日、現職の内閣総理大臣として亡くなった。一転して自民党は結束し、弔い合戦を展開。衆参両院で安定議席を得た。早いもので、あれから28年が経った。

 

そういえば、上坂さんに一喝されるのが怖かったのか、声をかけられなかったのか、今回は政治家の姿がなかった。

 

〔フォトタイム〕

 

首都高速土橋入り口その2

首都高速土橋入り口は、JR新橋駅のすぐ近くにあります。

 

 

中国の統計をそのまま信じている人は、ほとんどいない。統計の担当者だって、これがほんとうの数字だとは思っていないだろう。以前、中国通の元外交官の話を聞いたとき、「失業率など、まったくアテになりません」と、語っていた。

 

けさの日本経済新聞に、<虚偽の統計に中国が罰則強化>という見出しのベタ記事が載っていた。145行ていどの目立たない記事。もし日本の国会が統計の間違いに罰則を強化する法案を可決したら、まちがいなく大きなニュースとなる。中国の話だからせいぜいベタでいいというわけだが、記事はアゼンとすることを指摘している。

 

<中国の全国人民代表大会(国会に相当)常務委員会は、28日までに「統計法」の修正法案を可決して閉幕した。データ改ざんなどへの処罰を強化し、政府各部門間で調査結果が一致しない統計の公表を禁止した>というのだ。つまり、これまでは省庁間でバラバラの数字が発表になっていたというわけ。

 

日本では、とても考えれない杜撰さである。戦後はもとより戦前からも、日本は、極端ないいかたをすれば、統計がすべて、というぐらいにその作業に全力を傾けてきた。確実で詳細な過去のデータが、未来の予測を助け、高度成長への道しるべに寄与してきたのである。

 

中国の場合、あてにならない統計の悲劇は、いくつもあるが、ここではひとつだけ紹介しておこう。

 

1958年、毛沢東のもとに届いた農業生産高は、中国の歴史はじまって以来最高の数字を記録していた。それなのに、その年の暮れ、ふしぎにもこの国は深刻な食糧不足に見舞われたのである。

 

理由は、ふたつあった。1つ、毛沢東がうけた報告は、偽りの数字であったこと。2つに、農民は「裏庭での鉄づくり」に追われて、農作業がおろそかになっていたこと。

 

文革で熱くなっていた毛沢東は、なにを勘違いしたのか、人民になべやかまを素材にして鉄をつくらせ、鉄鋼増産の統計でイギリスを追い越そうと懸命になっていたのだ。

 

〔フォトタイム〕

 

首都高速土橋入り口その1

なぜ高速道路の入口なのか、と問われると困るのですが、たまたま通りかかったときに撮りました。

 

 

 

美空ひばりとマイケル・ジャクソン。ともに天才児にして、絶大な人気を誇ったスーパースター。奇しくも、というべきか。ちょうど20年という間隔をおいた、どちらもやはり突然の訃報であった。

 

美空ひばり、平成元年(1989年)624日午前零時28分、死去。52歳であった。

 

マイケル・ジャクソン、625日午後230分(日本時間26日午前630分)、死去。50歳だった。

 

世界のメディアは、連日、マイケル・ジャクソンにかんするニュースを伝えている。マイケルは、やはり地球規模の大スターだった。

 

美空ひばりの場合、マイケルほどの世界的なひろがりはなかったが、国内では断トツで、あのときは、たいへんな騒ぎであった。

 

いま、手元に講談社広報室が発行している6月の「KODANSHA NEWS CLIP」がある。講談社の各誌編集長が登場して抱負を語ったり、自社の本の紹介などがある小冊子で、この号の最初に美空ひばりがでてくる。

 

<焼け跡闇市の影を色濃く曳きながら、「昭和」とともに歌いつづけた美空ひばりの生涯を膨大な資料を駆使して、精神史的深層から読み解いた壮大な“力作評伝”>(齋藤愼爾著『ひばり伝』)のPRである。その一節。

 

<戦後最大のスター、昭和の「かぐや姫」ひばり死亡の報はたちまちのうちに全国津々浦々まで知れ渡った。新聞の号外、一面トップ記事は芸能人、歌手の報道では空前にして絶後であろう>

 

722日の本葬では、東京の青山斎場を拠点に、札幌、仙台、名古屋、大阪、広島、高松、福岡の7か所に祭壇が設置され、72000人のファンが別れを告げた。沿道からは、「慈唱院美空日和清大姉」となって天へ帰還するひばりへ拍手と万歳の声が湧き起こった>

 

とにかく、衝撃的な大ニュースであった。

 

残念ながら、マイケル・ジャクソンの歌にしたしむ機会はなかった。これだけ世界にファンがいるのだから、すばらしい音楽にちがいない。いつか、聴いてみたいものだ。

 

美空ひばりは、この一週間にかぎっても、各局でずいぶん聴いた。NHKBSでは、3時間くらい聴いたが、全然、飽きなかった。

 

 

〔フォトタイム〕

 

歌舞伎座その7

取り壊される前に、何度でも撮りにいこうと思っています。

 

 

人気を呼んだ阿修羅展。上野の東京国立博物館までせっかく足を運びながら、予想もしなかった待ち時間の長さに引き返した人もすくなくなかったと思う。

 

いまなら「待ち時間90分」でも我慢するが、以前は30分も待てずに、ずいぶん見損じてしまった。ちょっと行列があれば、すぐにあきらめて引き返したこともあった。惜しいことをしたものだ(忙しかったころは、それほど時間に余裕がなかったという事情もあったが)。

 

こんなわけで、現役時代の自分の体験から、長い行列の平均的な待ち時間というのは、およそ60分くらいだろうと思っていた。

 

けさの日本経済新聞に、<その行列、並びますか?>という記事があった。インターネット調査会社マクロミルを通じて全国の成人男女に聞いたという(6月中旬実施、有効回答数1028)。<並んだ行列、もっとも長くてどのくらい?>の結果は、こうだった。

 

テーマパークのアトラクション

30分未満89人、30分以上1時間未満205人、1時間以上2時間未満362人、2時間以上184人、並んだことはない188

 

人気・話題の飲食店

30分未満324人、30分以上1時間未満258人、1時間以上2時間未満111人、2時間以上13人、並んだことはない322

 

初詣で

30分未満204人、30分以上1時間未満210人、1時間以上2時間未満154人、2時間以上47人、並んだことはない413

 

デパ地下スイーツ

30分未満334人、30分以上1時間未満87人、1時間以上2時間未満22人、2時間以上3人、並んだことはない582

 

宝くじ

30分未満221人、30分以上1時間未満29人、1時間以上2時間未満12人、2時間以上3人、並んだことはない763

 

調査では、これまでに並んだもっとも長い行列も尋ねた。<最長時間は20時間で2人。ともに野球観戦などのチケット取りだった。平均は2時間15分。テーマパークのアトラクションのほか、福袋やゲームの購入、美術展の入場待ちなどが多かった>という。皆さん、けっこう辛抱つよいのだ。

 

<並んでいる間の暇つぶしは?>という問いの結果は、こうだった。

 

同行者と会話812人、人間観察448人、メールをする358人、本や雑誌を読む258人、同行者以外の周囲の人と会話67人。

 

わたしは、電車で読むために本や雑誌をもって外出するので、こういう待ち時間もそれらを手にしている。一緒に並んでいる人たちの多くが、ひそかに人間観察に熱中しているとは、知らなかった。

 

〔フォトタイム〕

 

歌舞伎座その6

学生のころは、よく歌舞伎座に来ました。当時、立ち見席の入場料がいちばん安かったからです。

 

 

ずいぶん昔に読んだ『ゴルバチョフ回想録』(新潮社)に、金日成(キム・イルソン)主席が、息子の金正日(キム・ジョンイル)総書記を後継者にしたとき、「ソ連指導部は、北朝鮮の“奇行”を肩をすくめて笑った」と書いていた。

 

ゴルバチョフにかぎらず、社会主義国の世襲など、哄笑の対象でしかないのだろうが、金総書記は、どこ吹く風で、当然のごとく3男の金正雲(キム・ジョンウン)氏を3代目に指名した。

 

政治家の世襲問題は、わが国でも争点のひとつとなっているが、北朝鮮の場合は、日本とは比較にならない大きな問題をふくんでいる。

 

6月25日に放映されたNHK衛星第1<アジアクロスロード>香港PHXのお馴染みの時局討論会のテーマは、<世襲政権は北朝鮮を安定させられるか>であった。中国の世論が、金一族の権力の世襲をどうみているか、というのは、関心のあるところ。

 

夕刻の放送なので、見逃した人も多いと思う。今回も録画していたので、文字に変えて紹介したい。出席者は、郭一鳴氏(ジャーナリスト)、何舟氏(大学教授)、蔣暁峰氏(ジャーナリスト)の3氏で、司会は黄海波氏。

 

日本で、こういうテーマの座談会を企画するメディアは、まずいないと思う。世襲政権を支持する論客を探し出すのに、ひと苦労するのがわかっているからだ。ある程度の知名度があって、ちゃんと説得力のある発言ができる識者は、そういるものではない。

 

日本人の多くは社会主義者でもないのに、北朝鮮の世襲政権にたいして生理的な嫌悪感みたいなものがあって、とても議論にもならない、というのが、大かたの感想にちがいない(半面、後継者のプライバシーなどには、人一倍関心があるのだが)。

 

しかし、かたまった先入観は、あまりかんばしくないのもたしか。この討論会では、世襲反対の意見もさることながら、世襲を肯定的にとらえる意見にも、じっくりと耳をかたむけてみたい。そういうトレーニングも、思考の柔軟性を養ううえで必要だと思う。

 

司会 時事弁論会にようこそ。きょうは、北朝鮮の問題について討論します。4月に、わたしは香港PHXテレビの撮影チームと一緒に北朝鮮を訪れましたが、現地では金正日総書記の後継者の話は禁句になっていることがとても印象的でした。地元ガイドさんに金正日氏の3人の息子について尋ねてみても、だれも、「知らない」と口を閉ざしたままでした。

そして、今月(6月)に入って、金正日氏は後継者として3男の金正雲氏を指名し、民衆に正雲氏をたたえる歌を学ぶよう呼び掛けている、という通達がだされている。

では、金正雲氏とは、いかなる人物なのか。アメリカのある中国系メディアは、「謎めいた80年代うまれ」というタイトルで正雲氏の手がかりとなる唯一の子ども時代の写真を載せ、経歴を紹介しています。

それによりますと、金正雲氏は1983年か、84年の18日にうまれ、身長が175㌢、体重が90㌔。金正日氏と3番目の夫人の間にうまれた子どもです。かれは、スイスにあるインターナショナルスクールで教育をうけたようです(注・198318日うまれの26歳という見方が一般的。スイス・ベルンのインターナショナルスクールには数か月いただけで、地元の子どもたちが通うふつうの公立学校に転校)。

北朝鮮の情勢はおおきく揺れ動いています。こうしたなか、これまでつづいてきた世襲政治は、はたして北朝鮮を安定させることができるのか。皆さんは、どう思いますか。

 

郭一鳴 もし、ほんとうに報道されたように金日成氏、金正日氏につづいて256歳の若者が、北朝鮮の3代目の指導者になり、世襲政権がつづくというのであるなら、わたしは憂慮すべき事態だと思います。

その理由は2つあります。

まず社会主義国家である北朝鮮には、世襲によって3代目を指導者にするということを認める法的根拠がありません。世界には、世襲の君主制国家があります。たとえば英国のように国の体制が世襲制を認めているわけです。しかし、北朝鮮は社会主義国家であり、君主制国家ではありませんし、世襲が認められるような法的根拠はありません。

それからこの若者の能力にも疑問符がつくと思います。初代の指導者、金日成氏は、かつて朝鮮戦争を戦い抜き、権威を得ました。2代目を継いだ金正日氏は、父親の名声と父の戦友たちのバックアップで政権を維持できたといえます。

しかし、3代目となる金正雲氏には、もはや権威もなければ、祖父のように戦火で築き上げた名声のようなものもありません。こうしたなか、わずか256歳の若さで、党や軍部をコントロールすることができるでしょうか。それは、ムリですよ。

 

何舟 もちろん、北朝鮮の政治体制では、世襲を認めているわけではありません。しかし、世襲制は、すでに北朝鮮では定着していると思います。金正日氏は、1回目の世襲ですよね。それと同じように2回目も順当におこなわれると、わたしはみています。

また、北朝鮮は、政府が鎖国政策をとり、外国と隔絶された状況がつづいています。そして、多くの国民が貧困に苦しむなか、政府は国民の求心力を高めるために架空の神様をつくりあげる必要があります。

金一族には、そのようなカリスマ性が十分そなわっています。国民が金一族を神様と崇めることで、心のやすらぎが得られ、政権を安定させることもできます。北朝鮮が貧困にあえいでいても、世界から孤立しても、国を安定させることができているのは、金一族への忠誠心があるからです。

北朝鮮国内では、金一族こそ指導者にふさわしいと、信じ込ませる宣伝と教育が徹底されています。

 

蔣暁峰 北朝鮮で世襲制がまかり通るのは、それなりに合理性があるからだと思います。60年間の苦しみに耐え、北朝鮮の政治体制がつづいているのは、北朝鮮の歴史や伝統にあるのではないかと思います。しかし、だからといって、北朝鮮の世襲制がすばらしいやり方だとは、わたしは決して思っていません。

では、ほかの方法でもっとべつの政治体制を築くことができるでしょうか。これもすぐにはムリな話でしょう。だから、世襲制をつづけたほうが、まだマシといえるのです。

郭さんはさきほど、金正日氏に指名されたのは256歳の青年で、その能力を疑問視しているとおっしゃっていましたが、金正雲氏がひとりで政治をおこなうわけではありません。韓国のメディアによると、金正日支持派の人々が正雲氏を守っているそうです。金正日氏の妹の夫もそのひとりです。

 

司会 では、いまお話にでた支持者たちの写真をおみせしましょう。中国系メディアもかれらの写真を載せていました。金正雲氏を後継者として推しているのは、金正日氏の現在の夫人(注・金玉=キム・オク氏)と、実の妹(注・金敬姫=キム・キョンヒ氏)の夫、張成沢(チャン・ソンテク)氏、また人民武力部(注・国防省)次官、朴在京(パク・ジキョン)大将らも名をつらねています。

 

蔣暁峰 そうです。かれらが、金正雲氏を支えていくと思います。どう動くかは、北朝鮮の内政問題であり、わたしたちが干渉すべきではありません。

 

司会 視聴者の皆さんのご意見です。<世襲政権は北朝鮮を安定させられるか>というテーマにたいして、「大丈夫だ」という人が15%、「時代に合わない。2代目とちがい、安定はしない」という人が84%。「時代に合わない」というのが気になりますね。

 

郭一鳴 北朝鮮が国際社会との緊張関係を利用して国内の士気と結束力を高めようとしている背景には、国内の危機的状況があるからだと思います。背景にあるのは、人々の生活難です。いま北朝鮮は世界の発展の流れから取り残されています。政府は人と人の接触を遮断し、人々を外国メディアにふれさせないようにしています。

しかし、通信手段が発達している今日では、北朝鮮の人々はなんらかのかたちで外部の情報を手にいれることができるようになりました。ここ数年、生活や政治的な理由などで命をかけてでも北朝鮮から脱出する人は、後を絶ちません。これは危機のあらわれです。

こうしたなか、3代目の若者は、はたして国を掌握することができるのでしょうか。アメリカが金政権を倒すとかいう前に、北朝鮮国内の“政権へ反発する力”が勢いを増しつつあると、わたしは思います。この力は、北朝鮮に改革を迫るでしょう。改革をせずに、昔の路線を踏襲しようとすれば、その力がどう動くか次第でしょう。

 

何舟 郭さんはそうおっしゃいますが、そのような意見は、北朝鮮ではあまり聞かれませんよ。

 

郭一鳴 マレです。われわれの年代も同じような経験があります。閉鎖的だったかつての中国は、外からみれば安定していたようにみえたかもしれません。しかし、広東省などでは、毎年、多くの人々が違法に出国などしました。つまり人心が離反するような兆しがあったのです。その後、鄧小平氏が打ち出した改革開放の方針が多くの賛同を得たのは、人々が変化を切望していたからです。いまの北朝鮮にも、変化を求める動きがあると、わたしはみています。

 

司会 あたらしい変革の動きは、ありえるのでしょうか。もし金正雲氏が3代目に就任し、改革をすすめれば、各国も制裁措置をへらしたり、援助をふやすといったように、対北朝鮮政策も変わっていくのでしょうか。

 

何舟 その可能性はあります。中国も改革開放で経済は急成長しましたが、政治体制はさほど変わっていません。北朝鮮も同じような道を歩めばいいのです。つまり政治体制は変えずに、経済改革を推し進めるのです。国民の信頼を一身に集め、神様と仰がれる後継者の指導のもとでの改革なら大義名分もあるし、現実としても人々も受け入れやすいでしょう。

 

郭一鳴 金正日氏の後継者選びは、民衆の意思とはかけ離れておこなわれているようです。民衆は、後継者選びには、一切参加していません。まあ、金正日氏の選択には、民衆は「ノー」とはいえないかもしれませんが。

 では、かりに金正雲氏が政権に就いたとして、その後、もし人々の生活の改善や軍部などの掌握などができなければ、正雲氏はどうなってもよいのですか。かれには権威もなければ、頼れる先代の力もなく、すべて自分の手腕に頼るしかありません。かれの背後にいる支持者の義理の兄(注・後見人となる張成沢氏のことか。そうなら義理の兄ではなく、義理の叔父)などが、みな虎視眈眈と自分の出番を待っているにちがいありません。あなたが失脚なら、わたしが代わりにやると意気込んでいるのです。

このような権力闘争は、過去の政権交代では、数えきれないほど起きています。また、政権交代後、生活の改善がみられなければ、民衆の不満は噴出し、政権の基盤がおびやかされる恐れもあります。

 

蔣暁峰 金正雲氏が引き継いだところで、北朝鮮が20代の若者ひとりの手にゆだねられるなんてことはありません。金日成氏が自分の息子の正日氏を後継者に指名したときも、20年近くの時間をかけてその能力を試し、党や国家全体にその権威を植えつけてきました。

ですから、いま若い後継ぎが指名されましたが、民衆や党、軍などにかれを理解し、受け入れさせるための準備をすすめていると思います。そういうやり方は、北朝鮮にとってもわるくはないと思います。

 

何舟 そのとおりです。金正日氏は、いま健康状態がすぐれないものの、すぐに亡くなることもないと思います。後継者に選ばれた人は、軍隊や政治中枢の重要なポストについて経験を積み、そこで人脈を築き、自らの政治基盤をかためる必要があります。国の指導者として能力はむろん重要ですが、北朝鮮のような国にとっては、能力よりもむしろカリスマ性のほうが、より求められるのでは、と思います。

 

司会 ここで視聴者のメールを紹介しましょう。まず北朝鮮の政権交代への中国の影響力についての意見です。

「親中的で国際社会と協力する民主的な政権のほうが、各国の利益に合致する」

「金一族の3代目は有能で、北朝鮮の人々を幸せにして、北朝鮮を国際社会の一員にすることを願う」

金正日氏は、息子さん3人をみな海外に留学させていました。つまり金正日氏自身も、閉鎖的な政権を望んではおらず、外の世界をみてきた人に、バトンタッチをしようとしているのではないでしょうか。

 

郭一鳴 国際社会の一員になるには、開放的で多元性のあることが求められます。しかし、独裁政権である北朝鮮の社会には、まったく相いれないものです。国際社会の一員になる条件は、北朝鮮の統治に不利なことばかりなのです。

 

蔣暁峰 3男をあえて指名したのは、なにか目論んでいるのでしょうか。

 

郭一鳴 それを見とおすのは、困難ですよ。ただ、カリスマ性を過大評価すべきではありません。君主であっても、その座から引きずりおろされたことは、例がありますね。

 

〔フォトタイム〕

 

歌舞伎座その5

歌舞伎座のまわりをぐるっと一周するだけでも、いろいろな発見があります。

 

 

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