日本橋高島屋で「片岡球子展」をみてきた。画家の片岡球子(たまこ)は、昨年1月16日、103歳で亡くなった。文化勲章を受賞し、100歳まで絵筆を握ることのできた人生は、とても充実していて、じつにうらやましい。
画家は、天才タイプではなく、忍耐と苦労の末、たくさんの力作を残した頑張り屋であった。30年間も描き続けた富士山の連作や、足利尊氏などの人物画がよかった。
80代、90代のいわゆる後期高齢者の後半になっても、まったく情熱をうしなわず、ダイナミックなタッチでありながら繊細でもある作品群をみていると、こっちまで、まだまだ頑張らなきゃ、という気持ちになってくる。
注目すべきは、78歳からとりくんだ裸婦像。トシとともに野外での写生がむりになってくると、自宅でも描けるものへと変えたのである。その裸婦像は、どれも生き生きとして、なまめかしい。
人生のたそがれと思っていた78歳。その年齢からでも、あたらしいことに挑戦できる。すばらしいことではないか。しかも100歳までも。そう思うと、未来がぱっとあかるくなった。
片岡球子は、明治38(1905)年1月5日、札幌で造り酒屋の長女としてうまれた。札幌高等女学校で学んでいたころは、女医をめざしていたという。しかし、卒業間際、友だちからいわれたひとことが転機となった。
「あなたは、絵描きになるほうが、ずっと意義がある」
東京の女子美術専門学校(現在の女子美術大学)に入ったとき、親はすでに結婚相手を決めていた。絵を学ぶのは嫁入り支度のひとつというくらいの気持ちで親は進学を許したのだが、結局、球子は結婚よりも絵を選んで東京に残ったのである。生涯、独身であった。
〔フォトタイム〕
三菱一号館その2
丸の内オフィス街の名物ビルも、昭和43(1968)年には、解体されました。