2009年05月

日本橋高島屋で「片岡球子展」をみてきた。画家の片岡球子(たまこ)は、昨年1月16日、103歳で亡くなった。文化勲章を受賞し、100歳まで絵筆を握ることのできた人生は、とても充実していて、じつにうらやましい。

 

画家は、天才タイプではなく、忍耐と苦労の末、たくさんの力作を残した頑張り屋であった。30年間も描き続けた富士山の連作や、足利尊氏などの人物画がよかった。

 

80代、90代のいわゆる後期高齢者の後半になっても、まったく情熱をうしなわず、ダイナミックなタッチでありながら繊細でもある作品群をみていると、こっちまで、まだまだ頑張らなきゃ、という気持ちになってくる。

 

注目すべきは、78歳からとりくんだ裸婦像。トシとともに野外での写生がむりになってくると、自宅でも描けるものへと変えたのである。その裸婦像は、どれも生き生きとして、なまめかしい。

 

人生のたそがれと思っていた78歳。その年齢からでも、あたらしいことに挑戦できる。すばらしいことではないか。しかも100歳までも。そう思うと、未来がぱっとあかるくなった。

 

片岡球子は、明治381905)年15日、札幌で造り酒屋の長女としてうまれた。札幌高等女学校で学んでいたころは、女医をめざしていたという。しかし、卒業間際、友だちからいわれたひとことが転機となった。

 

「あなたは、絵描きになるほうが、ずっと意義がある」

 

東京の女子美術専門学校(現在の女子美術大学)に入ったとき、親はすでに結婚相手を決めていた。絵を学ぶのは嫁入り支度のひとつというくらいの気持ちで親は進学を許したのだが、結局、球子は結婚よりも絵を選んで東京に残ったのである。生涯、独身であった。

 

〔フォトタイム〕

 

三菱一号館その2

丸の内オフィス街の名物ビルも、昭和431968)年には、解体されました。

 

 

ドンのコックだった藤本健二氏の著書『金正日の料理人』(扶桑社)のなかに、1995年12月30日、金正日総書記のもとに労働党の金己男(キム・キナム)宣伝部長が、「将軍様へご報告があります」とやってくるところがある。

 

その場に居合わせた人の、貴重な証言である。 

 

そのとき宣伝部長は、「現在、核施設で働いている者たちに、歯が抜けたり、髪が抜けるなど、被曝者が続出しています。たいへん悲惨な状況でございます」と報告したという。

 

それにたいして、金総書記はなにもいわなかった。<いや、いえなかったというほうが正しいかもしれない>と著者はつづけたあとに、<おそらくかれらは、その地下核施設からは、生きて日の目をみることは、けっしてないだろう>と、書いている。

 

きょう(5月25日)の昼過ぎ、NHKニュースで北朝鮮がけさ、地下核実験を実施したというニュースをきいて、まず、そのくだりを思い出した。

 

それから、世界の首脳でいちばん衝撃をうけたのは、だれだろうかと思った。

 

オバマ米大統領だろうか。プラハで高らかに宣言した「核のない世界」をあざ笑うかのような所業である。弾道ミサイルの発射、6者協議からの脱退とさわぎたてたあげく、ドカンときた。

 

オバマ大統領は、舐められた、という心境にあるのではないか。

 

金正日総書記は、あきらかにオバマ大統領に失望している。待ちのぞんだ民主党の大統領が誕生したというのに、事態はまったく動かない。オバマのああいう態度は、変えなければならない、という意味合いが、こんどの核実験にはあるかもしれない。

 

しかし、もっともショックを受けたのは、中国の胡錦濤主席のほうだったのではないか。

 

現時点で、中国政府が、平壌から事前に連絡をうけたかどうか不明だが、たとえ知らせがあったとしても、胡主席の憂鬱さはオバマ大統領以上であったと思う。

 

むろん、麻生太郎首相、李明博大統領も、それぞれに怒りが込みあげてきたはず。それでも、胡主席の複雑な感情には、到底およぶまい。

 

 4年ほど前、仙谷由人政調会長(当時)ら民主党の訪中団が、北京で中国共産党の王家瑞対外連絡部長と会談した。このとき王部長は、北朝鮮の核実験の可能性について、「国際的な孤立を招くので、実験には至らないだろう。実験すれば、中国は強烈な反応を示すことになる」と述べた(「朝日新聞」平成17513日付夕刊)。

 

中国共産党幹部のなかで金総書記ともっとも親しい人物の発言だったので、このベタ記事が妙に印象に残っている。

 

ところが、北朝鮮は一年も経たない平成182006)年10月に最初の核実験を断行。北京政府は真っ青になった。

 

そして、きょう。駄々っ子の火遊びは、もはや制御不能となった。

 

今回の北の核実験には、中国首脳にたいするなんらかの重いメッセージがこめられているのではないか。

 

いま中国と北朝鮮の間で、のっぴきならない対立があるのではないか、ということだ。

 

あるいは、金総書記の健康状態があまり芳しくないのか。米中むけと同時に、国内引き締めも狙った核実験という見方もできる。

 

とすれば、金総書記の後継者問題もからんでいることになり、いずれにしろ、なにやら大きな変動を予感させるのである。

 

〔フォトタイム〕

 

三菱一号館その1

いまから115年前、東京駅から歩いて数分の丸の内に赤レンガのオフィスビルが誕生しました。鹿鳴館や岩崎邸などをてがけたイギリス人建築家、ジョッサイア・コンドルの設計でした。

 

 

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