2009年03月

25日夜、帰国したWBC日本代表チームの記者会見は、よかった。湿っぽい、小沢さんの涙の会見とは、ちがって、加藤良三コミッショナー以下、さわやかなことばがつづいた。

 

加藤さんは、駐米大使を長くつとめたベテラン外交官だが、外交官時代には味わえなかった、大きな感動を得たにちがいない。皇太子ご夫妻のメッセージを紹介したのは、さすがである。

 

会見では、とりわけ原監督のコメントが、印象に残った。参考までに、2紙の引用をあげておこう。

 

「正々堂々、世界の強者(つわもの)を相手に戦って勝った。覚悟と潔さをもって、気力と粘りの『日本力(にほんぢから)』をみせつけてくれた」(朝日新聞)

 

「一人ひとりが向上心を持って侍ジャパンとして戦ってくれた。髪の毛が金だったり茶色だったりした選手もいたが、自然と黒く短くなっていった。侍にある礼儀、礼節をもって戦ってくれた」(産経新聞)

 

わたし自身、いちばん印象に残ったのは、「きょうのこの記者会見をもって、侍ジャパンを卒業し、これからは巨人軍の監督として連覇をめざしたいと思います」というひとことだった。

 

国旗を背負ったナショナルチームの監督として、世界のヒノキ舞台で連覇することが、どれだけ晴れがましいことか。日本での勝ち負けなど、比較にならないだろうと思うのは、シロウトの浅はかな思い込みにすぎない。

 

原監督のことばには、WBC連覇と同等、いやそれ以上、また日本一になることが重要、という覚悟がうかがわれた。言い換えれば、ことしの日本シリーズを制覇しなければ、WBC連覇などは、消し飛んでしまう、という緊張感がある。

 

それだけにいっそう、WBC監督に全力をつくした原監督をたたえたい。たとえ原巨人が、ことし最下位になっても、一部のファンは、許してくれるだろうが、本人には、そういう同情自体が耐えられないはず。それが勝負の世界というものだろう。

 

原監督の指導力に注目したい。川上哲治流でもなく、長島茂雄流でもなく、いわんや星野仙一流でもない、独自の原辰徳流は、これからの日本をリードする新しい指導者像を示唆している。キーワードは、自主性と規律である。どうやら、日本再生のヒントともなりそうだ。

 

〔フォトタイム〕

 

グランドプリンスホテル赤坂その4

都心のホテルのなかでは、グランドプリンスホテル赤坂の玄関前は、ゆったりとしているほうです。

 

 

記者会見で、とつとつと語る小沢さんの目が、次第にうるんでいった。右手で、あるいはハンカチで、2度、3度と目頭をぬぐっていた。秘書が逮捕されたときの、あの強気の態度とは、まったくちがう低姿勢。

 

秘書が逮捕されて以来、自分が犯罪をおかしたかにみられてきたことに悔しい思いをしてきたという。いままでは、そんな弱音などはいたことのない小沢さんの姿は、どこか弱々しく、剛腕政治家の姿は、きつい質問に声を荒げたとき以外は、みられなかった。

 

WBCで韓国を破って国中がわいている、まさにそのときに、屈辱的な役割を演じなければならないわが身の不運をひしひしと感じていたのかもしれない。

 

「仲間の皆さん、国民の多くの皆さんにご迷惑をかけたことをお詫びし」、「多くの仲間や国民の皆さんから暖かい励ましをうけて」続投を決めたという。

 

自分の意思ではなく、たくさんの支持を得たからというわけだが、秘書の起訴についての具体的な反論はなかった。小沢さんの情緒的な弁明をききながら、民主党の諸氏は、はらはらしていたのではあるまいか。

 

それにしても、小沢さんの涙は、世論にどういう作用をもたらすのだろう。昨年、ヒラリー・クリントン氏は、涙で、いっとき、勢いを盛り返したことがあったが、小沢さんの涙は、世間にどう映ったのだろうか。

 

〔フォトタイム〕

 

グランドプリンスホテル赤坂その3

グランドプリンスホテル赤坂へむかう段々ですが、なかなか風情があります。

 

 

WBCの決勝戦は、すごい試合であった。TBSテレビは、どれくらいの視聴率になったのだろう。紅白を抜いたのではないか。いずれにしても、日韓ともに、仕事どころではなかったにちがいない。

 

小沢さんの一件も、いっとき、すっかりかすんでしまった。

 

野球は、わかりやすい。だれでも、監督の気分になれるところがいい。ミットやボール、バットやユニフォームに、一度だってさわったことのない人でも、ここは代打だ、ここで投手交代だと、いくらでもいえるからたのしい。

 

9回裏。マウンドに立ったダルビッシュ投手は、なかなかストライクが入らない。3月17日、サンディエゴで韓国に1-4で敗れた試合の1回裏を思い出して、いやな予感がした人が多かったと思う。

 

2人つづけて四球をだしたとき、ダルビッシュ投手を替えたほうがいい、と思った視聴者はすくなくないはず。いったい、続投させた原監督は、あのとき、どういう思いであったのだろう。

 

結果としてダルビッシュ投手は打たれて、同点にされてしまった。もし韓国が優勝していたら、9回裏の原監督や山田投手コーチの判断に対して、批判めいた声がきかれたにちがいない。

 

あのとき、原監督も選手も、ダルビッシュ投手を全面的に信頼し、一打逆転のきわどい場面にも、すべてをこの青年に託したのである。

 

侍ジャパンのエースは、松坂投手であるが、ダルビッシュ投手も岩隈投手も、日本の至宝である。

 

そういう若きエースに対する監督の信頼性が、9回裏のピンチでも、揺るがなかったところに、なにか感動的なものを覚えた。監督の信頼性こそは、一丸となったチームの証しである。

 

それにしても、岩隈はよくやった。むろん、決勝戦への道をひらいたエース松坂も。そして、イチローのあの一打!

 

〔フォトタイム〕

 

グランドプリンスホテル赤坂その2

グランドプリンスホテル赤坂そばの土手の桜は、とてもみごとです。 

 

 

「外交フォーラム」4月号に、<日本復活のシナリオはあるのか>という鼎談が載っている。出席者は、伊藤元重(東京大学教授・総合研究開発機構理事長)、野上義二(みずほコーポレート銀行常任顧問・国際問題研究所理事長)、山田伸二(NHK解説委員)の3氏。

 

鼎談のなかで、司会者から、「内需を拡大していくには、どのような対応が必要ですか」という問いかけがあった。それに答える3氏のコメントのなかに興味ある発言があったので、ピックアップしてみた。

 

「今般の経済危機で、政府、企業、家計のすべてが打撃を受けている国が多いなかで、日本は家計のバランスシートは、傷ついていません。アパレルでも、メインストリートの有名店の売り上げは落ちていますが、そこの製品をちょっと安く売っているアウトレットには、連日、お客さんが押し寄せている。日本の消費者は、使えるお金をまだ持っています」(野上)

 

「アメリカ人は亡くなるときに、だいたい5年分の生活費に相当するお金を残すそうですが、日本人は20年分も残しています。これだけ残す必要があるのかどうか。とにかくお年寄り夫婦には、年に何度か温泉旅行に行ってほしいし、孫が来たら、ファミレーレストランでいいから出かけてほしいと思います」(山田)

 

「昨年、わたしが理事長を務める総合研究開発機構(NIRA)で、日本の中高年が安定的な老後を送るには、どれだけお金を残したらいいかということを試算しました。このレポートはけっこう話題になったのですが、どうみても100兆~150兆円は余分に貯蓄しているという結果が出ました」(伊藤)

 

このやりとりを読んで、「これは、いったい、どこの国の話なんだ」と、思う人もすくなくないかもしれない。とても、遺産を残す余裕などない人もいるだろうし、「家計のバランスシートは、傷ついていません」といわれても、株や投信で深手を負った人は多いはず。

 

とはいえ、マネーというのは、あるところには、あるもの。日本列島の資産状況には、とかく、ばらつきがあるが、さりとて、3氏の見方がオーバーというわけでもない。

 

日本の個人金融資産は、よく知られているように1500兆円といわれている(今回の株価下落などによって、ずいぶん含み損はでているが)。

 

じつは、そのほかに、もっと財産がある。立命館大学の大垣尚司教授は、こう述べている(「日本経済新聞」3月11日付朝刊)。

 

<日本のシニアが持つ金融資産の6割が預金だといわれるが、金融資産は60歳以上世帯の全財産の3分の1程度を占めるにすぎない。残り3分の2の大半は住宅と宅地であり、総務省統計によれば、その時価総額は、1千兆円を超える>

 

住宅・宅地資産はともかく、日本の個人金融資産1500兆円は、世界も注目しているが、それにしても、日本人は、なぜ、かくも貯め込むのだろうか。

 

ひとことでいえば、鼎談で伊藤教授も指摘しているように、「老後の不安」からであろう。いったい、老後には、どのくらい必要なのか。

 

その正確な額を、だれも教えてくれない。だいたい、人は何歳まで生きられるのか、だれもわからないのだから、試算のしようがないのである。いいようのない不安から逃れるには、こつこつと貯め込むしかない。

 

しかし、アメリカ人の5倍も多く貯めているといわれると、ちょっと考え込んでしまう。元気なうちに、もっと自分のために使おうではないか、という気にもなる。

 

〔フォトタイム〕

 

グランドプリンスホテル赤坂その1

東京メトロの赤坂見附駅を降りて、紀尾井町方向へむかうとグランドプリンスホテル赤坂の威容がみえてきます。

 

 

昨晩、NHKで、<どうなってしまう? テレビのこれから>を放映した。ご覧になった方も多いと思う。視聴者の代表と共に、民放各社のプロジューサーや敏腕ディレクターも参加した、これまでにない画期的な番組であった。

 

現代は、「離れの時代」でもある。「新聞離れ」から「クルマ離れ」まで、若者の行動パターンの変化が、社会変革へとつながりかねないほどの勢いをみせている。「テレビ離れ」、また然り。

 

長年にわたって取材の現場で、電波ジャーナリズムの隆盛を羨望のまなこでみてきた。活字メディアに属していた人間にとって、テレビの凋落をテーマにした特番が、テレビの本山、NHKで組まれたこと自体に、すさまじい時代の変化を感じた。

 

さまざまな思いを抱きながら、3時間、番組とつきあった。新聞界もたいへんだが、テレビ界も深刻な状況にあることを、あらためて実感させられた。とくに注目したのは、視聴者調査。いくつか、ふれておこう。

 

番組が視聴者に試みた調査のなかに、<あなたにとって、なくてはならないメディアは?>という項目があった。

 

結果は、①テレビ40%、②新聞32%、③インターネット20%だった。

 

これだけをみれば、斜陽といったって、さすがテレビ。その優位は、最盛期ほどではないにしても、当分は揺るがないように思える。しかし、回答者を16歳から29歳に限定してみると、①インターネット54%、②テレビ33%、③新聞10%と、順位は逆転してしまうのだ。

 

若者の新聞離れは、ずいぶん前からいわれてきたが、テレビ離れのほうもジワジワと広がりつつある。テレビをみない若者は、1988年には12%だったが、2008年には19%になった。

 

しかも、テレビ離れは、若者だけの現象ではない。番組のなかで、とても気になる調査結果がだされた。<自分もテレビ離れをし始めていると思うか>という設問に、「そう思う」と答えた視聴者が59%にのぼったのである。

 

<あなた自身は、決まった時間に番組をみる機会は大きく減ると思いますか>という設問に、「大きく減る」と答えた人は、4303人。「減らない」と答えた人は、2659人だった。

 

インターネットにおびえるテレビの未来は、どうなるのだろう。テレビの制作者の迷える姿が印象的だった。

 

わたし自身は、年を経るごとに、逆にテレビの凄さに気づいて、利用する時間はふえている。その情報量と質には、残念ながら活字メディアは、とても及ばない。ただし、ニュースとスポーツはリアルタイムだが、ほかの番組の半分以上は、録画でみている。

 

〔フォトタイム〕

 

東京国際フォーラムその7

この左前方を行けば、東京駅です。 

 

 

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