2009年01月

2月1日からフリーになる。とはいえ、きょう(1月31日)とあす(2月1日)の自分の生活に、なにか、とくべつのちがいがあるわけでもない。きょうは土曜で、あすは日曜。これではメリハリがつくはずもなく、退社という人生の区切りを実感するのは、2日の月曜あたりかもしれない。

 

組織を離れた悲哀、というのは、少々おおげさにしても、その不便さを感じるときが、いずれくると思われる。たとえば会社のIDカードなども、ふだんは気にも留めなかったのが、なんとなく懐かしくなってくる。

 

昨今は、あちこちで身分証の提示を求められるようになった。銀行で大金を引き出したり、振り込んだりするときも、保険証とかパスポートを求められる。昔は、そんなことは、あまりなかったように思う。底流にあるのは、不信の時代ということか。

 

いま、手元には保険証もない。これまでの保険証は、会社に返却し、新しいのが手元にとどくのは先の話。免許証も更新をさぼって、ない。こうなったら、外国人のようにパスポートをもって外出することにするか。

 

名刺は、どうしたらよいだろう。名刺なしの人生もわるくはないけれど、名刺の効用は認めざるを得ない。名刺交換したばかりの相手の名前を、どうしても思いだせないときがある。そういうときのためにも、名刺はあったほうがよい。さりとて、急いでつくることもあるまい。

 

スローライフでよいのだ。さいわいモーレツ型の人間でなかったのが、よかった。モーレツ型人間の場合、現役を退いたあとの頑張りすぎという性分は、下手をすると、家族や世間との間になにかと摩擦を生じかねないのだ。

 

偏見を承知でいえば、退職後は、非モーレツ型人間の出番である。落ち着いた人間のほうが、やすらぎに満ちている。人間、なにが得するか、わからないものだ。さて、あとは、腰をおちつけて熱中できるものをみつければよい。ゆっくり、ゆっくりで十分なのだ。

 

2月1日から「専門家ブログ」へ移ります。これからも、よろしくお願いします)

 

〔フォトタイム〕

 

皇居大手門その7

お堀端の柳も、なかなか風情があります。

 

 

「イザ!」に「記者ブログ」ができて、もう2年半くらいになるでしょうか。わたしは、草創期からのメンバーですが、今月末に産経新聞社を退社しますので、2月1日からは同じ「イザ!」ブログのなかのひとつ、「専門家ブログ」へ移ることになりました。

 

「大島信三のひとことメモ」というありふれたタイトルもそのまま、「フォトタイム」もそのままで、単に居場所の移動にすぎません。もっとも、やはり組織を離れることの開放感は当然で、これからは、すこし強めの文章をときには書けるのではないかと思っています。

 

「記者ブログ」では、ずいぶん勉強になりました。たくさんの方々からコメントをもらって、なるほどと感心することが、しばしばありました。阿比留瑠比さん、宇佐美彰彦さん、福島香織さんといった当社を代表する人気ブロガーの足元にも及びませんが、それでもけさ8時現在のアクセス数の合計は、3,085,785件でした(エントリー数は、本日で1044件)。

 

あらためて当欄へお立ちよりいただいた皆様に、心から感謝します。

 

さして中身の濃いエントリーをとどけたわけでもなく、申し訳ない気持ちです。ただ、唯一、とりえがあるとすれば、全期間、毎日、更新したことくらいでしょうか。これからも、愚直に、可能なかぎり更新をつづけたいと思っています。ひきつつき、読んでいただければ、うれしいです。

 

何年も前から、退社したあとのことを考えてきました。記者とか、編集者の道を歩んできましたので、結局、念頭に残ったのは、ものを書くということでした。ブログもまた、そのひとつと考えています。

 

その際、肩書きをどうするか、ということも考えました。もの書きに肩書きなど不要かな、いや、あったほうがいいのかな、と、いろいろ思いめぐらしてきました。

 

昨年暮れ、黄文雄さん(評論家)主催の恒例の忘年会が、歌舞伎町・新宿コマ劇場そばの台湾料理店でひらかれました。そのとき、産経新聞OBの高山正之さんと席が一緒でした。ご存じのように、高山さんは、現在、週刊新潮に辛口の連載コラムを執筆して好評を博している国際ジャーナリストです。

 

高山さんは、産経新聞記者から帝京大学教授になりましたが、昨年、帝京を辞めました。大学を離れたあと、どういう名刺をつくっているのか、興味がありましたので、名刺をもらいましたら、なんと「新聞屋」とありました。

 

「ぼくは、やっぱり新聞屋なんだよね」

 

と、高山さん。結局、自分は根っからのブンヤ、新聞記者なんだ、ということでしょう。いかにも、高山さんらしいネーミングですが、これは高山さんだからできること。わたしが真似たら、笑いものになるだけです。

 

高山さんの名刺の裏は、英文で、そこには、まじめにjournalistとありました。わたしも、ずっとこれかな、と思ってきました。ジャーナリストと名乗るほどのものではないけれど、これがなんとなく無難のようでもあります。そこで、「専門家ブログ」のプロフィルでは、おこがましくもジャーナリストをつかうことにしました。

 

わたしは、高山さんとちがって、海外特派員の経験のないジャーナリストですが、長い編集者生活の体験などをよりどころに、書き続けたいと思いますので、これからも、よろしくお願いします。

 

〔フォトタイム〕

 

皇居大手門その6

大手門のほうから、大手町を撮りました。

 

 

臓器移植の問題は、なかなか明るい展望がみえてこない。一刻もはやく、人工臓器の開発がすすむことを望んでいるが、実用化はまだ遠い先の話。ひとくちに人工臓器といっても、部位によっては、いくら科学技術が進歩しても、実現の可能性がゼロに近いものもあろう。

 

現在、問題となっている海外での臓器ビジネスなどは、当初よりそういう現象が生じるにちがいないと指摘されていた。昔、ある識者が、「人間は、臓器移植をやっちゃいけないのです」とで強い口調でいったのを覚えている。

 

しかし、臓器移植しか治療法が残っていない患者の思いもまた、理解しなければなるまい。

 

昨夜、NHKの「クローズアップ現代」は、<制限される“海外臓器移植”>というテーマであった。その番組のなかで、ドイツの心臓病センターの医師がのべたことばが忘れられない。

 

「日本は、日本で移植すべきではないか」

 

自給自足せよ、というのだ。ドイツでは、1万2000人が臓器移植を希望しているが、臓器提供者は1300人。3年以上も待っている自国人がいるのだから、ドイツ人医師を薄情だと非難するわけにもいかない。

 

日本人患者が、ドイツやアメリカへわたるのは、日本では、移植をうける機会があまりにもすくないからだ。また、15歳以下の臓器提供は禁じられているので、子どもの患者は、渡航移植しか望みがないのである。

 

平成9(1997)年、臓器移植法が施行されたが、現在にいたるまで、臓器提供者の数はすくない。10年経っても、臓器の提供はあわせて80例前後のはずだ。

 

いっぽう移植を希望する人は、ドイツ同様、12000人を超える。その人たちが、多額の資金の捻出に苦しみながらも海外移植へと望みを託する気持ちは、切実である。

 

八方ふさがりの状況は、結局、闇の臓器ビジネスをはびこらせることになる。臓器の売買など、その実態は、悲惨というほかはない。

 

現行のきびしい臓器移植法を改正し、移植するための条件を緩和しようとする案が3つほど、昨年、議員有志から提出された。その後、これらの法案の審議のほうはどうなったのであろうか。

 

〔フォトタイム〕

 

皇居大手門その5

大手門は、江戸城の正門でした。

 

 

 

けさの産経新聞によれば、テレビ愛知(名古屋市)は27日、別会社に制作を委託したバラエティー番組で、スタッフが通行人を装い街頭インタビューに答える「やらせ」があったという。

 

この記事を読んで不謹慎ながら笑ってしまった。「やらせ」そのものがおかしかったというのではない。この手の「やらせ」は、とうの昔から知っていたので、珍しくもない。テレビの下請け会社が、「やらせ」に走りたがる心理も、なんとなくわかる。

 

これまで街頭インタビューを収録するテレビクルーに3度、声をかけられた。急いでいたときはもちろん、急いでいないときも、立ち止まってマイクにむかって話そうという積極的な気持ちにはなれなかった。

 

考えてみれば、テレビというきわめて影響力の大きいメディアで、自分の考えを述べる、めったにない機会を与えられたのである。それをむざむざことわるのは、もったいないことである。しかし、わたしと同じような人が多いのも、たしか。

 

昨年の某日、繁華街で、テレビクルーが通行人に声をかけていた。みていると、ほとんどの人が、足早に通り過ぎて、話しを聞こうもしない。どういうテーマについての街頭インタビューかはわからなかったが、テレビクルーの疲労感がなんとなくわかる光景だった。

 

テレビ愛知の街頭インタビューは、シリアスな社会問題や大事件にかんするものではなく、観光地の感想をたずねるというもの。これなら、通行人のほうも比較的応じやすいはず。しかし、テレビ愛知が依頼した制作会社は、「時間がなかった」ので、メーク担当の女性スタッフ2人を、「通行人」に仕立てて放映した、という次第。

 

どうして、この「やらせ」が、ばれたかといえば、<登場した「通行人」と、番組最後に表示されるスタッフの名前が同じなのを不審に思った視聴者の指摘で発覚した>というのである。

 

いまだに、こういうとんまで、出鱈目な番組づくりをしているテレビ制作会社の懲りない体質には、困ったものだ。今回は、たまたま、制作会社がドジを踏んだので、視聴者も気づいたが、気づかれないままに、シリアスなテーマの「やらせ」の街頭インタビューも、放映されていたのではないかと、勘ぐりたくもなる。

 

たかがバラエティー番組、そう目くじらをたてることもあるまい、という意見もあろう。しかし、されどバラエティー番組、やっぱりとんまは見苦しい。

 

〔フォトタイム〕

 

皇居大手門その4

大手門の手前から日比谷の方向を撮りました。

 

 

 

海外旅行へ行ったとき、機会があれば、ご当地の、代表的な駅へでかけてみたい。日本だって、名の知れた駅は、それぞれに異なった表情をもっていて、それなりに見学する価値はあるものだ。

 

ただ、印象に残る駅というのは、そう多くはない。

 

「ニューズウイーク日本版」1月28日号に、<世界のベストステーション>というのがあった。とりあえず、書きうつしてみよう。

 

1、セントパンクラス駅、ロンドン(イギリス)

2、グランド・セントラル駅、ニューヨーク(アメリカ)

3、 チャトラパティ・シバージー・ターミナス駅、ムンバイ(インド)

4、 セントラル駅、アントワープ(ベルギー)

5、 ベネディクタン駅、リモージュ(フランス)

6、 ラホール駅、ラホール(パキスタン)

7、 セントラル駅、マプト(モザンビーク)

8、 フアヒン駅、フアヒン(タイ)

9、 アトチャ駅、マドリード(スペイン)

 

う~ん、行ったのは、2つだけか。

 

ヤシの木が生い茂っていた、マドリードのアトチャ駅は、よく覚えている。記事によると、この駅には、ナイトクラブもあるとか。それは気づかなかった。

 

パキスタンのラホール駅は、記事によると、イギリスの植民地時代につくられ、建物は、要塞と駅舎をかねていたという。2本の時計塔は、爆撃にも耐える設計で、正面の壁には、銃を構える穴まであるそうだ。

 

日本はどうか。上記ベストステーションには、入っていないけれど、記事のなかで、京都駅が面白いと書かれている。その理由は、こうだ。

 

<ガラスと金属のまばゆい未来的な迷宮にショッピング街やデパート、ホテルがある。12階の広場から街を眺めれば、古都の歴史と伝統を実感できるだろう>

 

できた頃は、モダンな外観に対して悪評もきかれたが、どうやら、いまは古都になじんできたようだ。

 

で、よろしかったら、みなさんが推薦する日本の駅を教えて下さい。

 

〔フォトタイム〕

 

皇居大手門その3

お壕をみていますと、気持ちが落ち着いてきます。

 

 

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