2008年12月

2008年は、「ほんとに、ひどい年であった」と、のちのちまでいわれるかもしれない。だれでもよかったという恐ろしい無差別殺人の続発から、政治の混乱。そして100年に1度という、金融危機に見舞われた、散々な年が、まもなく終わろうとしている。

 

さりとて、いつまでも渋い顔をしていても仕方あるまい。できれば、現状をべつの角度からみて、つとめてあかるい気持ちで除夜の鐘を聴きたい。

 

100年に1度」というのは、もともとは金融危機に限定したものだが、だんだん2008年の枕詞(まくらことば)になってしまった感もある。しかしながら、熟年層のなかには、どこかに違和感をもつ方もおられるのではないか。

 

「こんな太平楽な世の中を、100年に1度などと、なにをいうか。食うや食わずの、あの終戦直後は、こんなものではなかった」と。

 

サツマイモで飢えをしのいだ世代のなかには、現代の深刻さがピンとこない方もいるにちがいない。

 

一方、生まれたときから飽食の社会で育った若い世代にすれば、自分たちの知らない63年前の終戦までもちだされて比較されては、たまったものではあるまい。世代ギャップは、ますます広がるばかりである。

 

さりながら、「いま日本は、100年に1度のどん底にある」といわれても、おそらく大半の人々にとっては、そういう実感はあまりないと思う。

 

大都市にも、村々にも、さいわいなことに裸足(はだし)の子は、ひとりもいない。繁華街にも、神社仏閣や教会の出入口にも、皆無ではないかもしれないけれど、浄財を求める困窮者の姿はない。

 

数年前、ロシアへ行った折、教会などの前に、ものを乞う女性たちが、雨の日でも立っているのをよくみかけた。彼女たちの服装は、意外にこざっぱりしていて、貧者のイメージはなかった。

 

最近は、日本でも炊き出しに集まってくる人々の数がふえたという。テレビでも取り上げていた。この人たちは、教会の前に立つロシアの女性たちよりは、もうすこし恵まれているのではないか、という気もした。

 

現に困っている人たちを忘れたわけではない。何十年か前にみた、上野の浮浪者たちの、絶望的な眼差しがよみがえってきたのである。

 

いずれにしても、現在が100年に1度という最悪の状態なら、それを受け入れよう。だれであれ、未来を絶望する必要はまったくない。日本の底力からいって、お互いに助け合えば、いくらでも凌(しの)げるからだ。

 

いまが100年に1度という最悪の状態なら、むしろ、未来は光り輝いている。まだ、すこしくらいは、沈むかもしれないけれど、国家が破産するくらいのひどさになるとは思われない。これがどん底なら、前途洋々というものだ。

 

いうまでもないが、職を失い、住まいを追い出された人たちなどを早く救済しなければならない。来年は、なおいっそうの政治パワーが必要とされている。

 

ことしも当欄にお立ちよりいただき、ありがとうございました。よいお年を!

 

〔フォトタイム〕

 

旧安田庭園その3

江戸時代は、常陸笠間(ひたちかさま)藩5万石の下屋敷でした。

 

 

 

昔、台北で、さる要人から、中国大陸を知るには、すくなくとも北京、上海、軍、広東省の4つの動向をしっかりつかむことだと、教わったことがある。

 

なるほど。この4つが、中国を動かしている、ということか。当時は、そう思ったものだ。要人は、そこまでは思っていなかったかもしれないが、案外、当たらずとも、遠からず、といってよいのではないか。

 

それにしても、そのときは、直轄市で政治と経済の中心地の北京と上海、それに銃口の人民解放軍まではわかるが、広東省というのは意外だった。以来、広東省にも関心がむくようになり、だんだん広東省の、けた外れの存在感に気づくようになった。

 

北京からはるか離れた広東省の面積は、18万平方キロで、日本の約半分である。省都は、広州。中国では突出して裕福な省で、いまや同省のGDPは中国全体の8分の1を占める。

 

歴史に「IF」は禁物だが、もし鄧小平が、広東省に3か所の経済特区(深圳、珠海、スワトー)を設けなかったら、おそらく今日の中国はなかったであろう。広東省の経済特区こそ、鄧小平の改革開放のシンボルである。

 

このように中国全体の牽引車の役割を果たしてきた広東省だが、いまはひところの勢いがみられなくなった。

 

「選択」1月号に、<正念場の中国「社会主義市場経済」>という記事は載っている。ここで経済政策をめぐって、中央政府と広東省が対立している、とある。中国政府の経済担当の責任者は、温家宝首相。中央政府と広東省の対立ということは、温首相と、広東省党委員会のトップ、汪洋書記の対立ということである。

 

これは産経新聞(1227日付)ですでに詳しく報じられていることだが、あえていえば、汪書記は、胡錦濤の影響下にある共産主義青年団の出身。権力中枢の微妙な位置関係が、どこでどう、こんがらがったり、ほころびとなるかわからない。

 

それはともかく、なんとしても最低8%の成長を維持し、社会不安の爆薬となる失業問題を深刻化させたくない温首相。倒産企業続出に目をつむり、うまく農民工も追いだしたい広東省の思惑が一致するのは、むつかしい。

 

中国では、労働者の失業手当は、地元政府の負担だという。だから広東省だけでも600万人にふくれあがった出稼ぎ農民には、出ていってもらいたいのだ。そして、汪書記の狙いは、ズバリ、<集団倒産を奇貨として、技術力の高い大型企業を誘致し、産業構造を高度化する(同誌)>ことにあるのだという。

 

このところ温首相の指導力に、どこかカゲリが感じられる。それだけに広東省トップとの対立は、よけい気になる。

 

〔フォトタイム〕

 

旧安田庭園その2

旧安田庭園は、平成81996)年、明治時代の代表的な庭園として、東京都の「名勝」に指定されました。

 

 

 

きのうも、イスラエル軍は、パレスチナ自治区ガザ地区に対する空爆を続行したという。死者286人、負傷者700人以上とか。ガザ地区を実効支配するイスラム原理主義組織ハマスも徹底抗戦の構えで、長期化の可能性もあると、けさの産経新聞は報じている。

 

新聞やテレビだけでは、中東問題の深層は、なかなかつかめない。せめて現地の空気でも吸ってくれば、すこしは理解できるのだろうが、いまだにその機会はない。

 

先日、試写会で「シリアの花嫁」という映画をみた。ガザ地区ほどの殺伐さはないけれど、舞台となったところも紛争地である。たとえ映画であれ、ずいぶん現地の雰囲気がわかった。

 

イスラエルのエラン・リクリス監督の作品で、2004年のモントリオール世界映画祭では、グランプリはじめ4冠受賞に輝いたという(2月21日から岩波ホールでロードショー公開)。

 

映画の舞台は、イスラエルが支配するゴラン高原。もともとはシリア領であったところだが、1967年の第3次中東戦争でイスラエルに占領された。人口約4万人。そのうちの半数は、イスラエルからの移住者で、残りの半分は、シリア時代から住む人々。かれらは、イスラムの少数派であるドゥルーズ派の住民で、いまなおシリアへの忠誠心を捨てていない。

 

いったん、軍事境界線を越えてシリア側へ行けば、もう戻れない。映画「シリアの花嫁」は、イスラエルが支配するゴラン高原のマジュダルシャムス村から境界線を越えてシリアの男性に嫁ぐドゥルーズ派の女性の一日を追ったものだが、こんな現実があるのかと、驚くことが多かった。

 

映画には、家族を分断されたドゥルーズ派の人々が、軍事境界線をはさんで拡声器で、近況を語りあう場面がある。そういう場所を、「叫びの丘」というそうだ。映画と同じ光景が、現地でもみられるのだろう。

 

携帯の時代に、なにも拡声器で会話することもあるまい、と思うのは、平和ボケの国民ぐらい。肉眼で、お互いの無事を確認し、声を掛け合い、絆を深めたい気持ちを抑えることなど、だれにもできないのだ。

 

同じ分断でも、朝鮮半島の場合、38度線をはさんで、南北住民同士の、拡声器による対話は、おそらく一度もなかったにちがいない。軍同士の、すさまじい音響の応酬は、あったけれど。

 

〔フォトタイム〕

 

旧安田庭園その1

墨田区の旧安田庭園をのぞいてきました。

 

 

きのうのNHKテレビニュース。帰省客などでごった返す新幹線ホームで、マイクをむけられた乗客の何人かが、休暇先での過ごし方などを話していた。

 

いつもながらの、ありきたりの答えが多かった。ああいう定番の街頭インタビューは、それでいいのだ。いってみれば、暮れの風物詩のようなものだから、あまり突飛なものは、かえって風情をそこなう。「これから、仕事で出張です。暮れも正月もありません」なんてコメントは、高度成長期ならともかく、いまのご時世では興ざめにしかならない。

 

休みモードの視聴者のほうも、帰省客から奇抜なコメントなど期待していない。子どもの場合も、そうだ。「田舎へ行って、楽しみは何?」、「お年玉」、「いくら貰えると思う?」、「千円」。こういうやりとりで、十分である。

 

きのうも、なんとなく、テレビを聴いていたのだが、「何をしたい?」ときかれた男の子のひとことに、思わず画面をみた。小学校低学年の男の子は、こういったのだ。

 

「安全に、のんびりと過ごしたい」

 

みごとなまでに、ことしの年末年始の過ごし方を表現している。だれもがそうとはいえないけれど、1227日から1月4日までの9日間、休みの人が多い。こんなに長い休暇など、めったにない。

 

本来だったら、大型バケーションを大いに楽しむところだが、ご覧のような状況である。むろん、だからといって、縮(ちぢ)こまることもない。不景気には、不景気にふさわしい過ごし方があるはず。

 

そう、安全に、のんびりといこう。そうと決めれば、家ほど格好のところはあるまい。普段着のまま、というのは、じつにラクなもの。ただ、休みが長いので、それなりにメリハリをつける工夫は、必要だ。

 

やることは、いくらでもある。たとえば、思い切りよく、捨てるもの、残すものを選別する(この際、本のカバーなども捨てる)。買ったまま、積んである本を、目次だけでもいいから読むetc.

 

そして、近くのレストランで、安いメニューでいいから最低一度は食事をし、映画のDVDを借りて、ほかになにか買い物もしたい。いくら、安全に、のんびりと、といっても、家に閉じこもっていては、日本経済の活性化に貢献できない。たとえ、「安近短」であっても、街にささやかなおカネを落としてくるのが、義侠心に富む日本人の心意気というものであろう。

 

〔フォトタイム〕

 

夜の新宿コマ劇場周辺その7

コマ劇場には、52年間で5000万人以上の入場者があったそうです。こんどは、そこに、どういうビルができるのか。それによって、歌舞伎町も変わっていくのか。ウオッチングしていきたいものです。

 

昔は、欧州であれ、東南アジアであれ、外国へ行くとなれば、銀行でまずドル紙幣を用立てたものだ。それがいつの間にか、1ドルも持っていかなくとも、不都合がないようになった。

 

慣れとは恐ろしいもので、ときには、日本のお札だけを懐へしのばせて成田を発つようになった。不遜にも、知らず知らずのうちに、円が世界の基軸通貨のような気分になっていたのである。

 

こういう傲慢な日本人旅行者は、外国で、不意に円を拒否されて、はじめて福沢諭吉は万能にあらず、ということを肌で知ることになる。驕(おご)ってはいけないのだ。

 

昨今、アメリカの凋落と共に、「ドルよ、さようなら。こんにちわ、ユーロ」といった声もきかれる。たしかに、ユーロは、すっかり定着した。いまは、円より、ずっと存在感がある。

 

だが、ドルと選手交代ができるほどに、たくましく成長したかといえば、とてもそこまではいっていないのではないか。

 

ユーロがおかしくなったとき、究極的に、EUに責任をとれるだけの底力が備わっているだろうか。もしEUが破産寸前になったら、とても一枚岩ではいくまい。ドイツとフランスがいくら結束しても、両国だけでユーロを支えることなど不可能である。

 

けさの日本経済新聞で、与謝野馨経済財政担当相がインタビューに応じていた。そのなかで、つぎのようなやりとりがあった。

 

――基軸通貨ドルの地位も揺らいでいます。

「わたしの父は、第二次世界大戦中のドイツで日本大使館に勤務していた。スイスに脱出する際に持ち出した財産は、ドルだったといっていた。米国と戦争しているドイツの首都で唯一通用する外国通貨が、ドルだったという。ドルの価値が上下しても、決済や貯蓄の手段としての優位性は崩れない。基軸通貨のドルを支えることが、われわれの利益だと割り切らねばならない」

 

――円やユーロは、基軸通貨たり得ませんか。

「ユーロはすごいなと思うが、結局は、連合した国の共通通貨だ。さいごは、だれが責任をとってくれるのか。軍事力もふくめて自国通貨を支える力が日本にはなく、円も基軸通貨には、たぶんなり得ない。ドルの地位は、揺らいでいないし、揺るがせないほうが、日本にとって幸せだ」

 

反米派や嫌米派のなかには、アメリカの衰退を歓迎しているような風潮がある。そう思うのはかまわないが、アメリカが崩壊したときの混乱まで想定しているのだろうか。ユーロも円も、まだドルに代わり得ない現実くらいは、知っておいてほしい。

 

むろん、半永久的にドルの時代がつづくとも思われない。「文藝春秋」1月号に岩井克人東大教授の、「基軸通貨ドルが退位する日」という題の論文が載っている。ショッキングなタイトルは、編集部でつけたと思われるが、本文はこう結ばれている。

 

<これは、SF物語にすぎません。だが、今回のアメリカ発の金融危機が、ドルの基軸通貨体制の「終わりの始まり」であることだけは、まちがいありません>

 

人類史は、有限の世界で展開される。どういう歴史が、年明け以降に待ちかまえているのであろうか。

 

〔フォトタイム〕

 

夜の新宿コマ劇場周辺その6

この周辺は、東京でも有数の歓楽街となっています。

 

 

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