2008年11月

昨夜のNHK番組「王監督のメッセージ」を真剣にみた。勝負師の人生とは、こういう生き方なのだろうと思った。昔、現役のONと親しい人が、こう漏らしたのを覚えている。「選手生活を引退したあとも、グラウンドに長く立っているのは、王さんのほうだろうな」と。予言どおりだった。

 

王監督、68歳。何百万人にひとりの、典型的な天才だと思う。しかし、王さんは、一度たりとも、自分を天才だとは、思わなかったにちがいない。むしろ、自分は天才ではないと信じ、自分が生き延びる道は、ほかの人よりいかに努力するかにあると、心に決めて、自分を鍛え上げてきたと思う。

 

町田行彦元コーチが明かした、王選手のノートは、それを物語っている。分厚い大学ノートには、びっしりとメモ書きがしてあった。そこには、たとえば、「バットは、傘を持つごとく楽に持つ」という書き込みがあった。どういうことでも心に留める王さんの気迫と細やかさを感じた。

 

王語録のなかに、「この一球は、二度とない」というのがある。これは、野球だけでなく、人生一般にも通じる。人生は、カメラマンにおけるシャッターチャンスのようなもの。一度しかないチャンスを逃してはならないのだ。

 

ことばというもののすごさは、それが人を動かすところにある。王監督の、この一球は、二度とない」によって、開眼したのが、ソフトバンクの松田宣治選手。試合のあと、全打席を研究し、次回に活かしていた姿にうたれた。

 

王監督はいう、「人間はミスをするものだが、プロはミスをしてはいけない。だから、プロは人間であってはいけない」と。きびしい人だ。第一回ワールドベースボールクラシックの優勝に貢献したイチローが、王監督を、「ことばだけではない、存在感がありました」と評していたのが、印象に残った。

 

〔フォトタイム〕

 

竹芝桟橋その7

夕暮れ時の客船。なかなか風情がありました。

 

 

モンゴル出身の新大関、日馬富士(はるまふじ、24歳)のさわやかさと比べて、ロシア出身の元幕内力士、若ノ鵬(20歳)には、どこか暗さがあった。ずっと、自分がウソをついていたことを悩んでいたのであろう。

 

本人の証言によれば、取材の仲介者から現金約250万円を受け取っていたという。このまま黙っているのに耐えきれず、「八百長をしたことはない。だまされて証言した」とする内容の陳述書を提出し、とんでもない事実があかるみにでた。

 

いちばん驚いたのは、週刊現代編集部であろう。「若ノ鵬本人に確認したが、『(八百長を否定する)陳述はしていない』と否定した。事実関係を繰り返し精査したうえで、記事化している」と、編集部では反論している(産経新聞28日付)。

 

しかし、元若ノ鵬は、きのう、司法記者クラブで、あらためて八百長の事実を否定した。週刊現代は、どう対処するのか。次号を注目したい。

 

元若ノ鵬はなぜ、ウソをついたのか。そして、なぜ、公判の段階で、ウソだったことを告白したのか。本筋は、ここにあるが、それはいずれ、もっとはっきりしてくるだろう。

 

この事件で後遺症として残ったのは、元若ノ鵬の八百長発言を前提に、大量に流れ出た八百長報道の影響である。多くの子どもたちは、大相撲に対して、すっきりしないイメージをもってしまったと思われる。

 

元若ノ鵬のいい加減な言動には、実名をあげられた力士や、相撲協会だけではなく、日本中が大迷惑をこうむったのである。その迷惑度たるや、たいへんなものだ。

 

とんでもないウソをついた元若ノ鵬を、そうかんたんに許すことはできない。ただ、よくぞ白状してくれたという思いはある。このまま口をつぐんでいてもよかったのだ。彼なりの計算があったのだろうが、へんな言い方になるけれど、ほんとにウソであって、よかった。もう二度とあっては、ならないけれど。

 

〔フォトタイム〕

 

竹芝桟橋その6

竹芝には、小型船の発着場もあります。左の建物は待合室です。

 

 

インド西部のムンバイで同時テロが起きたというニュースに、年配の方のなかには、「ムンバイって、インドのどこだ?」と、一瞬、戸惑った人もいるはずだ。インド最大の商業都市といわれるムンバイだが、昔のボンベイという名前のほうが、なつかしい。ちなみにムンバイというのは、土地の人々が信仰した女神の化身にちなむとか。

 

人名同様、都市の名前も、できれば、そのままのほうがよい。ベトナムのホーチミン市も、ようやく馴染んできたが、それでもなおサイゴンという名前も忘れがたい。

 

ベトナムへ行ったとき、ガイドの男性は、ホーチミン市の出身で、首都ハノイと比較して、いかに自分の故郷が発展しているかを自慢し、しきりにサイゴン時代をなつかしがっていた。名前を変えられた悔しさがありありだった。

 

ハノイの人々にすれば、命をかけて戦いに勝ったのに、サイゴンが昔のままの名前で繁栄しつづけているのでは、耐えがたいにちがいない。

 

ボンベイも、似たようなものかもしれない。ボンベイは、イギリスがインドを統治してから定着した名前である。

 

たとえ話でいえば、ムンバイという町に、ある日突然、イギリス人がやってきて、「町の名前を変える。これからは、ボンベイだ」と、強制的に名前を変えたようなもの。この通りのことがあったわけではないが、ヨソ者の感傷的な思いなど恥ずかしくなるほどの、冷徹な興亡史が、その背景にはある。

 

はじめてインドに行ったとき、意外に思ったのは、イスラム教の隆盛だった。インドはヒンズー教という先入観があったので、あちこちで見かけるイスラム寺院、イスラム教徒の多さに驚いた。

 

ヒンズー教徒とイスラム教徒は、一見、うまく共存しているようにみえるが、なにもなかったはずがない。いまも宗教的な対立は否定できないし、インド社会では、まだまだイスラム教徒は、ヒンズー教徒ほどには恵まれてはいない。

 

そして今回、ムンバイは、どこの、どういう組織とも知れぬ過激派グループに蹂躙された。2年前には、連続列車爆破テロで約200人が死んでいる。ムンバイには、日本の企業が100社も拠点を構えている。決して、遠い国の出来事ではないのだ。ムンバイの悲劇は、もうこれっきりにしてほしい。

 

〔フォトタイム〕

 

竹芝桟橋その5

竹芝客船ターミナルまで、JR浜松町駅から歩いて7、8分ほど。新交通ゆりかもめ竹芝駅ならすぐです。

 

 

 

日馬富士(はるまふじ)とは、意表をつく、しこ名である。「日」という字が「はる」とも読めるとは、知らなかった。歌舞伎であれ、落語であれ、改名や襲名によって、器(うつわ)が大きくなるのは、よく知られたこと。横綱を目指して、日馬富士の一層の活躍を期待したい。

 

安馬(あま)も、わるくはなかったと思う。最初、「あんま」と読むのかと思ったが、一度、覚えたら、忘れられない名前だ。意外に、といっては申し訳ないが、とにかく、軽量級にしては、抜群に強いので、だんだんと安馬という、しこ名に馴染んでいった。

 

師匠の伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)が、まだ安治川親方と名乗っていた頃に、入門したので、安治川の「安」と、出身のモンゴルの草原を疾走する「馬」を組み合わせて、「安馬」としたようだ。名前というのは、本人の努力によって、いくらでも大きくできるものなのだ。

 

いま24歳の新大関は、2001年の初場所が初土俵。当時は、身長180㌢、体重86㌔で、あだ名は「かまきり」だった。相撲の世界では、体重86㌔というのは、軽いほうだが、それでも、15歳で来日した白鵬少年のときの体重よりは、重い。

 

入門時の白鵬少年は65㌔しかなく、当初は、引き取り手がなかった。当時の宮城野親方、現在の熊ケ谷親方(元幕内竹葉山)に見いだされなかったら、今日の横綱白鵬はいなかったかもしれない。

 

現在、白鵬の体重は154㌔、ご承知のような、堂々たる体躯であるが、日馬富士は、いまだに129キロ。なかなか体重がふえない。体質なのだろうが、白鵬のように、チャンコをたくさんたべることができなかったのだ。

 

軽量というハンデを猛稽古でおぎなってきた日馬富士、重量級の力士を正攻法で攻めまくる姿に、ファンはしびれる。それに白鵬同様、真面目で温和な性格であるのもよい。

 

〔フォトタイム〕

 

竹芝桟橋その4

竹芝ふ頭は、昭和91934)年、日の出ふ頭、芝浦ふ頭についで、3番目に完成しました。

 

 

 

韓国と北朝鮮を結ぶ京義(キョンウィ)線が、12月1日から運行停止になるかもしれないという。とんでもない話であり、かつ、もったいない話である。

 

なぜ、そんなことをするかといえば、北の将軍様が、南から飛んできた民間団体のビラにキレたからにほかならない。そのビラには、将軍様の病状が書かれてあった。

 

京義線は、2000年9月に起工、工事が始まり、2007年5月に開通、列車の試運転がおこなわれた。その沿線にある北朝鮮の開城(ケソン)に、工業団地が建設されたことは周知のとおりである。

 

北朝鮮に鉄道などをつくる資金はない。工業団地の造成もふくめて、韓国の投資額は、一体、いくらになるのであろうか。億ではなく、兆の単位になるのは、まちがいあるまい。もし、南北がまた遮断という事態になれば、巨額の投資は、まったく活かされないわけで、こんなばかげた話は、そうあるものではない

 

一方的に、京義線はストップするぞ、開城工業団地は閉鎖するぞ、と、将軍様から脅されている、南には同情せざるを得ない。

 

いや、もっと気の毒なのは、せっかく職を得た北朝鮮の住民たちである。先日、どこのテレビ局であったか、開城工業団地で働く従業員の姿を放映していた。みな、真剣な面持ちで、いかにも真面目そうな人たちであった。かれらには、家族があり、日々の生活があるのだ。

 

土壇場で、将軍様の気持ちが変わる可能性もある。そうあってほしいと思うが、そうではなく、だんだん妄想が昂じてきているのなら、これは大変だ。

 

〔フォトタイム〕

 

竹芝桟橋その3

竹芝ふ頭公園の入り口に、モヤイ像があります。伊豆諸島新島村の石像で、イースター島のモアイ像をモデルにしています。渋谷駅にもあります。

 

 

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