2008年04月

柔道の井上康生選手(29)の笑顔がいい。半面、ときには修道僧のような表情をみせることもある。勝負師の顔というより、なにか内面的な深さといったものを感じさせる。一芸に秀(ひい)でた人は、やはり心も磨かれていくようだ。これからは、指導者の道を歩むのであろうが、柔道の技だけではなく、人生哲学におよぶ幅広い教育者になると思う。そもそも近代の柔道は、人間教育を目指していた。

 

井上選手がシドニー五輪で金メダルを獲得したとき、表彰台に母親の遺影をもってあがった。こういうストレートな肉親への感謝の表現は、だれもができることではない。井上家の、家族の絆の深さを象徴するシーンであった。しかし、ほのぼのムードのファミリーではない。井上選手と、父親の明さん(61)は、親子である前に、きびしい師弟の関係にあった。

 

家庭環境も変わった。母親を失くしたあと、こんどは父親が脳梗塞で倒れた。長引く低迷。その後、まだ左半身にマヒが残る明さんにコーチを頼んで、再起を決意。親子は、寝食をともにして北京を目指した。

 

井上選手の兄2人も有望な柔道選手であった。しかし長兄は32歳の若さで急逝。次兄とは、直接対決を3度も経験した。井上選手は、家族愛を全身で受け止めながらも、さまざまな試練に耐えてきた。

 

4月29日、全日本選手権がおこなわれた東京・日本武道館。テレビをみていたら、応援席にことし1月に結婚した亜希夫人(25)の姿が映った。一喜一憂する亜希夫人。その前で、井上選手は押さえ込まれてしまったが、もう十分に戦ってきたのだから悔いはあるまい、と思った。

 

〔フォトタイム〕

 

根津神社その3

宝永3(1706)年、5代将軍綱吉による大造営が完成しました。本殿、幣殿、唐門、西門、透塀、楼門で、すべて現存しています。いずれも重要文化財に指定されています。

 

休日。雑然とした本棚を整理したい。あたりには、古い雑誌が積まれている。まず、これを処分しなければならない。捨てないで取ってあるのは、なにか興味のある記事が載っているはずだ。とはいえ、ふたたび手にすることもなく、こうして積まれている。

 

思い切って、そっくりそのまま古紙回収へ廻したいが、もったいというか、一体、なにに関心をもって保存していたのかと、雑誌をぱらぱらとひらいて、まず目次をみる。目次をみてしまったら、もうダメだ。昔、関心をもった記事は忘れても、どの雑誌にも、興味をひく記事が、最低1本はあるので、読み始めてしまう。ここで、後片付けは、ストップし、先へ進まない。いつもながらのパターンになってしまった。

 

AERA」平成13(2001)年10月29日号に、<小泉内閣を仕切る地味男――大化け福田長官の腕力>という記事があった。なるほど、福田康夫官房長官は、その後、内閣総理大臣になったのだから、<大化け>というネーミングには、先見の明があった。

 

福田首相は、丸善石油(現在はコスモ石油)で17年間のサラリーマン生活をおくった。主に原油製品の買い付けなどを担当していたという。「AERA」で同期入社のひとりが、こう語っていた。

 

「バリバリの営業マンではなく、まあ企画部長的なタイプだった。だから、秘書として政界に入るとき、海千山千、権謀術数のイメージの強い世界に馴染めるはずがない、と同期みんなで心配した」

 

企画部長的なタイプとは、どういうタイプかと問われると、返答のしようもないのだが、この人がいいたいのは、なんとなくわかる。むろん、企画部長的なタイプといっても、業界によって、あるいは人によって、千差万別である。それは承知のうえでいうのだが、同期仲間の心配は、官房長官まではともかく、総理大臣になって当たってしまったように思う。どこが、どう当たってしまったのかと、聞かれても、いますぐには、的確な論評はできないけれど、人間観察のひとつのテーマとして、<企画部長的なタイプが宰相になるとき>といったものを、いずれ研究してみたい気もする。

 

〔フォトタイム〕

 

根津神社その2

根津神社といえば、ツツジ。7000坪のつつじヶ岡には、数10種3000株が咲き乱れます。

けさ、新聞のテレビ欄をみたら、夜のNHKスペシャルは、「薬師寺の仏さま」だという。これは、是非ともみたいのだが、あいにく夕方からの会合がある。こういうときは、録画予約ができるので、助かる。

 

奈良の薬師寺へ行ってみたい、とずっと思っていた。高校の修学旅行で訪れたときの記憶は、かなり薄れているが、それでも聖観音菩薩立像などは、忘れていない。

 

それが、念願かなって薬師寺の仏さまにお会いしてきた。とはいっても、奈良まで足を運んだわけではない。ありがたくも、むこうのほうから東京の上野に来てくださったのである(国宝薬師寺展、東京国立博物館、6月8日まで)。今晩、NHKスペシャルで詳しく紹介されるであろう、日光菩薩や月光菩薩は、7世紀末から8世紀にかけての制作と伝えられているが、薬師寺の外へ出るのは、これがはじめて。

 

高さ3㍍を超える日光菩薩と月光菩薩。薬師寺の金堂に安置されている。いずれも豊満な体つきで、腰をちょっとひねって、どこか艶かしい。銅製鋳造(ちゅうぞう)である。これだけの大きさにもかかわらず、一度に鋳造したというのは、驚きだ。

 

今回、うれしかったのは、聖観音菩薩はもちろん、日光菩薩や月光菩薩も光背(こうはい)が取りはずされて、そのうしろ姿を拝見できたことだ。こういう機会は、めったにない。薬師寺の仏さまは、どれもすばらしいが、そのうしろ姿にも感動した。うしろだから、適当に、という、手抜きは一切ない。当時の仏師(ぶっし)の卓抜した技能には、目を見張るばかりである。

 

〔フォトタイム〕

 

根津神社その1

宝永2(1705)年、跡継ぎのいなかった5代将軍綱吉は、兄綱重の子、綱豊を養嗣子に定めました。綱豊は、のちの6代将軍家宣です。これを記念して綱吉は、根津神社の大造営をおこないました。根津神社の所在地は、文京区根津1―28―9で、東京メトロ千代田線の根津駅、あるいは千駄木駅から歩いて5分。南北線の東大前駅からもやはり5分です。写真は、つつじヶ岡からみた楼門です。

共同電によれば、米大リーグのマリナーズは、4月25日、城島健司捕手(31)と来季からの3年間の契約延長で合意したという。3年間の年俸総額は、2400万ドル(約25億円)とか(AP通信)。1年目は、147安打を放った。これは、ア・リーグ新人捕手の最多記録である。また、2年目の昨年は、正捕手としては、両リーグ1位の盗塁防止率をマークしたという(日本経済新聞4月26日付夕刊)。マリナーズが、城島を高く評価するのも当然である。

 

城島は、シアトルで記者会見した際、「いまの気持ちは?」ときかれて、「2年前にここで会見したときは、非常に不安だった。最初は、言いたいことが伝わらなくて落としたゲームもあった」と答えたという((朝日新聞4月26日付夕刊)。

 

シアトルにやってきた城島の不安は、イチローという先輩がいたにしても、想像を超えるものがあったと思う。いうまでもなく、ことばの壁である。外野手のイチローにはないハンデだ。城島は、大リーグに挑戦した最初の日本人捕手。日本人選手の大リーグ入りは、投手からはじまって外野手、そして内野手とつづいたが、ずっと捕手はいなかった。捕手は、投手とのコミュニケーションが、とても大切で、日本人キャッチャーの大リーグ入りはムリではないか、ともいわれていた。

 

大リーグには、英語を話せない投手もいるから、スペイン語もすこしはかじっておかなければならない。日本にやってくる外国人選手は、通訳つきの待遇だが、アメリカではそういう特別扱いはない。渡米前、城島は、米球界に精通し、日本語を話せない語学教師を選んで、特訓を重ねていた。

 

日本と米球界では、配球術というのが、ずいぶんちがうという。むこうでは、投手のほうに決定権があって、捕手のサインに応じないときもある。あれやこれやで、城島の悩み、悔しさ、不安は大きかったにちがいない。それをひとつひとつ克服し、正捕手としてのつとめを立派に果たしたうえで、打線でも活躍する城島の凄さに、あらためて感服している。

 

〔フォトタイム〕

 

日比谷・内幸町ホール周辺その7

ここにこじんまりしたホールがあることなど、ほとんどの人たちは知らずに通り過ぎていきます。

<セコム、中国の営業拠点倍増>という見出しで、たった6行のベタ記事が、けさの日本経済新聞に載っていた。短いので、全文を引用しておこう。

<セコムは、2009年度末までに、中国の営業拠点を現在の約2倍の40か所に増やす。重慶など都市化が進む内陸部にも営業網を広げ、企業や家庭の警備需要を取り込む。07年度に60億円だった中国事業の売上高を09年度に100億円に引き上げることを目指す>

 

大手警備会社の海外の営業拡大方針を伝える、ごくふつうの記事である。とくに、注目すべき内容でもないが、内陸部というのがひっかかった。沿岸部のことなら、目にともとまらなかったはず。

上海の高級マンションが目に浮ぶ。泊まったホテルのそばにあるマンションは、高い塀で囲われ、門には警備員2人がマンションの出入りをチェックしていた。なぜか唐突に万里の長城を思い出し、漢民族の防御姿勢というのは、囲うことなのかと、見当はずれのことを考えたりした。欧州にも城壁があるのだから、なにも中国固有の流儀というわけではない。

 

人間が、まずお金をかけるのは、食うことであり、ついで着るものであり、寝るところだ。それからどんどん消費の範囲は広がって、自分の安全をプロに依頼するというのは、後半もさいごのほうに属する。したがって、個人がセコムと契約すること自体が、ひとつのスティータスといってよい。とすれば、中国では、いまや内陸部の人々でも、セコムに安全を依頼するほどに余裕ができてきた、ということか。

 

どうも、中国の地域格差を意識しすぎているのかもしれない。昨年、<中国雲南省の富豪が米国製の小型ジェット機を税込みで約4400万元(約6億5000万円)で購入>したという記事が出ていた(朝日新聞平成19年11月29日付朝刊)。このときも、自家用ジェット機よりも、雲南省のほうに目を奪われたが、いつもながらの尺度で、そういう地域性からものごとをみる時代ではなくなったようだ。

 

〔フォトタイム〕

 

日比谷・内幸町ホール周辺その6

こんな、洒落た居酒屋もあります。

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