2008年01月

中国製の冷凍ギョーザをたべた人たちが、意識を失い、病院に運ばれた。幸い、命に別状はなかったが、危なかった。単なる食中毒と、軽視できないのは、つぎつぎと農薬成分が検出されていることだ。しかも、昨年12月28日に、同じ冷凍ギョーザをたべた千葉市の母子も嘔吐、下痢症状を起こしていたという。それなのに、この冷凍ギョーザはひと月も、放置されていたのである。そんなことは、つゆ知らずに、多くの人たちが冷凍ギョーザを口にしていた。ほんとうに怖い話である。

 

けさ、町村信孝官房長官をはじめ、厚生労働相、農林水産相、食品担当、国民生活担当の関係閣僚が対策会議をひらいたが、ここでも、この1か月間の放置が問題になった。もし、この間に中国産ギョーザ中毒で犠牲者が出ていたら、と思うと、背筋が寒くなってくる。それでなくとも暗い話の多い当節である。福田内閣の支持率は、一桁に下落していたかもしれない。スーパーなどでは、「絶対にお食べにならないようにお願いします」と、告知の看板を出したところもあった。

 

昨晩のNHK「ニュースウオッチ9」で、中国産ギョーザ中毒事件を報じる女性キャスターも、さいごに「絶対、たべないで下さい」と、注意を呼びかけていた。活字ジャーナリズムであれ、電波ジャーナリズムであれ、「絶対」ということばは、よほどのことがないかぎり使わない。この世の中には、「絶対」ということは、そうそうないことから、送り手は、その乱用を慎んでいる。しかし、女性キャスターは、「絶対」を2回も使って、視聴者に中国産ギョーザの怖さを伝えていた。言い換えれば、このことばは、事件の重大性を人々に教えているのだ。

 

昨年、中国の食の安全が問題になったとき、どこのテレビであったか、中国の産地の困惑を現地リポートで伝えていた。ほんの一部の不心得者の所業や、国のチェックシステムの不備が、中国の全生産者に深刻な打撃を与えているのだ。今回の事件で、ふたたび生産者らが、多大の被害をこうむるにちがいない。それは、日本国内のファミリーレストランや中華料理店にまで波及する可能性もある。今回の中国産ギョーザ中毒事件は、どういう経緯で起きたのか。その真相を明らかにすることは、消費者のためだけでなく、生産者らの利益につながることを胆に命じて、中国政府の徹底的な解明を期待したい。むろん、日本政府、および輸入元企業らの責任はいうまでもない。日本の消費者は、輸入元を信頼して購入することが多いのだがら、“絶対に”管理体制に手抜かりのないようにお願いしたい。

 

〔フォトタイム〕

 

万世橋その4

万世橋は、めがね橋という愛称をもっていました。神田川に映るアーチ橋が、めがねのようにみえたので、そう呼ばれたようです。



アメリカの大統領選で、もうひとつ、面白い対決が誕生した。ヒラリー・クリントンの支持を表明したニューヨーク・タイムズ(電子版)と、バラク・オバマ支持のケネディ家の戦いだ。ニューヨーク・タイムズといい、ケネディ家といい、アメリカのエスタブリッシュメントの象徴的な存在。日本のメディアも、いつも不偏不党であるわけではないが、ニューヨーク・タイムズのように、はっきりと支持表明することは、まずない。どちらも、これまでの威光、栄光、メンツをかけた負けられない一戦となった。

 

大阪府知事選では、自民党は徹底的に、身を隠した。まるで忍者部隊のようであった。ニューヨーク・タイムズや、ケネディ家のような派手な応援パフォーマンスをほんとうは展開したかったのだが、じっとガマンの子を通した。民主党は、アメリカ並みに堂々と正攻法の選挙戦をおこなった。党首みずから、国会をサボってまで、大阪に乗り込んだが、裏目に出てしまった。民主党は、橋下徹氏を単なるタレント候補とみていたようだ。しかし、これは見当ちがいで、大阪府の有権者の多くは、ちゃんとみているところは、みていたのである。

 

選挙応援というのは、なにも街頭で候補者と並んで演説することだけではない。候補者のマニフェストづくりに知恵を貸すなど、さまざまな方法がある。宮崎県の東国原英夫知事は、早稲田大学でみっちり行政を勉強し、早稲田ラインのブレーンの支援をうけていた。橋下新知事も早稲田出身で、東国原知事とメル友だというから、そういうノウハウは聞いていたかもしれない。周知のように橋下さんの指南役は、作家の堺屋太一氏。堺屋氏は、大阪では抜群の著名人だから、選挙期間中、それを隠すことはなかったが、有名人であれば、だれでも大歓迎というわけではなかった。水面下では、橋下陣営の応援弁士は、ひとりひとり厳選されていたのである。

 

〔フォトタイム〕

 

万世橋その3

秋葉原は、いまや世界的な観光スポット。いきおい、万世橋も秋葉原方向が、活気づいています。

けさの産経新聞は、チャールズ英皇太子がことし夏に開催される北京五輪に出席する予定がないことがわかった、と、報じている。英王室は、ロンドンの木村正人特派員の取材に対し、その理由は明らかにしなかったが、チベット問題などが背景にあるようだ。1月28日付の英紙デーリー・テレグラフによれば、チャールズ皇太子は、中国チベット自治区における同国政府の人権弾圧を訴える団体からの質問状に対して、「北京五輪の開会式には出席しない」と、手紙で答えたという。チャールズ皇太子は、チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世と何度も面会するなど、チベット問題に強い関心を寄せてきた、と、木村特派員は伝えている。

 

この短い記事に引きつけられたのは、たまたま昨晩の会合でダライ・ラマ14世が話題になったこともあるが、テレビでみた、ひとつの情景が、ふいに浮んできたこともある。その情景というのは、もう昔の話になってしまったが、香港の返還式に出席したチャールズ皇太子のさみしそうな後ろ姿だった。英国が、手塩にかけて育て、大切にしてきた香港を中国へ返したのは、なにも武力で脅されたわけでもなく、両国の正当な手続きによるものだ。それはわかっているが、チャールズ皇太子と、そのあとにしたがって香港を去る総督の、あの複雑な表情から、英国の気持ちを察したように思えた。

 

あのとき、「香港をよろしく頼みますよ」と、チャールズ皇太子は、心のなかでつぶやいていたのではあるまいか。しかし、その後の香港は、かならずしも、チャールズ皇太子の期待に応えて発展していったとは思えない。チベット問題のほかに、香港問題などが、中国不信の根底にあるようにも思える。

 

これは蛇足だが、昨年、中国人ジャーナリストの莫邦富氏が、朝日新聞に、ロンドンに戻った英国の香港総督が、空港からタクシーで自宅に帰ったことを、驚嘆して書いていた。これだけ高位の中国の要人が、タクシーで帰宅することなど、ありえないというのだ。

 

〔フォトタイム〕

 

万世橋その2

最初は「萬世橋(よろずよばし」と命名されたのですが、いつの間にか、「万世橋(まんせいばし)」という読み方が定着したようです。橋のたもとの、「肉の万世」といえば、懐かしく思い出す人もいると思います。

 

今回は、なんとしても白鵬に優勝してもらいたかった。2場所の出場停止でろくに稽古もしていない朝青龍に、簡単に賜杯を手にされては示しがつかない、という気持ちは、相撲ファンの多くにあったと思う。もっとも、その朝青龍こそ、本場所の陰の立役者で、白鵬に敗れたとはいえ、あの強さは、やはりほんものだ。白鵬と朝青龍の取り組みの際、NHKの視聴率は軽く30%を突破したというが、モンゴルはそれ以上にわいたはずだ。

 

あるパーティーで、白鵬と話したことがある。日本語が上手ですね、といったら、日本語は簡単ですよ、という返事だった。日本へ来て、なにがいちばん珍しかったですか、と尋ねたら、海です、と答えた。そうか、モンゴルは、海がないのか、と思ったものだ。

 

毎年春、東京・九段の靖国神社でひらかれる奉納大相撲を観戦しているが、年毎に、白鵬に風格が備わっていくのがわかる。その白鵬も、15歳で来日したとき、たった65キロしかなかったという。当初、引き取り手のなかった白鵬を預かって、ついに大横綱に育てた熊ケ谷親方、元竹葉山の指導法もよかったにちがいない。千秋楽、宮城野部屋で熊ケ谷親方から励まされたとき、その都度、はい、と答えていた白鵬の素直な態度をテレビで垣間見て、この師弟のさわやかな人間関係を感じた。

 

〔フォトタイム〕

 

万世橋その1

秋葉原の電気街の南端に、万世橋があります。下を流れるのは、神田川です。たまたま、通りかかったので、撮ってきました。

 

昨年1月12日、東京・日比谷の日本記者クラブで、杉並区立和田中学校の藤原和博校長の講演があった。「わたしは、さだまさしさんと、よく間違われまして」と、笑いを誘ったあと、熱弁1時間、なるほど、と感心させられる点が多かった。藤原さんは、平成15(2003)年にリクルートから転身した、いわゆる民間人校長。ことし3月末に退任するが、これまでに公開授業「よのなか」科を創設するなど、いくつかの学校改革を断行し、話題になった。講演で、地域のボランティアを組織化し、生徒の自主サポートをしたいと述べていたが、そのひとつ、進学塾講師による有料授業「夜スペシャル」が1月26日にスタートした。

 

「夜スペシャル」を“夜間塾”と表現している新聞もあったが、はっきりいって“進学塾”である。講師は、大手進学塾からの派遣で、授業のレベルも高い。月額1万8000円から2万4000円は、一般の私塾よりは安い。ただし、学校は、ノータッチで、ボランティアの学校支援組織「地域本部」が運営する。制約の多い公立校に立ちはだかるハードルを、保護者らのボランティアという踏み台でクリアしたところに民間出身の校長らしい発想がある。和田モデルが、全国へ広がるのが、藤原校長の夢であろうが、問題点もすくなくない。

 

学力向上は、本来、学校の最大の役目である。そういう努力をそぐことにはならないか。“進学塾”は、一定のレベルに達した生徒を対象としている。学力のない生徒には、無縁の存在。そこに差別が生じないか。街の進学塾は、少子化で、どこも生徒の奪い合い。そういう状況のなかで、公立校の“進学塾”開講は、塾の営業に寄与することにならないか。ほかにも、まだ問題がひそんでいるが、それでもなお、和田中の“進学塾”をひとつのモデルケースとして、暖かく見守りたいと思う。

 

向学心のある生徒の才能を伸ばすことは、本人の将来にとっても、また地域社会にとっても、そして広く日本にとっても、とても大切なことだ。学習の平等は、配慮されなければならない。しかしながら、戦後の教育は、いわゆる落ちこぼれへの配慮にウエートがかかり、おのずと成績上位者への配慮が欠けてしまった。これもまた不平等ではないか。英才教育を語ること自体が、格差社会への挑戦であるかのごとき風潮ができてしまった。

 

江戸時代の寺子屋は、もっと柔軟性があったし、各藩の俊才は、門閥にかかわらず、藩校などで学ぶ機会を与えられていた。そのなかの飛び切りのエリート、たとえば長岡藩の河井継之助らは、はるばる江戸のど真ん中、湯島聖堂の昌平坂学問所へ入学して、さらに研鑽(けんさん)につとめた。幕末になれば、ヨーロッパへ藩士を留学させる藩もあった。先に進める者は、どんどん先へ進んでもらう。やがて、このエリートたちのなかから、社会に貢献する人材が育ち、あとにつづく人々のためになる、という考え。教育の「先進論」方式とでもいおうか。そういう言い方をすると、鄧小平の「先富論」を思い出すが、地域の特性に合った方法を取り入れれば、鄧小平方式ほどには、極端なひずみは出ないはずだ。

 

〔フォトタイム〕

 

上野公園その7

上野の山には、1200本の桜があります。春が待ち遠しいですね。

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