あす発売の、『正論』11月号の連載コラムで、さかもと未明さん(漫画家・作家)が、「安倍さんの無念を思う」と題したエッセイを書いている。さかもとさんの文章には、安倍さんに期待してきた人々、とりわけ多くの女性が感じたにちがいない、驚き、喪失感、怒り、悲しみ、無念、願望などが語られているように思った。むろん、それは性別を超えた感情ではあるが、女性の視点からみごとに事象をとらえていくのが、未明流のすごさである。
さかもとさんは、安倍さんを、気力の充実した、政治家として、また男として、その使命をはっきり自覚したひとだと思っていた。だから、その辞任に、嵐の襲来を前に、家族を守ってくれるはずの父親が突然倒れたような喪失感に沈んでしまいそうだったという。なぜ、さいごまで戦おうとしないのだろう、なぜ同じ倒れるなら背中をみせるのではなく、前のめりに倒れないのだろう、と、怒りにも似た感情が込み上げてきたとも。
<志は立派なのだが、四角四面すぎてクラスをまとめられない優等生委員長よりも、他校の生徒に絡まれたときに、ガツンとやってくれる“ワル”の匂いのする劣等生のほうに、結局、女は好かれるものだ、などと譬(たと)えたら不謹慎にすぎるかもしれないが、安倍さんの辞任会見をみながら、わたしは、そんな思いを拭(ぬぐ)いきれなかった>
さかもとさんは、この文章をつぎのように結んでいる。
<安倍さんは、さぞや無念だったろうと思う。報じられているよりも深刻な体調の問題がおありになったのかもしれない。わたしは、その無念の思いを汲みたいのだ。だからこそ、辞め方に対し、「なぜ」の思いが募(つの)る。せっかく「強行採決17本」などと、サヨク・マスコミから危険なイメージで語られるのだから、「戦後レジーム」打破のために徹底した“ワル”を演じ通してほしかった>
これは、男女を問わず、安倍さんを支持した人たちの気持ちでもあったように思える。
<きょう・あす・あさっての見頃の草花>
10月1日、キンモクセイ香る(猿江・雑司が谷)、アベリア開花(宇喜田)。
10月2日、大安。カモ飛来(尾久の原)、ジュウガツザクラ開花(武蔵野)。
〔フォトタイム〕
増上寺その7
大殿ちかくにある、少年時代の法然上人像。法然は、浄土宗の宗祖ですね。