2007年07月

長谷川滋利著『素晴らしき日本野球』(新潮社)という本を読んだ。著者はプロ球界の元投手で、オリックスとシアトル・マリナーズで活躍した人。同書によって、ずいぶん日米では、ちがいのあることがわかった。メジャーでは、中継ぎ投手がけっこう恵まれているという話は意外であった。

 

長谷川氏によれば、ブルペンの年俸の相場は、1、2年、チームに貢献して契約を更改したセットアップ(中継ぎ)の投手だと、1億円から3億円の年俸を手にするという。そして、セットアップとして安定的な成績を残した6年目から10年目の選手だと、3億円から5億円ももらえるという。日本のプロ球界では、考えられない報酬だ。

 

もうひとつ、意外だったのは、メジャーの年金制度。同書によれば、メジャーリーグ選手会の年金制度がいまのまま維持されるという前提だが、メジャーで10年間プレイした選手は62歳から年間18万ドル(約2124万円)の年金を受取ることができるという。一部のスター選手はともかく、多くの選手は使え捨てにちかい状態ではないかと思っていたが、これだけ充実した年金制度があるのは思わなかった。ちなみに長谷川氏はメジャーで9年間プレイしたので18万ドルに0・9をかけた金額をもらえる予定だという。メジャーには、これだけの経済的なメリットがあるなら、日本人選手のメジャー志望はますます強まるにちがいない。

(しばらくコメントは休ませていただきます)

 

<きょう・あす・あさっての見頃の草花>

 

7月31日、大安。ハス見頃(小石川)。

8月1日、サルスベリ開花(陵南・府中の森・武蔵野中央)。

8月2日、アブラゼミ鳴く(舎人)。

 

〔フォトタイム〕

 

自民党本部周辺その2

自民党本部へむかう途中、うしろを振り向けば国会議事堂と参議院議員会館がみえます。



長谷川滋利著『素晴らしき日本野球』(新潮社)という本を読んだ。著者はプロ球界の元投手で、オリックスとシアトル・マリナーズで活躍した人。同書によって、ずいぶん日米では、ちがいのあることがわかった。メジャーでは、中継ぎ投手がけっこう恵まれているという話は意外であった。

 

長谷川氏によれば、ブルペンの年俸の相場は、1、2年、チームに貢献して契約を更改したセットアップ(中継ぎ)の投手だと、1億円から3億円の年俸を手にするという。そして、セットアップとして安定的な成績を残した6年目から10年目の選手だと、3億円から5億円ももらえるという。日本のプロ球界では、考えられない報酬だ。

 

もうひとつ、意外だったのは、メジャーの年金制度。同書によれば、メジャーリーグ選手会の年金制度がいまのまま維持されるという前提だが、メジャーで10年間プレイした選手は62歳から年間18万ドル(約2124万円)の年金を受取ることができるという。一部のスター選手はともかく、多くの選手は使え捨てにちかい状態ではないかと思っていたが、これだけ充実した年金制度があるのは思わなかった。ちなみに長谷川氏はメジャーで9年間プレイしたので18万ドルに0・9をかけた金額をもらえる予定だという。メジャーには、これだけの経済的なメリットがあるなら、日本人選手のメジャー志望はますます強まるにちがいない。

(しばらくコメントは休ませていただきます)

 

<きょう・あす・あさっての見頃の草花>

 

7月31日、大安。ハス見頃(小石川)。

8月1日、サルスベリ開花(陵南・府中の森・武蔵野中央)。

8月2日、アブラゼミ鳴く(舎人)。

 

〔フォトタイム〕

 

自民党本部周辺その2

自民党本部へむかう途中、うしろを振り向けば国会議事堂と参議院議員会館がみえます。



世の中には、2種類の人類が生息している。語学のうまい人と、うまくない人だ。ご多分に漏れず、後者に属しているわたしは、語学の達人を無条件で尊敬している。そして、心から羨んでいる。外務省には、なんと世界の41か国語に精通する専門家がいるという。すごいことではないか、とワケもなく感動してしまう。

 

41か国語とは、なんだろう。語学の非達人は、入り口からひっかかってしまう。英、フランス、ドイツ、スペイン、ロシア、中国、朝鮮、アラビア、ポルトガル、インドネシア、タイ、モンゴル、マレー、ペルシャ、ウルドゥー、ヒンディー、シンハラ、ミャンマー、ラオス、カンボジア、ベトナム、ベンガル、フィリピノ、イタリア、ギリシャ、スウェーデン、ノルウェー、デンマーク、ハンガリー、フィンランド、ルーマニア、ポーランド、ブルガリア、チェコ、スロバキア、オランダ、クロアチア、トルコ、ヘブライ、スワヒリの各語とか。

 

では、実際に、地球上には、何か国語が存在するのだろうか。おそらく、これは中国の正確な人口を言い当てるほどにむつかしいのではあるまいか。なぜなら、日本は日本語ひとつだが、アフリカなどへ行けば、民族ごとにことばもちがってくるからだ。外務省の国内広報課で発行した小冊子「チャレンジ41か国語」で、スワヒリ語についての説明があった。ちなみにスワヒリ語は、タンザニアの公用語だ。

 

<じつは、スワヒリ語を母語とする人はいません。タンザニアには120を超える民族がいて、それぞれ独自の言語をもっています。そして、すべてのタンザニア人は、コミュニケーションの手段としてスワヒリ語を使うのです。スワヒリ語は、いわば各民族をスワヒリ語でつなぐ架け橋みたいなものなのです>

 

これを読んで台湾を思い出した。台湾の少数民族は、いまなお日本語を共通の言語としている。はじめて台湾をおとずれたころは、そういう知識がなかったので、集落の人々が日本語を話すのを知って、びっくりした。そのあと、台北で万葉集を愛読している人に出会って、また驚いたのを覚えている。

(しばらくコメントは休ませていただきます)

 

<きょう・あす・あさっての見頃の草花>

 

7月30日、キツネノカミソリ見頃(赤塚・旧岩崎邸)。

7月31日、大安。ハス見頃(小石川)。

8月1日、サルスベリ開花(陵南・府中の森・武蔵野中央)。

 

〔フォトタイム〕

 

自民党本部周辺その1

参議院議員会館から平河町のほうへむかうと、右手に自由民主党の本部があります。



 

世の中には、2種類の人類が生息している。語学のうまい人と、うまくない人だ。ご多分に漏れず、後者に属しているわたしは、語学の達人を無条件で尊敬している。そして、心から羨んでいる。外務省には、なんと世界の41か国語に精通する専門家がいるという。すごいことではないか、とワケもなく感動してしまう。

 

41か国語とは、なんだろう。語学の非達人は、入り口からひっかかってしまう。英、フランス、ドイツ、スペイン、ロシア、中国、朝鮮、アラビア、ポルトガル、インドネシア、タイ、モンゴル、マレー、ペルシャ、ウルドゥー、ヒンディー、シンハラ、ミャンマー、ラオス、カンボジア、ベトナム、ベンガル、フィリピノ、イタリア、ギリシャ、スウェーデン、ノルウェー、デンマーク、ハンガリー、フィンランド、ルーマニア、ポーランド、ブルガリア、チェコ、スロバキア、オランダ、クロアチア、トルコ、ヘブライ、スワヒリの各語とか。

 

では、実際に、地球上には、何か国語が存在するのだろうか。おそらく、これは中国の正確な人口を言い当てるほどにむつかしいのではあるまいか。なぜなら、日本は日本語ひとつだが、アフリカなどへ行けば、民族ごとにことばもちがってくるからだ。外務省の国内広報課で発行した小冊子「チャレンジ41か国語」で、スワヒリ語についての説明があった。ちなみにスワヒリ語は、タンザニアの公用語だ。

 

<じつは、スワヒリ語を母語とする人はいません。タンザニアには120を超える民族がいて、それぞれ独自の言語をもっています。そして、すべてのタンザニア人は、コミュニケーションの手段としてスワヒリ語を使うのです。スワヒリ語は、いわば各民族をスワヒリ語でつなぐ架け橋みたいなものなのです>

 

これを読んで台湾を思い出した。台湾の少数民族は、いまなお日本語を共通の言語としている。はじめて台湾をおとずれたころは、そういう知識がなかったので、集落の人々が日本語を話すのを知って、びっくりした。そのあと、台北で万葉集を愛読している人に出会って、また驚いたのを覚えている。

(しばらくコメントは休ませていただきます)

 

<きょう・あす・あさっての見頃の草花>

 

7月30日、キツネノカミソリ見頃(赤塚・旧岩崎邸)。

7月31日、大安。ハス見頃(小石川)。

8月1日、サルスベリ開花(陵南・府中の森・武蔵野中央)。

 

〔フォトタイム〕

 

自民党本部周辺その1

参議院議員会館から平河町のほうへむかうと、右手に自由民主党の本部があります。



 

毛沢東のようなワンマンの下でナンバー2をつとめるのは、30㍍上空で綱渡りをするほどにたいへんなことだ。話題を呼んだ高文謙著、上村幸治訳『周恩来秘録』上下2巻(文藝春秋)には、党機密文書をもとにした生々しい2人の関係がつぶさに描かれている。2人の関係は最初からさいごまで、じつに微妙であった。

 

2人の関係を皇帝と宰相にたとえる向きもあるが、毛沢東のほうが周恩来を必要としたのはたしかである。なぜなら、周の意思がどうあれ、毛が周を必要としなければ、2人の関係はそれでお終(しま)いとなるからだ。高文謙氏が、長征のころの両雄について、こう書いている。

 

<毛は、周を自分の軍内での指導的地位に挑戦しうる相手と見て終始警戒心を緩めず、常に攻撃した。しかし同時に、革命の大業を成し遂げるのに必要かつ依存せざるを得ない人物と見ていた。毛は死ぬまで周に対するこの矛盾した心理的葛藤から抜け出すことはなかった>

 

1976年1月8日、周恩来は死んだが、その6日前、毛沢東をたたえる歌「東方紅」の一節を口ずさんでいたという。しかし毛は、周の死に冷淡であった。死んだあとに爆竹を鳴らさせたし、葬儀にも出なかった。毛は、大衆に慕われていた周にジェラシーを感じていた。それでも毛は周を必要としたのは、ひとつに、毛は周のインテリジェンスに頼っていた、ということがいえよう。

 

周恩来は、中国共産党の初期のころから、インテリジェンスの中心人物であった。機関の責任者でもあったし、個人的にも情報通だった。人間には、なかなか情報が寄りつかないタイプもあるが、周のような人柄には、情報が集まりやすい。おそらく周は、口の堅い人物であったはずだ。口の堅いところには、相談ごとがたくさんもちこまれるし、情報も流れこむ。上海に周公館というのがあって、一般に公開されている。1946年ごろ、周はここにアジトを構えてインテリジェンス活動を展開していた。ツタがからんだ、なかなかしゃれた建物であった。当時、国民党は、近くの家から周の行動を監視していたという。

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<きょう・あす・あさっての見頃の草花>

 

7月29日、キツネノカミソリ開花(小宮)。

7月30日、キツネノカミソリ見頃(赤塚・旧岩崎邸)。

7月31日、大安。ハス見頃(小石川)。

 

〔フォトタイム〕

 

東京芸術大学大学美術館と金刀比羅宮展その7

平成11(1999)年、新館が完成し、そこにはミュージアムショップとか、カフェテリアが設けられました。下段は奥書院の「上段の間」の「花丸図」で、伊藤若冲(いとう・じゃくちゅう)の作です。明和元(1764)年の制作。最近は、若冲の人気が高まっているようです。



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