2007年05月

けさの産経新聞の3面に、建築家の黒川紀章氏(73)が設立した政治団体「共生新党」は、黒川氏の妻、女優の若尾文子さん(73)を夏の参院選比例代表に擁立すると発表した、という記事が載っていた。えっ、ホントですか? 若尾さんは、「私が出ることによって、共生新党の政策により関心が高まれば幸いです」というコメントを発表したというからマジメな話なのだろう。

 

その記事をみて、新聞のページをめくると、5面に週刊新潮6月7日号の広告があって、なんと、その左端の「『若尾文子さん』に家から追い出されちゃった『黒川紀章サン』」というタイトルが目に飛び込んできた。えっ、ホントですか? それにしても、最初にみた記事とは、そぐわない見出しに、ちょっとめんくらった。

 

テレビがスポーツ紙の記事を伝えている。「わたしも、扇千景さんみたいに、議長するの?」と、若尾さんがいったとか。どこまで、本気か知らないけれど、また参院選の話題ができた。

 

40年近く前、黒川氏がまだ34歳で、建築界の麒麟児といわれていたころ、東京のホテルで会ったことがある。「ぼくは、分単位で生活しています」と黒川氏はいった。「毎日、2、3時間しか眠っていない」という黒川氏は、ホテルに寝泊りしていた。家にはあまり帰っていないようで、「建築家は、本当は家庭をもってはいけないんです」とポツンと語ったのを覚えている。

 

黒川氏も、若尾さんもバツイチ同士の再婚。黒川氏を若尾さんが信じきって、おっとりと従っているようでもあるし、母親のような気持ちで力になってあげようとしているようでもある。本当の夫婦仲はわからないけれど、いずれ熟年離婚するような危うい間柄ではないのは、たしかなようだ。

 

<きょう・あす・あさっての見頃の草花>

 

5月31日、オニノヤガラ開花(小宮)。

6月1日、ドクダミ開花・シジュウカラ営巣中(東綾瀬)、アカンサス開花(日比谷・旧岩崎邸)。

6月2日、ハナショウブ見頃(水元・旧古河・清澄)、カルガモ雛泳ぎ始め(武蔵国分寺。

 

〔フォトタイム〕

 

豊川稲荷東京別院その4

写真左手は赤坂豊川稲荷会館で、その先に子宝観世音菩薩像があります。



 

新井将敬氏と、松岡利勝氏のことを思った。衆議院議員だった新井氏は、平成10(1998)年2月19日、東京都品川区内のホテルで首つり自殺した。「死ぬべき理由」をあきらかにしなかった点は、この5月28日に自殺した松岡氏と同じであった。知名度では、はるかに新井氏のほうが上であったが、いうまでもなく政界への影響度という点では現職大臣の自殺のほうが大きい。

 

大蔵官僚出身の新井氏、農林官僚出身の松岡氏ともに本流の道を歩んだわけではない。新日鉄をへて大蔵省に入った新井氏は、在籍10年のうち、本省勤務は4年間にすぎなかった。松岡氏は、官僚といっても技官。出世したところで最高のポストは、林野庁長官である。世間ではエリートと目されながら、内輪では傍流。おそらくふたりの胸中には、一流のなかの三流意識が、屈折した形で巣くっていたのではあるまいか。

 

屈折した感情というのは、しばしば強烈な自意識となって、思考や行動にあらわれる。負けてたまるか、という気迫は、いい方向へむかっているときはともかく、そうでないときは、落とし穴にはまりやすい。一流のなかの三流的な政治家の多くは、資金集めでムリをしやすい。

 

一流のなかの一流人士は、自分で駆けずり回らなくとも、自然にカネは集まってくる。それが、本流を歩む人間に風格と品格を与えるのだ。

 

新井氏は、カッコよく自民党を飛び出し、無所属で総選挙を戦った。しかし、政党助成金すらアテにできない境遇では、資金繰りはたいへんだったはずだ。新井氏は、株式売買で資金づくりをしていたが、結果としてそれが挫折の原因となった。松岡氏もまた、資金づくりに相当ムリをしていたはずで、それは新聞でたびたび報道されてきた。

 

このように新井氏と松岡氏には、共通点が多い。もちろん、ちがうところも少なくない。そのなかで、ひとつだけ挙げてみれば、生前の新井氏は、「死」ということばを好み、多用していた政治家だが、松岡氏にはそれがまったく感じられなかった。松岡氏は、自殺する直前まで、多くの人に会っているが、死のそぶりをすこしもみせていない。

 

新井氏は、スタンダールの墓碑銘「生きて、愛して、死す」を好んでいた。そして、儒教の「招魂再生」に強い関心をいだいていた。ふたたび、この世によみがえる、という考えである。松岡氏は、どういう死生観をもっていたのだろう。しばらく関係者の証言に耳をすませてみようと思う。

 

<きょう・あす・あさっての見頃の草花>

 

5月30日、大安。アジサイ開花(東綾瀬)、ハナショウブ開花(小石川)。

5月31日、オニノヤガラ開花(小宮)。

6月1日、ドクダミ開花・シジュウカラ営巣中(東綾瀬)、アカンサス開花(日比谷・旧岩崎邸)。

 

〔フォトタイム〕

 

豊川稲荷東京別院その3

写真を撮ったのは、5月22日の昼。この日は5月大祭で、本殿前で、保存会の人たちが「かっぽれ」などを奉納していました。



 

危機管理というのは、国家とか機関といった組織だけの問題ではない。個人それぞれにとっても、危機管理というのは、身近な問題である。松岡利勝農水相(62)は、わが身を襲った危機に直面して、自殺という手段を選んだ。故人に鞭打つのは、忍びないけれど、なぜ最悪の選択をしたのか。松岡農水相の身の処し方が、悔やまれてならない。

 

ここ数日の動きをみるかぎり、松岡農水相の自殺は、発作的なものとは思えない。覚悟のうえでの行動であったと思う。自分は、これからどうすればよいのか。どうすべきなのか。そのことを、十分に考える時間があった。そのとき、政治家であり、国務大臣である松岡氏は、まず国家を考えるべきであった。そのつぎに、国家の運営をになう安倍政権を考えるべきであった。自分を国政に送ってくれている有権者と国民を考えるべきであった。そして、家族を考えるべきであった。

 

それが念頭にあれば、松岡氏は、自殺が迷惑こそかけても、なんの意味もないのを悟ったはずだ。未練を断ち切るほどの、思い切った気持ちになれたのだから、もっと有効な身の処し方があったことに、どうして気づかなかったのか。

 

世間をさわがせたことを詫びて、いさぎよく国会議員を辞職し、選挙区をまわって、自分の身の潔白を説明して歩くのも、身の処し方のひとつであった。そうすれば、自分を大臣に抜擢した安倍晋三首相への恩返しにもなったのだ。安倍さんをいちはやく支持した、機をみるに敏であったはずの松岡氏だが、どうして先を読めなかったのか。そこに、運命の非情さを感じた。

                                   

<きょう・あす・あさっての見頃の草花>

 

5月29日、コオホネ・アサザ開花(水元)。

5月30日、大安。アジサイ開花(東綾瀬)、ハナショウブ開花(小石川)。

5月31日、オニノヤガラ開花(小宮)。

 

〔フォトタイム〕

 

豊川稲荷東京別院その2

本山は、三州本山豊川稲荷本殿といい、愛知県豊川市にあります。足利時代に創建された曹洞宗の名刹。東京別院のほうは、もともとは赤坂一ツ木の大岡越前守忠相の屋敷にありました。明治20(1887)年にいまのところに移転しました。写真は、別院本殿です。



 

けさの産経新聞は、医療機器の内視鏡が日進月歩の技術革新をみせていることを伝えている。ひと昔前は、胃カメラの検査といえば、清水の舞台から飛び降りるほどの緊張感を強いられたが、最近は格段に負担が軽くなったという。検査の痛みをやわらげるため、鼻から挿入する経鼻内視鏡は、鼻のかんたんな麻酔だけでOKとか。

 

オリンパスでは、患者が飲み込んで使用するカメラ内臓のカプセル型内視鏡を開発したそうだ。長さ2・6㌢、直径わずか1・1㌢の内視鏡が、無線発信された体内の映像から異変を教えてくれる。検査のむつかしかった小腸も、しっかりと写してくれるとか。現在、承認申請中で、早ければ来年にも医療現場に登場する可能性がある、と記事は伝えている。

 

検査技術だけでなく、治療技術の研究、開発もどんどん進んでいる。周知のように、がん治療には、手術、抗がん剤、放射線療法があるが、いずれも一長一短がある。手術は、どうしても体へのダメージが大きいし、抗がん剤と放射線は、長期にわたる投与・照射が必要で、長く患者を苦しめている。弱点を克服しようと、それぞれの専門家が日夜、取り組んでいるわけだが、そのひとつを紹介したい。

 

日本原子力研究開発機構の季刊誌「未来へげんき」第3号に、脳神経外科が専門の筑波大学大学院の松村明教授が取り組んでいる放射線療法「中性子捕獲療法」の研究が紹介されている。悪性脳腫瘍の場合、正常な細胞にダメージをあたえれば、マヒや言語障害などが起きてしまう。

 

その点、「中性子捕獲療法」は、体にやさしいホウ素と中性子をつかってミクロのがん細胞のみを選択して消滅させる治療法。ホウ素は、正常細胞を通りすぎ、がん細胞に集積するという。そういうホウ素の特性を利用した画期的な療法研究は、国内外で注目されている。このように、がんの部位ごとに治療の研究開発が、飛躍的な発展をみせているというのは、とても心強い。検査や治療の新開発、新研究が、医療の現場で1日も早く活かされることを願っている。

 

<きょう・あす・あさっての見頃の草花>

 

5月28日、サツキ見頃(旧芝離宮)、カワセミ4羽飛来(武蔵国分寺)。

5月29日、コオホネ・アサザ開花(水元)。

5月30日、大安。アジサイ開花(東綾瀬)、ハナショウブ開花(小石川)。

 

〔フォトタイム〕

 

豊川稲荷東京別院その1

豊川稲荷東京別院(港区元赤坂1-4-7)は、東京メトロ銀座線、丸の内線の赤坂見附駅から歩いて数分です。サントリーのビルの方角から上がっていきます。



 

5月22日の当欄で、「中国が金日成・金正日親子を許せない20の理由」を書きました。これは孔健氏(チャイニーズ・ドラゴン新聞社編集主幹)の著書『中国だけが知っている金正日の真実』(幻冬舎)から引用してお伝えしたのですが、このブログをみた知人から、「北朝鮮にカジノがあるというのは、初耳。金正日が、よく許可したものだ」といわれました。中国側の「許せない20の理由」のひとつに、「(北朝鮮は)中朝国境付近に多くの賭博場を開設し、中国人顧客から大量の外貨を奪った」というのがありました。知人は、それを念頭において語ったわけです。

 

そのとき、「じつは、こういうこともあったのです」と、知人に北朝鮮の幻のカジノ構想を話しましたら、驚いていました。知人同様、「北朝鮮とカジノ」という組み合わせに意外だった方々もおられるかもしれないので、ふたたび孔氏の著書を拝借して書いてみます。

 

中国との国境近くに、新義州というところがあります。金正日は、この町を特別行政区に指定し、初代長官にヤン・ビン(楊斌)を任命しました。欧亜グループ会長のヤンという人物は、オランダ新華僑出身の実業家で、孔氏によれば、ヤンは金正日を「養父」と呼ぶほど、忠誠心を示していたそうです。

 

ところが中国当局は2002年、ヤンを中国国内で逮捕し、18年の刑を科して刑務所へぶち込みました。このとき、中国当局は、ヤンの逮捕容疑として、「脱税や特区内に大規模カジノ場のような不健全事業項目を含めたことをあげている」と、孔氏は書いています。

 

孔氏は、中国当局が怒った本当の理由は、「中国との国境につくる特区の行政長官を、金正日が中国側に一言の相談もせずに、勝手にきめてしまった」ことにあるとし、中国政府を信用していない金正日の姿勢のほうにより注目しています。わたしも、そのことに関心がないわけではありませんが、いちばん興味をもったのは特区にカジノをつくるという、ヤンの構想です。ヤンの逮捕がメディアを賑わしていたころ、そのことが報道されたかもしれませんが、わたしにその記憶がなく、この記述に目をひきつけられました。

 

ヤンの構想というのは、言い換えれば、金正日のプランということですね。孔氏は、新義州の特区構想をこう説明しています。

 

<新義州特区には、資本主義制度を認め、外貨の出入り制限をしない。50年間立法、司法、行政の自治権を与える、個人の相続権と私有財産権を許し、言論・出版・集会・結社および信仰の自由を保障する、通貨は米ドルという香港なみの特区である>

 

これが金正日の考えというなら、北朝鮮のイメージを完全にひっくりかえすもので、その構想で浮んでくるのは、香港というよりマカオに近いですね。現在、マカオは空前のカジノブームにわいていて、2006年のカジノ収入は68億ドル(約7956億円)だったとか。昨年、中国から1200万人近くがマカオを訪れ、カジノで散財していったそうです。なにしろ100万元(約1400万円)以上使う人はザラのようですから、カジノにとって中国人は神様です。

 

金正日の構想は、ギャンブルによわい隣人の性格に的確に照準をあてていたわけで、成功の確率は高かったように思えます。それだけに、中国政府も危機感を強く抱いたのでしょう。もちろん、カジノが、汚いカネをふつうのカネにするマネーロンダリング機能をそなえていることを北のドンは承知しているはず。いずれにしても、幻に終わった将軍さまのカジノ大構想が、よみがえる可能性は十分あるような気がします。

 

<きょう・あす・あさっての見頃の草花>

 

5月27日、ヘメロカリス、アカンサス開花(日比谷)、イワタバコ(百花園)。

5月28日、サツキ見頃(旧芝離宮)、カワセミ4羽飛来(武蔵国分寺)。

5月29日、コオホネ・アサザ開花(水元)。

 

〔フォトタイム〕

 

サンシャインシティその7

サンシャインシティの周辺は、相変わらず活気があります。JR池袋駅からつづくこの活気を、サンシャインシティまで呼び込みたいものです。



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