2007年03月

3月30日、文部科学省が来春から使用される高校教科書の結果を発表。そこで注目されたのは、長い間問題になっていた沖縄戦集団自決を軍の命令とする記述に初めて検定意見がつき、出版社側が修正したことだ。ようやく、軍命令による自決というデタラメな内容が教科書から削られた。まだ完璧な記述ではないが、一歩前進したのはたしか。ずいぶん時間がかかったが、これからも、ひとつひとつ根気よく歴史を正していくしかない。

 

作家の曽野綾子さんが、渡嘉敷島の集団自決の軍命令説に首をひねったのは、昭和40年代のこと。曽野さんは、赤松嘉次元大尉が、渡嘉敷島の住民たちに集団自決を命じたという“定説”に疑問をいだき、膨大な資料を精査し、現地取材をおこなった。そして、昭和48(1973)年、軍命令が根拠のない虚構であることを明らかにした曽野さんの著書『ある神話の背景』が発行された。もう34年も前の話だ。曽野さんの慧眼と労苦に、あらためて敬意を表したい。

 

“定説”を広めたのは、主に岩波書店だった。そのうちの1冊は、曽野さんの著書が刊行される3年前の昭和45(1970)年に出版された大江健三郎氏の著書『沖縄ノート』(岩波書店)。大江氏らの著書で名誉を傷つけられたとして元守備隊長らが、大阪地裁に提訴。「沖縄集団自決冤罪訴訟」は、平成17(2005)年10月28日、大阪地裁で始まった。原告側の徳永信一弁護士は、『正論』(平成18年9月号)でこう述べている。

 

<大江氏は、まず、どんな調査のもとに、何を根拠にして、赤松元大尉を「罪の巨塊」などと断定し、アイヒマンのごとく絞首刑にされるべきだと断罪したのかを弁明しなければならない。やがて法廷の証言に立つという大江氏の約束が果たされる日を待ち遠しく思う。そのとき、彼はなにをどう語るのだろうか>

 

この裁判で読み上げられた梅澤裕元少佐の意見陳述書が、今回の「軍命令」修正に大きな影響を与えたとされる。昭和20(1945)年3月23日、海上挺進第1戦隊の隊長として梅澤元少佐は、座間味島にいた。米軍上陸目前という緊迫感に包まれていたその夜、島の幹部が本部の壕をおとずれた。自決のための手りゅう弾や実弾をわけてほしいという。梅澤元少佐は、こう諭(さと)したという(『正論』参照)。

 

<決して自決するでない。軍は陸戦の止むなきに至った。我々は持久戦により持ちこたえる。村民も壕を掘り、食糧を運んであるではないか。壕や勝手知った山林で生き延びて下さい。共に頑張りましょう。弾薬、爆薬は渡せない>

 

梅澤元少佐の証言には、村民と部隊との良好な関係が端的に表されている。大江氏の『沖縄ノート』には、故意かどうか知らないが、そういう雰囲気はない。いずれにしても、徳永弁護士が述べたように、こんどは大江氏が発言する番である。

 

<きょう・あす・あさって>

 

3月31日、サクラ各種開花(舎人公園、大泉中央公園、小平公園)、ソメイヨシノ見頃(小石川後楽園)。

4月1日、ソメイヨシノ開花(代々木公園、秋留台公園、汐入公園)、シモクレン満開(武蔵国分寺公園)。

4月2日、ソメイヨシノ見頃(東綾瀬公園、桜ヶ丘公園、旧古河庭園、六義園、陵南公園)、レーガン桜開花(舎人公園)。

 

〔フォトタイム〕

 

イタリア文化会館その7

図書室にはイタリア語と日本語の蔵書が約1万5000冊あり、貸し出しもおこなっています。イタリア語講座も年々充実しているようです。イタリア各地語学学校への奨学金制度もあるそうです。詳しくは℡03-3262-4500にお尋ね下さい。



 

 

大リーグ・ヤンキースの松井秀喜選手と、ニッポン放送株のインサイダー取引事件で逮捕された村上世彰被告とは、なんの関係も、接点もない。ただ、ふたりに関する新聞記事を読んで、その差を感じた。どういう差かといえば、天狗にならなかった人と、天狗になった人の差。これは、現在のふたりの立場が象徴しているように、長い人生においては、けっこう大きな差になって表われるように思える。

 

村上被告は、灘高から東大へ進んで通産省にはいった典型的なエリート人間。産経新聞(3月28日付)によれば、3月27日、東京地裁の被告人尋問で、「(逮捕は)悔しく、悲しい。まだ夢心地で、なぜ僕が(証言台に)座っているのか消化できない」と、悔しさをにじませたという。自分のようなエリートが、なぜだ、という強い自意識があるからだろう。その一方で、ファンドの運営手法については、「天狗になっていた。あそこまで、やる必要はなかった」と、反省の弁も述べたという。

 

NHKの土曜ドラマ「ハゲタカ」の主人公も、天狗になっていたが、だんだんと人間性を取り戻していった。村上被告も、どうやら自分の驕(おご)った人生に気づいたようだ。それだけでも、かれの将来の復帰への希望の光となるであろう。

 

その点、松井選手からは、天狗というイメージを感じたことが、一度もない。あれほどのスター選手でありながら、およそ驕りたかぶった人生などとは、無縁のところにいる。松井選手の出身地、能登半島は地震に見舞われた。幸い両親が住む能美市は、それほどの被害はなかったが、地震発生から1時間も経たないうちに、松井選手から自宅に、「大丈夫か」と安否を心配して電話があった。その後の電話で両親が能登の被災地の様子を伝えると、「被災者に届けてほしい」と、1千万円の小切手を託したという。

 

わたしは、これを朝日新聞(3月29日付夕刊)で知ったが、記事を読みながら目頭があつくなってきた。億単位の所得のある松井選手にとって、1千万円はたいした金ではない、という気は全然起きなかった。体が資本のプロ選手にとって、きょうにもケガに遭うかもしれない、という不安がつねにつきまとう。そういう不安定さのなかでは、1千万円はやはり貴重だ。松井選手の人柄が、じ~んと伝わってくる話である。

 

<きょう・あす・あさって>

 

3月30日、ソメイヨシノ見頃(光が丘公園、善福寺川緑地、東白鬚公園、城北中央公園)、ニリンソウ開花(赤塚公園)。

3月31日、サクラ各種開花(舎人公園、大泉中央公園、小平公園)、ソメイヨシノ見頃(小石川後楽園)。

4月1日、ソメイヨシノ開花(代々木公園、秋留台公園、汐入公園)、シモクレン満開(武蔵国分寺公園)。

 

〔フォトタイム〕

 

イタリア文化会館その6

アニェッリ・ホールです。伊日協会の会長であった故ウンベルト・アニェッリ氏の名前を冠したホールで、370席あります。ここで音楽会や映画、講演会がおこなわれます。改装前、わたしもたびたびイタリア文化会館の催しものをみに訪れましたが、会場が狭いので閉口していました。こんどのホールは、席もゆったりしているし、音響効果よいので満足しました。



三鷹市にある光学機器メーカー、三鷹光器のすばらしい技術はいまや世界的に有名である。70年代からアメリカのNASAと取引し、ライカとも技術提携する三鷹光器はものづくり日本の誇りといえる。3月26日夜に放映されたテレビ東京の「カンブリア宮殿SP」に三鷹光器の創業者、中村義一会長(75)が登場し、これまで知られなかった発明集団のものづくりの原点を明かしてくれた。中村会長の考え方には、何から何まで感心することばかりであった。放映を見なかった人たちのためにお伝えしておきたい。

 

若いとき、中村会長は天文台に勤めていたが、35歳のときに三鷹光器を設立。現在、社員は41人で年間の売り上げは18億円。世界11か国で220件の特許をもつ発明集団、技術者集団だ。中村会長の発想はアナログ主義で、アイディアは絵から得ている。手術用顕微鏡の性能はずば抜けており、大阪市立大学医学部の脳外科教授は、三鷹光器の機器がなければ手術はできないと、褒め称えていた。

 

中村会長は、「うちの機器は、大手さんの3倍よくなければなりません。2倍くらいよくても、お客さんは大手さんのほうを買ってしまいますから」と、語っていた。だから、つねに一歩先を行かなければならない。社員一人ひとりの才能に社運がかかっているのだ。しかし、三鷹光器では、学歴は必要ない。中学校を卒業して入社する若者もいるし、東大卒もいる。中村会長が手取り足取りで技術を教え込む。そうして育てた技術者が、大手企業に引き抜かれることもあるという。

 

中村会長が考えた三鷹光器の入社試験は、じつにユニークである。技術者の試験は3つ。1つ目は、焼き魚定食をたべる。2つ目は、模型飛行機を飛ばす。3つ目は、電球をデッサンする。ペーパーテストのたぐいはない。魚の食べ方は、もちろんきれいでなければならないが、中村会長は箸の持ち方に注目しているという。電球のデッサンでは、A4の用紙を5枚わたす。1枚の紙に、画いては消しゴムで消して、また画いていく人は採らない。1枚画いて、途中で画きなおしたくなったら、2枚目にあらたに画いていくような人がほしいのだ。電球についていたゴミまで画いた人は採用された。魚の食べ方も、神経質な人を採るためのテスト。顕微鏡のような精密な機器のメーカーであるから、大雑把な人では困るのだ。

 

<きょう・あす・あさって>

 

3月29日、ソメイヨシノ見頃(善福寺公園、東白鬚公園、城北中央公園)。

3月30日、ソメイヨシノ見頃(光が丘公園、善福寺川緑地、東白鬚公園、城北中央公園)、ニリンソウ開花(赤塚公園)。

3月31日、サクラ各種開花(舎人公園、大泉中央公園、小平公園)、ソメイヨシノ見頃(小石川後楽園)。

 

〔フォトタイム〕

 

イタリア文化会館その5

先日、紹介しましたように、いまエキジビションホールでは、現代彫刻界の巨匠、ジュリアーノ・ヴァンジ展がひらかれています。250平方㍍の展示スペースがあって、これからは若いアーティストたちの現代作品を積極的にとりあげていくそうです。東京メトロの東西線、半蔵門線、都営新宿線の九段下駅下車で徒歩10分。駐車場はありません。



 

 

あの植木等さんが3月27日、呼吸不全で亡くなった。けさの新聞やテレビで、素顔の植木さんのあれこれを知った。思っていた通り無責任な人では決してなく、真面目で責任感のある人だった。喜劇役者は、普段はとても無口だという。自分の地で演技しないから、かえって可笑しさとか、哀しさとかに味わいがでるのだろう。

 

かつて歌舞伎役者の6世中村歌右衛門に、女形(おんながた)の心得を聞いたことがある。歌右衛門はつねづね、「女形は、女の匂いを出してはいけない」といっていた。それはどういうことですか、と尋ねたとき、6世は、「女の匂いっていうのはね、生(なま)の女の人になっちゃいけないということなんです。やはり、歌舞伎のなかの女でなければいけないと、あたくしは思うんです」といった。

 

私生活が乱れた男が、スーダラ節を歌ったところでしらけるばかりだ。虚と実はべつべつでなければならない。浄土真宗のお寺に生まれ、父親は熱心な社会運動家だったという。そういう根はまじめな人間が、軽薄な男を軽快に演じて、浮世に笑いを撒き散らした。あの頃は、前途にかすかな希望はあったけれど、その日暮しの日々がつづく人たちが目立った時代。一億総白痴化と所得倍増が織りなす、起伏に富んだ昭和30年代という時代相が、植木等さんにはピッタリだった。そういう意味では、植木等というタレントを世に送ったのは、時代の要請といってよいのかもしれない。

 

<きょう・あす・あさって>

 

3月28日、大安。オオシマザクラ見頃(旧芝離宮庭園)。

3月29日、ソメイヨシノ見頃(善福寺公園、東白鬚公園、城北中央公園)。

3月30日、ソメイヨシノ見頃(光が丘公園、善福寺川緑地、東白鬚公園、城北中央公園)、ニリンソウ開花(赤塚公園)。

 

〔フォトタイム〕

 

イタリア文化会館その4

靖国神社の近くにあるイタリア文化会館(東京都千代田区九段南2-1-30)は、昭和16年(1941年)に建設されました。そして、平成17年(2005年)10月に建て替えられました。設計を担当したのは、イタリアの著名な建築家、ガエ・アウレンティ。会館のパンフレットには、「コンクリートとガラスによるイタリア風のデザインが、日本の城壁や石垣、格子や障子を思わせる幾何学模様と巧みな融合をみせています」とありました。



 

殺人容疑で指名手配されていた前田優香容疑者(43)が3月25日、東京都北区の健康ランドで逮捕された。前田容疑者は平成17年(2005年)3月2日、当時39歳のスナック経営の女性を庖丁で刺し殺して逃走。逃亡生活はちょうど2年間になるが、彼女の場合、どうも小説や映画などに登場する逃亡者とは、どこかちがうような印象をうけた。

 

逃亡者のイメージというのは、じっと息をひそめて、ひっそりと暮らしている、というのが一般的だ。しかし、彼女の場合は、堂々と繁華街に現れ、健康ランドで文字通り丸裸になって公衆の面前に自分をさらしていた。整形したり、偽名を使ったりしていたとはいえ、指名手配の写真が貼ってある場所に臆面もなく出入りしていた大胆さには驚いた。もっとも、結果としては、そのために知人にみつかってしまったわけだが、こういう裏の裏をかいたような逃亡生活は、例の福田和子からヒントを得たにちがいない。周知のように福田もまた繁華街に潜伏し、時効寸前まで逃げ延びていた。

 

産経新聞(3月26日付)によれば、捕まったとき、前田容疑者は950円しかもっていなかったという。それでいて彼女は、レストランで生ビール、焼酎、マグロのぶつ切りなどを注文。総額で約5200円もの飲み食いをしたとか(朝日新聞3月26日夕刊)。いつも、だれかにたかっていたのだろう。寝るところも、知り合った男性の家だった。こういうヤドカリ逃亡生活は、そうかんたんではない。世の中には、親切かつ女好きな男性はゴマンといるかもしれないが、素性も知れない女性をやすやすと自宅に招き入れるような人はそれほど多くあるまい。おそらく、前田優香という女には、どこか警戒心を感じさせない雰囲気があったのだろう。

 

<きょう・あす・あさって>

 

3月27日、ソメイヨシノ開花(木場公園、旧芝離宮庭園)、シダレザクラ見頃(六義園、小石川後楽園)。

3月28日、大安。オオシマザクラ見頃(旧芝離宮庭園)。

3月29日、ソメイヨシノ見頃(善福寺公園、東白鬚公園、城北中央公園)。

 

〔フォトタイム〕

 

イタリア文化会館その3

なにかと話題になる建物で、昨年秋には、東京都がイタリア文化会館の敷地の一部に固定資産税約3000万円を課税する方針を固めたと産経新聞(平成18年10月19日付)が報じました。ふつう、こういう建物はウィーン条約や両国政府の文化協定で免税されています。たしかに敷地(約2400平方㍍)の所有者は、イタリア政府ですが、イタリア文化会館の場合、半分以上を大手ゼネコンが所有し、事業をおこなっているので、東京都は、商業利用と判断し、減免の対象にはならないとみたわけです。地上12階、地下2階。延べ床面積は約1万400平方㍍。このうち3階から11階を大手ゼネコンが区分所有していると、同記事は報じています。

 

 

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