2006年11月

毎月、月刊『清流』(清流出版)をたのしみにしている。「主婦たちへ贈るこころマガジン」というのが、この美しい雑誌のコンセプトだが、男性が読んでも面白い。1月号を手にして、表紙を眺めると、「今日からあなたも“箸美人”」というタイトルが目に飛び込んできた。

 

“箸美人”とは、なんのことだろう? このトシになっても、まだ箸の持ち方すらわかっていないオトコは、考え込む。考え込まなくとも、雑誌をひらけば、すぐに納得するはずなのに、パスカルに「人間は考える葦」と教わったオトコは、しばらく沈思黙考し、結局、なにも考えが思いつかないのを見定めてからページをひもとくのだ。やっぱり、特集「今日からあなたも“箸美人”」の前文に、知りたいことが出ていた。

 

<食べものをつかむとき、それを口に運ぶとき…‥。すべての箸使いにむだがなく、流れるような所作の人に見とれてしまうことがあります。美しい箸使いの人を“箸美人”といいます>

 

なるほど、そういうことですか。たしかに、美しい箸使いの人は存在し、その所作は茶道のお点前のように流麗である。まるで箸使いのアーティストのような人は、やはり女性のほうに多い。

 

いや、男性にも、1万人にひとりくらい、素晴らしい箸の達人がいるように思える。禅では、食事の作法は重要な修養のひとつだが、禅僧の所作にそれを感じたことがある。禅寺で精進料理を食するとき、そこには、それなりのルールがある。それを知らない人が食の場に混じっていると、人間の品性までが露呈しているようで見苦しい。これほどまでに箸の道は奥深いのだが、わたしをふくめ凡人はいまなおそれを知らない。この特集では、岩下宣子さんが、「箸使いのタブー23」を教えてくれているので、一部を紹介し、自戒ともしたい。

 

つ き 箸――箸で食べものを突き刺すこと。

迷 い 箸――どれを食べようか、箸を持ちながら迷うこと。

なみだ箸――滴の垂れるものを受け皿なく箸で運び、ボタボタとテーブルを汚すこと。

さぐ り箸――茶碗蒸しなどで、おいしいものがないかなどと箸で探すこと。

ねぶり箸――箸を舌で舐めること。

さか さ箸――箸を逆さにして使うこと。手に持つ部分を使うことになるので不潔。

上 げ 箸――箸を口より高く持ち上げること。

そ ら 箸――食べようと思って、いったん箸を出したのに止めること。

 

〔フォトタイム〕

 

コレド日本橋その5

東急百貨店日本橋店の前は、白木屋でした。コレド広場の一角に「名水 白木屋の井戸」の碑がありました。江戸の歴史が生きる街、日本橋は夏目漱石の小説の舞台にもなっていて、それを記念する碑もありました。



 

28日の「信念の人、平沼赳夫氏の原風景」に対して異論が寄せられています。ご存じのように永田町でも、メディアでも、巷でも、復党問題について賛否の声が飛び交っています。決着は、つぎの選挙でつけられることになりますが、それまでにさまざまな意見がどんどん出されたほうがよい。コメント大歓迎ですね。復党問題とは離れますが、つぎのようなコメントもありました。

 

<平沼氏は、「筋を通して、情理を尽くす」気概を持った政治家です。ご紹介の終戦の日の平沼氏のお母様には感銘を受けます。今の世の若い親たちも、このお話を知るべきですね」(28日、くぼた)>

 

そういう感想をいだく方もあるなら、『正論』12月号の平沼さんの回想をもうすこし追加しましょう。

 

戦後、平沼騏一郎はGHQによって戦犯とされましたが、このとき、平沼邸へ刀持参でやってきた熱血漢がいたそうです。その人は、「(騏一郎を)敵の手にかけては忍びない。私の介錯で自決を」と迫ったそうです。そのとき、平沼さんの母堂は、「騏一郎も生きて虜囚の恥をさらすより、どんなに死にたいことか。しかし、ここで死んだら陛下は、わが国体は、どうなりましょう」と、物騒な熱血漢を説得したというのです。

 

そして平沼さんは、「誰かが戦犯になり、戦勝国を満足させなければならなかった。『俺は何も言わないよ』と、淡々と母に言った八十余歳の騏一郎は、東京裁判の被告席で何を考えていたことだろう」と書いています。

 

〔フォトタイム〕

 

コレド日本橋その4

「COREDO 日本橋」に隣接してコレド広場があります。広場は、近辺のサラリーマンや日本橋を訪れた人たちの憩いの場となっています。



自分が、平沼赳夫氏と同じ立場に立たされたら、どうしたであろうか。これは難問である。おそらく平沼氏とは、雲泥の差であるにちがいない。頭を抱えて考え込んで、のた打ち回り、それでも結論を出せず、結局、ずるずると態度を明かさないまま、いまに至っている。そんな優柔不断な自分がありそうだ。

 

平沼氏と中川秀直幹事長の、どちらの言い分にも一理があるから、悩ましいのである。心情的には平沼氏のほうに傾いていても、さりとて中川氏のスジ論を軽く一蹴できるほど問題の本質はやさしくない(中川氏の手法には、問題があったが)。事の是非はおいて、いずれにしても、平沼氏の信念には感服した。すごいと思う。それでこそ、真の政治家だ。半面、政治というのは、妥協の産物でもあり、ときには信念をまげることも求められる、じつにやっかいな俗界でもある。誓約書をだした11人を批判することは、わたしにはできない。

 

『正論』12月号のグラビアに平沼氏が登場している。そこで平沼氏は終戦の日の出来事を書いている。それによれば、昭和20年(1945年)815日早朝、東京・新宿の平沼騏一郎(元首相)邸に武装した兵士たちが侵入した。6歳の赳夫少年(2歳のとき、騏一郎の養子となった)は、婆やに導かれ、外へ急いだが、抜刀隊に押し止められた。兵士たちは、家人にピストルを突きつけ、騏一郎の居場所を詰問した。騏一郎をみつけられなかった兵士たちは、家に放火した。赳夫少年をおぶって母親は、燃えさかる家のなかに飛び込み、過去帳を持ち出そうとした。

 

平沼氏によれば、「炎のなか、あとわずかで紫の風呂敷に手が届こうというとき、さしもの冷静沈着でオデコで頭でっかちの変な子供、すなわち私も本能的恐怖には抗し得ず、『熱いよう』と叫んだ。母は『落命してはかえってご先祖様に申し訳ない』と引き返した」という。

 

平沼氏の母親は、勝気で親分肌の女性であった。この修羅場のときも、母親は出口に履物がなかったので、火をまたいで納戸へ引き返し、新品の桐下駄をはき、火つけの兵隊をにらんで出てきたという。この終戦の日の原風景は、信念の人、平沼氏の骨格にしっかりときざまれているようだ。

 

〔フォトタイム〕

 

コレド日本橋その3

三井不動産ご自慢の「COREDO 日本橋」は、正式には「日本橋一丁目ビル」といいます。オフィススペースには、メリルリンチ日本証券が入っています。



 

サッカーくじで初めて1等が的中し、当選金はなんと5億84156640円になったという。すったもんだの末、始まったサッカーくじだったが、評判倒れで、長く低迷していた。発売7回までは的中なしで、いままではギャンブルの弊害をうんぬんするどころの話ではなかった。「どうも仕組みがよくわからない。買う気にならない」といった声が聞かれたが、このビッグニュースが起死回生のきっかけとなるかもしれない。5億84156640円は、もちろん日本では史上最高。宝くじの最高4億円を軽く追い越した。夢を追う人には、この金額は頭がクラクラするほど魅力的であろう。

 

サッカーくじを買ったことはないが、宝くじなら何回もある。買うときは、続けて買うが、そうでないときは振り向きもしない。大方の人はそういうパターンだと思う。わたしもそうで、宝くじをさいごに買ったのは、いつだったか、もう忘れてしまったほど、このところ買っていない。宝くじを買う場合、大金を狙うか、小銭を狙うか、2つのコースがある。後者は、1等100万円くらいで、その場で当選券がわかる。競馬や競輪で大穴を狙う人たちは、こういう宝くじを買うことはないだろう。100万円単位の宝くじの購入などみみっちいと思う人もいるだろうが、小銭派は堅実な生活を送っている人たちで、人生のほんとうの勝者は、このタイプに多いはずだ。

 

いや、真の勝者は、宝くじもふくめてギャンブルに決して手を出さない人たちだという意見もあると思う。なるほど、そうかもしれないが、人生とは、いかに日々をたのしく過ごすか、ということもひとつの大事な要素であり、頭からギャンブルを除外する考えには、組みしたくない。ほどほどであれば、ときには自分の運をためしてもいいのではないか。当ったわけではないけれど、宝くじ1億円の使い道を考えるとき、人はつかの間であれ、至福のひとときにひたれるのだ。

 

〔フォトタイム〕

 

コレド日本橋その2

「COREDO 日本橋」がオープンしたのは、平成16年(2004年)3月30日でした。COREDOとは「CORE(中心)」と「EDO(江戸)」を組み合わせたもの。 江戸の中心、日本橋というわけです。下の写真の前方に、ブリッジの日本橋があります。



 

けさは、年2回の町内会の大掃除の日。あいにく家人は外出の予定があって、代役をつとめなければならない。自宅と会社の往復で、地域社会とのコミュニケーションがあまり密ではないので、こういうときは緊張する。世間には自治会の役員を長くつとめて、地域の顔役になっているサラリーマン諸氏もいないわけではないが、ほとんどはわたしのように浮いた存在ではないかと思う。

 

浮いた存在というのは、経験された方々は、よくわかると思うけれど、地域の集まりに放り出されたとき、身の処し方が、ぎこちないのである。どこで、どうしたらよいか、わからない。ウロウロしていては、邪魔になるだけだし、かといって重いものを軽々と持ち運べるほどのパワーもないので、使い道はかぎられている。「わたしは、なにをしたら、よいでしょう」と聞くのも、みっともない。

 

さいわいなことに仕事は、すぐにみつかった。空き地わきの側溝のごみ掃除だ。掃除にはせ参じた人たちは、圧倒的に女性軍が多いから、こういう仕事は男性にはうってつけだ。側溝の掃除で所定の時間を過ごしてもよいと思ったが、15分足らずで、もう終わってしまった。やっと仕事にありついたのに、これは残念という感じである。

 

ラッキーなことに、つぎの居場所が、目に飛び込んできた。けっこう立派な集会所があって、その周辺で、奥さん方が草取りをしていたのである。いまでこそ興味を失ったが、かつて草取りはわたしの趣味だった。さほど広くもない自宅の庭で、雑草をぽつん、ぽつんと引き抜いているときは、無心になれた。頭をからっぽにするというのは、いいものだ。そのころの気持ちが忽然とよみがえって、わたしは集会所へむかった。雑草がまばらに生えていた。もっと、真夏のように、わっと雑草が伸びていたほうが、いかにも仕事をしているようで、好ましいのに、なんと貧相な雑草なのだろう。これでは、ものの5,6分で仕事が終わってしまうではないか。そう思いつつ、一本一本、あたかも貴重品をあつかうように、ていねいに雑草を引き抜いていった。

 

<きょう・あす・あさって>

 

明治39年(1906年)1126、満鉄(南満州鉄道)設立。初代総裁は後藤新平。あれから100年。

 

〔フォトタイム〕

 

コレド日本橋その1

お江戸日本橋のランドマーク、コレド日本橋(東京都中央区日本橋1-4-1)はちょうど高島屋と三越の中間の四つ角にあります。通常はローマ字で、「COREDO 日本橋」と表記していますが、オフィスと33の店舗が入る複合ビルで、ご存じのようにかつては東急百貨店日本橋店でした。東京メトロ銀座線、東西線の日本橋駅の真上にあります。



 

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