必要があってアメリカ人ジャーナリスト、ドン・オーバード-ファーの著書『二つのコリア――国際政治の中の朝鮮半島』(菱木一美訳、共同通信社、一九九八年)を読み返していたら、パク・チョンヒ(朴正煕)元大統領の日記の一節が目に留まった。あらためてパク・チョンヒの言い知れぬ寂寥感に思いを馳せた。

 

1974815日、ソウルの光復節記念式典会場でパク・チョンヒ大統領は在日二世に狙撃され、弾はパク大統領夫人のユク・ヨンス(陸英修)さんにあたり、ユク・ヨンスさんは死亡した。いうまでもないが、現在の韓国大統領、パク・クネさんの母親である。

 

妻を失ったパク・チョンヒ大統領は落ち込み、その性格までが変わったといわれる。性格の変化は政策にまで影響した。

 

事件から1年後の1975815日、夫人の一周忌にパク・チョンヒ大統領は日記にこう書いたという。

 

<一年前のこの日午前945分ごろ、お前はオレンジ色の韓服を着て降りてきた。そしてわたしたちは一緒に式典に出かけた。お前の生涯でさいごの青瓦台からの出発だった。1年前のこの日はわたしの人生でもっとも長く、もっともつらく悲しい日だった。わたしの心は悲しみと絶望でからっぽになった。わたしは世界のなにもかも失ってしまったような気がした。すべてのものが重荷になり、わたしは勇気と意志を失った。 

あれから1年が経った。この1年の間、わたしはひそかに一人で、数えきれないほど多く泣いた>

 

娘のパク・クネさんもまた、母親の死で人間的に変わったところがあったのだろうか。

 

〔フォトタイム〕

 

和田倉橋その7

噴水公園側から見た和田倉橋です。