細川さんの敗因は、はっきりしている。風が吹かなかったのである。風が吹かなければ、凧はあがらない。

 

原発ゼロと小泉さんの全面的バックアップ。これでいけると思ったのだろうが、細川さんは成功体験に囚われすぎていた。日本新党ブームが忘れられず、それが過信につながった。

 

いかんせん、時代が変わっていた。

 

細川サイドは反原発候補の共倒れを防ぐために、候補の一本化をしきりに求めていた。これはどだいムリな話だった。共産党の細川嫌いについて認識不足だった。

 

また、細川さんは、無党派層から自分が受け入れられていないことに気づくのがおそかった。東京都知事選のカギをにぎるのは、無党派層であり、その分析をすることもなく、細川さんは突っ走ってしまった。

 

細川さんは、敗因の一つとして、準備不足をあげていた。しかし、これは全然、関係がない。むしろ、細川さんは全候補のなかでいちばん早くから準備していた。

 

後出しジャンケンも作戦の一つだったはずで、細川さんは殿さまにしてはけっこう軍師の才のある人なのだ。

 

猪瀬知事の金銭スキャンダルのさなか、細川さんが出演した番組を見て、おやっと思ったことがある。細川家の美術品を展示する永青文庫の紹介番組であったが、細川さんが玄関まで出迎えたり、じつに愛想がいいのだ。

 

おそらく都知事選への出馬をすでに決意していたと思われる。その後も、積極的にテレビ出演していたフシがある。というのも、告示直前に放映中止が発表されたものもあるからだ。

 

敗因の弁を述べる細川さんを見て、この人の女々しさは首相当時と変わっていないなあ、と思った。「原発を争点としないようにした勢力があった」と細川さんはいったが、その言い訳がむなしく感じられた。