新潟の生家から新米が届いた。ふるさとを離れて、はじめて新潟のコメのおいしさがわかった。ふだんもスーパーであちこちの県のこしひかりを買っているのだが、やはり本場のこしひかりがいちばんだ。

 

数年前の秋、「新米の重さによろけ里ごころ」という俳句をつくった。今回もゆうパックが運んできたこしひかりはどっしりと重かった。その重さがどこか、いとおしい。

 

いま生家では稲作はしていないが、学生時代、稲刈りの手伝いで帰省した記憶がある。東京オリンピックがひらかれる前の話だ。まだ機械化されていない頃のこと。刈り取った稲を束ねてハサ(稲木)にかける作業はけっこうきつかった。

 

夜は脱穀の作業が待っていた。農繁期というのは、文字通り繁忙だった。それでも田舎の秋はやはり豊饒で、心浮きたつものがあった。柿や栗、サツマイモなどたべるものはたくさんあったし、山へ入ればアケビがとれた。

 

小学生の頃、年長の男の子が、畑からダイコンを抜いてきて、川で洗ってガブリとかぶりついたのを見た。よほど、ハラがすいたのだろう。

 

土だらけのダイコンが川で洗らわれて、まぶしいほどに美しかった。あのガキ大将がくらいついたダイコンは案外、おいしかったのではあるまいか。

 

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