夜9時前のNHKニュースが、歌舞伎役者の10世坂東三津五郎の死を報じた。21日、都内の病院で亡くなった。やっぱり、だめだったのか。59歳だった。すい臓がんを克服し、舞台に復帰したときは、ほっとしたのだが……。
 まだ八十助(やそすけ)だった頃、よく勘九郎(のちの勘三郎)と踊ったり、芝居で共演していた。背格好が似た、息のあったコンビだった。その後、ともに大きな役者になった。踊りよし、芝居よしの華のある二人が57歳と59歳で逝ってしまうとは、世の中は非情である。
 平成16年、歌舞伎座で市川海老蔵襲名興行がおこなわれていたとき、勧進帳の弁慶を演じていた父親の市川團十郎が体調不良で突如、休演となった。
 代役は坂東三津五郎だった。がっかりして、なんとなく冷めた目で見ていたのだが、次第に三津五郎の弁慶に見入った。成田屋とはひと味ちがう大和屋の新鮮な弁慶に感動し、満足した。
 突然、代役を命じられても、なんなくこなしてしまう。三津五郎にかぎらず、ひとかどの歌舞伎役者はそういう心構えを忘れない。プロならば当然ではあるが、せりふひとつとっても、たいへんだ。
 不幸中のさいわい、という表現はおかしいが、三津五郎の弁慶を見られたのは、いま考えて見ると、とても貴重な体験だった。楷書のようにかっちりしていて、しかも草書のような華麗さもある弁慶が、いまも目に浮かぶ。
 ことし1月の浅草歌舞伎で三津五郎振付の「独楽売」を見てきた。踊りの神様といわれた7世坂東三津五郎が得意とした長唄による舞踊。わたしにとって三津五郎といえば、ふぐで死んだ8世も馴染み深いが、振り返ってみて歴代三津五郎の「独楽売」を見た記憶は思い浮かばない。
 浅草歌舞伎で独楽売をつとめたのは、はつらつとした坂東巳之助(みのすけ)。やはり筋はなかなかよいと思った。いうまでもなく三津五郎の長男だ。これからも芸にいっそう精進し、父親のような味のある役者になって、いずれ三津五郎を継いでほしい。





 


 

雑誌や本が売れず、新聞もずいぶん部数が減っている。相変わらず活字ジャーナリズムの前途は明るくないが、けさの産経新聞によれば、文学全集や個人全集が続々と出版されているとか。久しぶりのあかるい話題にホッとした。

 記事によれば、平成23年に完結した河出書房新社の「世界文学全集」(全30巻)は合計で40万部を売り上げたそうだ。これは快挙といってよい。まだまだ日本の活字文化は健在だと思った。

 カネのなかった若い頃、なんとか節約して河出の世界文学全集を一冊、一冊買い増していった。そろえるのに、何年かかったか。実際に読んだのは、そのうちの23割にすぎなかったが、粗末な本棚に並んだ全集を眺めているだけで、心が豊かになるようだった。

 しかし、五、六〇代になって、だんだん全集から遠ざかっていった。活字が小さくて読めないのだ。あんな小さな活字を懸命に読んでいたのだから、若いときは視力も元気だったのだ。

 ベネズエラといえば、チャベス前大統領を思い出す。ワシントン・ポスト紙の付属誌「バレード」の特集記事「世界最悪の独裁者ランキング」で2005年、2006年、2007年に連続トップに選ばれた。

 その独裁者が死して35日で2年になるが、ベネズエラがピンチに立たされている。例の原油急落でアップアップなのだ。なにしろ、この国は輸出の95%を石油に依存しているのだから、たまらない。現大統領はチャベスほどの腕力はなく、ベネズエラの国民の間では独裁者を懐かしむ声があるとか。

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